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靖国神社問題について
- 毎年8月15日になると靖国神社問題が取りだたされます。中国や韓国が内政干渉するのは可笑しい堂々と首相も参拝をと云われる方も居られます。私は他国が内政干渉するのは可笑しいと思いますが、あの神社を手放しで認める事には少し矛盾を感じるのであります。
- 靖国神社の形式や参拝者の行動について矛盾を感じています。日本は戦後戦争はしないで今日まで参りました。故に中国韓国北朝鮮の問題があり強気に出れない。他国は戦争し、戦死者は出るが、それで外交上強くなり、その兵器等の需要があり利点もある、国にとっては良い。だけど大切な方は亡くなられただから名誉と云う靖国神社の様なものが必要であると云う事なんでしょうか。
- 靖国神社の思想や天皇制について考えています。もしやして戦わないと属国になる、権力者の利害で戦争は起こる、個人としてみれば殺人であるが、国を大きくし、我が国を守り為に靖国神社の様な思想は必要でそれを纏める天皇制も不可欠と云う事なんでしょうか。事実近隣の韓国等は国の為に命を投げ出す事等も厭わない。世界ではこの様な感覚が多数なんでしょうか。
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靖国神社の話をするときに、まず確認しておかなくてはならないことは今の靖国神社はいち宗教法人にすぎないということです。つまり創価学会や幸福の科学やアーレフなどとも同格であり、国家としていち宗教法人に特別の配慮を行うことは明白な憲法違反になります。 さて、まず靖国神社が神道形式に固執する理由は質問者自らが神社成立までの過程を追っているとおり維新明治国家の建設と密接に絡んでいます。明治国家は封建制から抜け出し近代国家を作り上げよういうものでしたが、最も欠けていたのは日本国民という意識でした。 欧米では封建制や絶対王政の支配者を国民が倒して国民国家を作るというプロセスがあり「我ら国民同胞のために戦うぞ」という国民意識がすでにありました。ところが日本にはそういうプロセスは無かったので促成育成法を用いたわけです。それが「現神人天皇をいだく神州」というコンセプトであり、国民はこの体制を命を懸けて守ることこそ至高の美徳という考え方を国民に刷り込んだのです。そのために作り出されたのが国家神道であり靖国はその中心でした。だから靖国から国家神道的要素をのぞいたらアルコールの入ってない酒になってしまいます。 次に靖国に参拝する軍装コスプレマニアや、靖国参拝を欠かすことのできない美徳のようにかたる政治家たちですが、彼らは依然として神州日本の幻想にすがりつきたい連中なのだと思います。エーリッヒ・フロムという政治学者がナチズムの成立過程を論じた名著に「自由からの逃走」があります。このなかで核となる考え方は「生活や将来に行き詰まった市民は、精神的な頼りを求めて人に対する攻撃性やサディズムやマゾヒズム、および権威への従属と自己の自由を否定する権威主義に向かう」とするものです。ということで前述の連中は大躍進を遂げた国家神道を軸とする権威主義が現状をよくするものだと思い込んでいるんでしょう。 私の考えを述べると、戦争で亡くなった方々を追悼する方式は個人個人の自由です。仏教徒なら法要を、キリスト教徒ならミサを行えばいいんです。靖国に行かなくても戦争で亡くなった方々を蔑ろにしていることはありません。むしろ靖国に行く人のなかには故人を偲ぶことより戦意の高揚に目的がある人が目立つように思えます。 日本が初めて国家防衛戦争をやったのは元寇のときでした。このときの戦死者は鎌倉の円覚寺に弔われています。それも日本の武士もモンゴル兵も高麗兵も宋兵ともに分け隔てなく。私は韓国と中国の留学生と一緒に参ったことがあります。彼らは驚き感動していました。この敵味方区別なく、冤親平等にという考え方こそが、国家間の恩讐を超え平和的関係を構築する礎になる戦死者の追悼方式だと思います。 少なくとも靖国神社よりも伝統的であることは言うまでもありません。
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- michael-m
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私は靖国を一神社だとは思いますが、あくまでも政治的象徴として建てられたとしか考えて居らず、特に終戦の日だけに参るべきものではないし、議員が参ることにさほどの意義も認めていませんから中韓の批判は無意味と考えています。 1)ですが日本が神道を捨てたわけではありません。神道は日本固有の信仰形態であり、しかも生活習慣によって成り立っているものだと考えます。 教義を持たない神社神道が宗教でないことは今でも変わりはなく、単に取り扱い上宗教法人になっているに過ぎません。(他に教義を持つ神道もありますが、今回の内容とが別なので除きます) そして靖国神社は神社本庁とは友好な関係はありますが神社本庁に組み込まれてはいない単立神社です。 