- ベストアンサー
IBMとマイクロソフト
こんばんわ。 私はコンピュータに関しては全くの素人、今は参考文献を読みながらの質問です。 1960年代、日本のコンピュータ市場でのIBMのシェアは70~75%で、他の7~8企業(富士通、日立、日本電気、etc)は、IBM互換路線をとることでしか生き延びていけなかったようです。 1974年に富士通がIBM互換のM-190を発表してから業績を伸ばし、85年にはIBMの売り上げと一桁しか違わないくらいだったのが、IBMが富士通の互換路線は知的所有権の侵害であるとして結局富士通に対して過去からのソフト使用料金を要求したとあります。 ここまで市場を席巻していたIBMですが、今は国内シェアはマイクロソフトにとってかわられていますよね。 そこのところの経緯を書いてある文献にたどり着けなくて困っています。 IBMという王様がどういう経緯でマイクロソフトに市場をとってかわられたのでしょうか? それと、他の本で「IBMに最後まで対抗するのは日本の富士通と日立であろう」という一文を読んだ気がするのですが、今現在富士通と日立にそんな力はありませんよね(素人意見なので見当違いだったらごめんなさい)。 日本の(世界も?)コンピュータ業界はいつからマイクロソフトの顔色を伺い、独自路線で開発する力を失ってしまったのでしょうか。 明日図書館へ行きますので参考になる文献など知っていたら教えていただけませんか。 また、本を5冊ほど読んだだけの付け焼刃の知識なので見当違いのことを言ってるかもしれないのでご指摘お願いします。 宜しくお願いいたします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
えーっと勘違いなさっていませんか? IBMは「PCハードメーカ」であり、Microsoftは「PCソフトメーカ」で、お互い分野が違います。 なので、「IBMのシェアをMicrosoftが奪った」というのは表現が違います。 「NECや富士通、東芝、日立など他のPC製造メーカに奪われた」というのが正解です。 そもそもMicrosoftがここまで市場を独占できたのは、IBMのPCに搭載するOSに「MS-DOS」を制定させたのがきっかけです。 当時はIBM製PCのシェアが70%以上ですから、IBMのPC用のアプリを作る際にはMS-DOS上で動くことが前提にして開発することになります。 しばらくはIBMだけがMS-DOSを搭載していたのですが、その後Microsoftは他社製PCにもMS-DOSを供給し始めます。 すると別段「IBM製のPC」でなくてもアプリが動くため、他社の(安い)PCに切り替えることが可能になったわけです。 これが同時にIBMのシェアが落ちるきっかけになったわけですが・・・。
その他の回答 (4)
- Pesuko
- ベストアンサー率30% (2017/6702)
汎用機とパソコンの話がぐっちゃぐちゃに入り乱れています。 論文ですか? 調べた内容を汎用機とパソコンで整理した方が良いですよ。 また、汎用機とパソコンのどちらを書きたいのか、ハードとソフトどちらをメインに書きたいのか決めましょう。 >1960年代、日本のコンピュータ市場での >1974年に富士通がIBM互換のM-190を発表 汎用機の話です。 >席巻していたIBMですが、今は国内シェアはマイクロソフトにとってかわられて パソコンです、おまけにハードとソフトの切り分けが出来ていません。 >IBMに最後まで対抗するのは日本の富士通と日立であろう 汎用機です。 >今現在富士通と日立にそんな力はありませんよね この考察に至る元のデータが解りません。 >マイクロソフトの顔色を伺い、独自路線で開発する力を失ってしまったのでしょうか。 パソコンです>>TORONの事を調べてください。
お礼
こんばんわ。回答ありがとうございます。 たくさんご指摘ありがとうございます! なるほど私の言うことはめちゃくちゃですね(笑)。 論文ではないのですが、仕事で必要な文書を作成していて、どうしても日本のコンピュータの歴史について書きたい部分があるのです。 その文書自体はコンピュータとはあまり関係の無いものなんですけどね。 コンピュータに関する記述はたった2~3行の予定なんですけど、理解していないことを書いちゃいけないと思って、金曜日くらいから何冊かコンピュータ関係の本を読んでいます。 本格的なコンピュータ関係の本は専門用語が多すぎて私には何のことやらさっぱりわからないし、単なる歴史的文献だと、基本的知識が無いのでさらにわからないし、自分で調べてもうまく調べられなくて困り果ててここで聞いてみました。 色々ご指摘いただいたおかげで、どのへんがわかっていないのかがわかりました。 まだちゃんと理解するまでには時間がかかりそうですけど、また色々調べてみます。 本を読むのは苦痛ではないのでけっこう楽しんでやっています! 大変参考になりました。ありがとうございました☆
- kacchann
- ベストアンサー率58% (347/594)
有名どころとして、NHKの 「新・電子立国」 (すでに読んでいたらごめん) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802715/249-8471172-6394722
お礼
こんばんわ。回答ありがとうございます。 せっかく今日図書館へ行って来たのに、ここで教えていただいた文献をメモっていくのを忘れました(笑)。 教えていただいた本、とっても面白そうです! ぜひ読んでみますね。助かります。 ありがとうございました☆
- toysmith
- ベストアンサー率37% (570/1525)