神道の基本は敬神崇祖であり、神道では自然神のほかに先祖神も存在しますし、今でもなくなれば神となります。それは別に靖国が特化したものではありません。 古く代々受け継がれている神社に行くと必ず「祖霊舎」と言うものがあります。これはその宮に仕えていた先祖の霊を祭っているお宮であり、靖国と同じ内容のものです。 そもそも靖国は国を騙して偽の御旗を建てて京都に攻め入り、後に朝廷を脅して御旗と勅許を得て幕府を倒したクーデターです。しかも朝廷は鎖国・攘夷を唱えていたのにこれに反して全面開国した。さらには江戸行幸を仰いで拉致監禁し、遷都と称した(遷都の勅許は未だにない) だから自分たちが尊皇であると意思表示をしなければならなかったわけです。 そのために自分達のために戦った兵士は皆、神になったと主張するためのものとして東京招魂社、靖国を作ったわけです。全ての命令は天皇の名で出されます(専制君主制だから)が、果たして天皇が発案したかは判らないなにしろ長州は偽勅許の常習者ですから。たぶん違うでしょう。だから明治天皇が信頼していた西郷すら祭られていないわけです。 その靖国を軍が利用して、更にお国のために、祭られるためにと言って兵士を死に追いやった。少なくともミッドウエー以降は無駄死にだと思います。嘘で塗り固められた不毛の戦いだったのですから。ミッドウェーの大敗北は天皇にすら知らされていません。 それでも日本のために戦った人々を祀ることにはいささかも疑問点はありませんが、私は偽の御旗で攻めた者が尊皇とは思わないし、偽と判っていても御旗に刀を向けなかった幕府軍は立派な尊皇だと考えています。 私が靖国を特に重視していない理由はただひとつ、国民の誰も居ないという事。 第二次大戦においては兵士だけが戦ったわけでは有りません。銃後の兵と称された国民一丸となって戦い、軍もそう宣伝した筈です。然るにその兵士を支えた国民の人地もいない。だから兵がいるのだから兵に対して哀悼を表するのはいいが靖国を平和のための参拝などという詭弁を許さないのです。 それに東條英機は「合祀は実践で没した霊に限るべき」と言っていたのです。その本人を許しもなく合祀しているのが許せません。要するに靖国は昔も今も政治利用のための神社なのです。だから揉めて当たり前ではないでしょうかね? 2)8月15日に参拝するものがパフォーマンスとして軍服着たって構いはしません。議員が参拝したって構いません しかし8月にしか行かないなどと言うのでは靖国を知らないわけだし、個人的などとは言い訳以外の何者でもない。 東京選出の某議員は選挙区であり氏神社でもあるからと例大祭にもきちんと参拝している。それなら判る。 しかしながら地方出身議員が自分達の土地の護国神社も無視して靖国に参ると言うのはやはり詭弁でしかない。 全国で護国神社がないのは東京を神奈川だけ。神奈川は戦災で完成間近の護国神社が消失、そのまま敗戦になったので断ちませんでした。しかしその地に護国神社も建てずに靖国に詣でると言うのも、まさに政治的理由でしかない。 歴代議員や総理が参ったのは信仰でもなんでもない。有権者特に遺族会の票が欲しかったに過ぎないのです。だから遺族会の力が弱まった途端「私は参拝しない」などという輩が増えた訳です。 尖閣や竹島はウヤムヤがいい・・・そんな事言ってる議員が参拝したら、命を懸けて国を守った人から祟られて当然だと思いませんか? 靖国は一単立神社です。だから必要か否は関係ありません。誰をどのように祀ろうと神社の自由です。誰が行こうが行くまいが勝手なのです。 それを利用しようとか、愛国の証しにしようなどと言う考えは完全に間違っているのです。「私はヤスクニには行かないが、地元の護国神社、或いは戦没慰霊碑には必ず詣でている。」その方がはるかに愛国心の高い人物だと私は思います。 米国は一番畏れたのは日本人の愛国心です。天皇と言う名前に忠誠を誓って命をかける愛国心が恐ろしかった。だから米国と国民党や自由党などと謀って国民を腑抜けにした。国民総白痴ではなく総腑抜け教育です。今はそれが功を奏したが、教育を共産党に任せたために役人をはじめとしてむしろ米国より中韓に売り渡そうとしている。その勢力は既に日本の根幹にも入り込んでいるのです。だから戦わずとも占領されます。 それに愛国の勇を自称しているものの中にも売国の徒がいます。それすら気がつかないのだからどうしようもない。 日本はどんなに憲法を改正して軍をつくろうとも、徴兵が禁止されている以上は戦争など出来ませんよ。自衛隊だって戦争に行くと言えば何人が残るかどうかでしょう。 まず靖国で軍服着ているような輩は真っ先に逃げるでしょう。なぜならやつらが出来ることはせいぜい参拝の列に横は入りする程度、真に愛国心があったらさっさと自衛隊に入っているでしょうからね。
お礼
開国も朝廷を騙し開国した だから自分達を正当化する為に 天皇制 靖国の思想を打ち出したのですね
- cherry77_
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靖国神社は国のために戦死した兵士を祀るところで、天皇制は関係無いです。 明治時代に建てられたものなので、廃仏毀釈の影響も受けていません。 神社という形式をとったのは、古来から死んだ人を祭る神社が一般的だったので、それにあわせたのでしょう。 菅原道真を祀る天神社、徳川家康を祀る日光東照宮などです。 日本一の参拝客を誇る明治神宮だって、明治天皇を祀ったものですよね? これに対し、死者を祭仏としているお寺は殆どありません(聖徳太子を祀っている叡福寺くらいです)ので、神社という形式をとったのは自然なことだと思います。
お礼
菅原道真の大宰府天満宮や楠木正成の湊川神社 非業の死を遂げたその怨霊を恐れ鎮魂で建てたと云われております もしかして靖国神社もそう云う歴史があるのかもしれません
- at9_am
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1 何故神道形式にこだわるのか? 靖国神社は、既に回答があるように「一宗教法人」に過ぎません。特別なように言われるのは、成立過程と同時に、祀っている神が戦没者であることです。 国の、ということであれば、全国戦没者追悼式を毎年行っています。追悼施設は現時点では存在しませんが、千鳥ケ淵戦没者墓苑で身元不詳等の遺骨を納めており、毎年5月に厚労省主催で式典が行われています。 仏教の、ということであれば、全国の多くのお寺に「戦没者供養塔」などが存在し、それぞれで供養されています。キリスト教はないようです。 > 保守派靖国支持される方は伝統的な神と云うが、古来神話や自然崇拝から成立した神社とは成立が違うと思います といわれていますが、死んだ人を神として祀ることは神道にとって別段特別なことではなく、例えば天神様=菅原道真や建勲神社=織田信長を祀っている神社のように、神道の伝統として昔から例があることです。 2 靖国神社に参拝される若者には軍服を着たり、戦意高揚的な行為を行っている方を観たと云う事が私の靖国神社に対する矛盾 大部分の人は、普通の服装です。 靖国神社の境内でヌード写真を撮った人もいますから、ヘンな人もいる、程度の話です。大体、戦争もしていないのに戦意高揚とはなんぞや? > 名誉と云う靖国神社の様なものが必要であると云う事なんでしょうか 名誉というよりも、国のために働いた人に対してそれなりの扱いをすることが必要だっただけでしょう。その是非はともあれ、国の命令で国のために行動したことに対する扱いです。 この手のものは、世界中どの国にもあります。日本だけの事情ではなく、ある程度不偏的に必要なのでしょう。
お礼
有難うございます 当時の国の命令で死んだ方を祀るものだったのですね
- 27club
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理由は簡単です。靖国神社肯定派と、否定派を比べたら、確実に肯定派の方が多いからです。ですから、選挙の時に、大変有利になります。もちろん、どちらにも、色々なマインドコントロールもされては居ますが。 多分ですけど、彼らは、靖国に参拝しても、次の選挙に勝つことを祈っていますね。
- hekiyu
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”1 何故神道形式にこだわるのか?” ↑ 神道は日本独自の宗教であり、かつその祠祭者 ともいうべき者が天皇だからです。 ”保守派靖国支持される方は伝統的な神と云うが、古来神話や自然崇拝から 成立した神社とは成立が違うと思います” ↑ はい、その通りです。 本来、神道というのは自然や先祖を想う、という だけの宗教です。 それを戦争の為に、特別に加工したものです。 ”天皇制を強固にし、戦意昂揚をスローガンにしていた” ↑ 要するに、戦争のために国民を一枚岩にする必要があり その為の装置です。 ”歴史的に日本が列強の道へ進んだが、最後は軍部の支配敗戦に至った” ↑ ここら辺りは私と認識がことなりますね。 あれは防衛戦争だった、というのが私の認識です。 代31代大統領フーバーは、あの戦争はルーズベルトが無理矢理日本を 戦争に引きずり込んだ、という書見を残しています。 マッカーサーは米国議会で、あれは日本の自衛戦争であったと 証言しています。 ”もしやして戦わないと属国になる、権力者の利害で戦争は起こる、個人としてみれば殺人であるが、 国を大きくし、我が国を守り為に靖国神社の様な思想は必要でそれを 纏める天皇制も不可欠と云う事なんでしょうか” ↑ 戦わなくても、米国は戦争を仕掛けてきたでしょう。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2以下に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が 街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は さっぱりです。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。 その現れがハルノートです。 