1970年代までのコンピュータは大型汎用コンピュータ全盛でした。 IBMは大型汎用コンピュータの大ヒット商品360とその後継機370によって巨大なシェアを得ました。 質問分にあるM-190は370の互換機だったと記憶しています。 そして、M-190を含むMシリーズを生産していたのが富士通と日立です。 この時代は大型汎用コンピュータが仕事を一手に引き受け、ユーザは端末と呼ばれるモニタ+キーボードで大型汎用コンピュータを操作していました。 端末はコンピュータですが、単体の処理能力が低いため、操作対象は大型汎用コンピュータです。 大型汎用コンピュータのメーカーは自社のコンピュータに接続するための端末を発売していました。 IBMなら3270、富士通なら6650という標準端末があったために、IBMの大型汎用コンピュータを作用しているオフィスには3270が大量に納入されていました。 1980年代に2つの革命が起きました。 「パーソナルコンピュータの登場」と「クライアントサーバーコンピューティング」です。 初期のパーソナルコンピュータは基幹業務に使用するには安定度が低すぎたのですが、「大型コンピュータの操作しか出来ない」端末を置き換えるには十分な能力を持っていました。 端末機能は「ターミナルエミュレータ」というソフトに置き換えられ、パソコンで動作します。 初期のIBM-PCにはキー操作ひとつで3270端末のターミナルエミュレータが起動する機能を持っていたため、巷の3270端末は早急にIBM-PCに置き換わっていきました。 IBM-PCはOSにマイクロソフト、CPUにインテルを使っていました。 一方、大学や研究所ではUNIXを使用したクライアントサーバーコンピューティング研究が盛んに行われ、実用化段階に移行していきます。 大型汎用機に縛られてメーカー(=IBM)都合に振り回される時代が終わりを告げ、サーバー機やワークステーションで構成された分散ネットワークによるオープンなコンピューティングが実現され始めました。 1990年代に入るとワークステーションと言う概念は32ビットパソコンに置き換えられました。 パソコンとサーバー機(これもPCサーバーだったりする)によるクライアントサーバーコンピューティングが一般化し、基幹業務すらこなせるようになります。 ここで、ダウンサイジングが実現可能な上級が生まれます。 細かいことを言うとAppleの衝撃(Appleの発売とMacintoshの登場)とかワークステーション業界の攻防(DEC,HPなど)が加わって小説的に面白くなるんですけど…。 結局、大型汎用コンピュータのメーカーたちはパソコンを「端末に代わるモノ」としか認識していなかったため、パソコン開発の主導をマイクロソフトとインテルに奪われてしまったのです。 1970年代には「パソコンで業務が動く」なんて考えられなかったんです。 わざとキーワードだらけの文章を書いてみました。 色々検索してみたら面白いと思います。
お礼
こんばんわ。回答ありがとうございます。 1980年代に入って事態は激変したのですね。 私が参考にした本は、IBM全盛時代のものと、マイクロソフト時代に入ってからのもので、そこの変化の部分がすっぽり抜けていたようです。 一番重要なところなのに・・。 色々な文献を読んでいると、コンピュータ開発に懸けた色々な人の情熱やエピソードが大変面白いと思いました。 事実は小説より奇なり、ですね。 コンピュータに詳しい人が読むときっともっと面白いんでしょうね。 私には覚える事が多すぎて目がまわりそうですけど・・(笑)。 兎に角、とても詳しいご説明、大変参考になりました。 教えていただいたキーワードで色々調べてみます。 ありがとうございました☆
- o_tooru
- ベストアンサー率37% (915/2412)
こんばんわ、疑問はつきませんね。 さてご質問の件ですが、IBMがマイクロソフトにシェアを奪われたのは、パーソナルコンピュータのOSを外注に出したことに始まります。 パーソナルなコンピュータの普及が始まり、サーバーを主眼においていたIBMも対応が迫られました。しかし、大きな企業であるIBMは急な対応ができず、OS 外部に発注することで急場をしのぐことにしました。その発注先がマイクロソフトでした。(そのOSがMS-DOSです) そのライセンスにより莫大な収益を上げたマイクロソフトはその後、ハードよりソフトの時代がやってきて、巨大企業IBMに取って代わることとなります。 この辺のいきさつは脇英世先生の著作が詳しいですよ。
お礼
こんばんわ。回答ありがとうございます。 他の方の回答にもあるように、パーソナルコンピュータの台等というのがひとつの転機のようですね。 OSの開発をマイクロソフト社に発注したまではいいとして、なぜそのOSを他企業のPCに乗せることをIBMが許したのか、そこが知りたくなってきました。 今日図書館で色々本を見てきましたが、本当に探し方が下手なのかこれといった本にめぐり合えませんでした・゜゜・(×_×)・゜゜・。 ビエーン 脇英世さんの著書ですね。実は今日メモって行くのを忘れてしまったので、明日また調べてきます。 大変助かりました。ありがとうございました。
お礼
こんばんわ。回答ありがとうございます。 たくさん勘違いしていたようです(笑)。 一口にコンピュータと言っても色々あるようで、そこから理解しないといけないみたいです。 なんだか気が遠くなってきました・・・。 兎も角、IBMのPCに搭載するOSにマイクロソフト社のOSを乗せたのがきっかけ、というキーワードがわかって大変助かりました。 ここでまたひとつ疑問が出てきてしまったのですが、互換機を作る事すら知的財産権の侵害だと他企業を押さえつけていたIBMが、なぜマイクロソフト社が他のPCにIBM互換のOSを提供するのを許したのでしょうか。 ひとつ知るとまたひとつ疑問が湧いてきて、なかなか先に進めません。 たった2~3行コンピュータの事を書きたいだけなのに、大掛かりになってきてしまいました・゜゜・(×_×)・゜゜・。 ビエーン