米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、 米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。 これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、 ということになり戦争が始まっています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し 真実が明らかにされました。 湾岸戦争 1990年 では アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが イラクのクエート攻撃に対して 「介入するつもりはない」と発言しており これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、 米国軍等により撃退されています。 米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には 一切姿を見せなくなりました。 その他にも怪しいのはいくらでもあります。 以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。 ”事実近隣の韓国等は国の為に命を投げ出す事等も厭わない 世界ではこの様な感覚が多数なんでしょうか” ↑ 国際関係は弱肉強食です。 皆、自国の利益を最大にしようと画策しているのです。 (国際政治学者 藤原 帰一 東大教授) イラク戦争は石油目的であった、ということは国際政治学者 の間では通説です。 石油の宝庫リビアには軍事介入しますが、石油が出ないシリアには 市民が何万人殺されようが介入しません。 このような感覚が多数、というよりも日本を除いた総ての 国がそうであるように思います。
お礼
やはり戦争は経済の為に行っているのですね 歴史的な御回答有難うございました
- ssssan
- ベストアンサー率18% (132/730)
一の何故神道形式にこだわるのかは意味が分かりませんがでは無宗教で戦没者を祭れるんですか? 仏教とかキリスト教等の形式なら良い分けですか? 鎮魂帰神と言う言葉があるようにキチンとお祭りして貰った方が戦没者も嬉しいと思いますが、貴方自信があそこに祭られる身に成ったら理解出来ると思いますが? 赤の国以外に無宗教で戦没者を祭ってる国が有ったら教えて、私は一国も知りませんが? 二も何故なんですが、故人を忍んで戦没軍人の為に軍服来てお参り別に何か変ですか? 韓国等は国の為にいのちを投げ出す事も厭わないは現在の南朝鮮では冗談かと、例 イギリス五輪のサッカーを例に取ると何でメダルを取ったら徴兵免除と言って死に物狂いで頑張るのかな? 軍役に付くのは名誉じゃないの普通はそんな餌付けるなとサッカー選手は南朝鮮酋長に侮辱するなと抗議するのが普通では国の為に命を投げ出す≒愛国者だっら、それが真逆なのは何でかな説明してくれます? それとシナ.朝鮮人の国外移住熱は異常に見えます端から見てると。 統治時代の朝鮮人には愛国者が居た事は間違い有りません。 統治されてる朝鮮人ですがあの頃は日本人に成りきってる朝鮮人が多数いましたから兵募集で何十倍.何百倍の競争率だった記録も残ってるし、海陸軍の特攻要員に志願して実際にサンガした搭乗員も何十人も要るし*犬エチケーでも放映してて出撃する直前に残した辞世の句とか自分て゛作った歌を歌ってるテープが有りました/出だしがギューットにぎっーた操縦桿て゛始まる/こういうのが国の為、郷土の為に命を捧げると言うと思いますが?
- Subaru_Hasegawa
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靖国神社と現状の天皇制は何の関係もありません。寧ろ、靖国が神道を名乗る事自体が おこがましいのです。このあたりは日本人の宗教観の無さが原因と言えます。まあ、 恥ずかしいですね。また、神を持ち出すならば何故負けたのか。戦争を正視眼で 認識できない愚か者には、外交を考える資格は無い。戦略と戦術が元から破綻していた、 そのために惨敗したのである。現代中国と大差ない思想統制を行い、死んだら靖国で~ なんて馬鹿馬鹿しい事この上ない。負ける戦争をして負けた、この事から目を反らす 材料にしかなっておらず、今でも歪んだ靖国ファンタジーに便乗しないと、国防の 大義名分が整わない。何と脆弱な事か。 だから、中韓ごときにツッコミ入れられるのです。元来、無宗教と言い張るのに、 靖国のフィルタが必要なのは、靖国がクリスマスのイベント並みの軽さでしかない事を 自認しているようなモノですから。 ちなみに、韓国は徴兵から逃げようと躍起になる者が多い。質問者が思い込むのは 勝手だが、事実と異なる認識である事を申し上げておく。妄想に近いね。
お礼
開国時に大義名分が必要だったのですね
お礼
有難うございます やはり開国時に天皇制を打ち出す思想が大きいのですね 追悼は様々な方式で良いのですね