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大学教員になるための条件
- 大学教員になるために必要なことは研究業績の量と質が重要です。
- 院生の研究業績では質より量を重視する考え方は、アカデミックな立場からどのように評価されるのか疑問です。
- 大学教員に採用されるためには、研究成果の量と質の両方を追求することが求められます。
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>私は来年度から大学教員として採用されることが決まった大学院生です。 >よく後輩から、「大学教員になるために必要なことは何ですか?」と聞かれますが、そのたびに「研究業績を挙げること」と答えています。 ⇒おっしゃるとおりだと思います。例えば、教授会で採用や昇格を審査する場合、俎上に乗せるべき業績がなくては始まりませんからね。該当する職位での任用に適うか否かの審査はそこからスタートする、つまり、俎上に乗った業績があってはじめて始められることなのですから。 >私の研究室は旧帝大で院生もレベルが高いのですが、質にこだわってなかなか論文が書けないようです。私は、出来が悪くても研究成果をなんとかまとめて論文にしています。とにかく、院生時代は自分の研究を活字にして知ってもらうことが重要ではないかと考えていました。 ⇒それでよかったのだと思います。確かに、「質にこだわってなかなか論文が書けない」と言われるのは時折耳にします。しかし、何ごとによらず、「これで完璧」といえるようなものにはなかなか到達できないものです。もし、「質的完成度を求めるために論文が書けない」のでは、おそらく、いつまでたっても論文は出来上がらないのではないでしょうか。 >そこで質問ですが、院生の研究業績では「質より量」に重点を置く、私の考え方はアカデミックな立場からどのように受け止められるでしょうか? ⇒お若い時ですから、ことさら質にこだわることなく、つまり、「できる限り質的向上を目指す」くらいの留意をしつつ、むしろ研究を精力的に進めることに意を用いればよろしいかと思います。まあ、おいおい「量より質」へ転換していきましょう。 ただし、十分お分かりのこととは存じますが、最低限、論文としての体裁をなしているかどうかには配慮しなければいけませんよね。その際、特に留意したいことは、(1)導入部(本テーマを取り上げる動機・概要・方法論)の提示、(2)取り上げるテーマの妥当性(先行研究と欠落・時宜性・当為性など)、(3)理路整然・首尾一貫した論述、(4)起承転結、特に結論部の説得力、(5)引用部分の明示、(6)参考文献の紹介、(7)別言語でのレジュメ、などではないかと考えます。 以上、不一ながら、ご回答申しあげます。ご活躍のほどをお祈りいたします。
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- kgu-2
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大学の使命は、教育と研究。教育が抜け落ちている。 >私の考え方はアカデミックな立場からどのように受け止められるでしょうか? 『出世にしか興味のない』『お友達にはなりたくない、つまらん人間』 というのが感想。最近は、というより昔からこの輩が多くて、大学はダメになる。 もっとも、文部科学省からの有難いご指導により、大量生産を求められているのが現状。霞が関のカシコイお方は、救いようが無い。特に、国公立は、気の毒か、それとも自業自得か。 論文の大量生産は、二番煎じ、という方法を実行すれば簡単。実際にやっている人も知っていますが、尊敬はしていません。そして、尊敬されない教員なんて、教育者として失格。 ついでに、「本当にいい論文」とはどんな論文でしょうか、考えてみて下さい。
お礼
御回答ありがとうごいます。 論文量産という文科省の意向があるのはよくわかります。論文の数と引用数が大学の外的評価になるからだと思いますが、文科省の手法は研究補助金を多く出すことや大学院の定員増員などだと思います。 ご指摘頂いたように「よい論文とは何か」という問いが欠けているならば、「出世」や「自己保身」と見られても仕方ないと思います。この視点を忘れないように研究を進めていけたらと思います。
- SPS700
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#4です。補足です。 >>アメリカの方では、厳格な教員審査の査定が行われるのですね。日本と大きく違うところは、学位がなくても業績で置き換えることができるところでしょうか。 アメリカの「普通の」大学での採用最低条件は、PhD があることです。有名大学が「ミスタースクール」と呼ばれるのは、教職に就けるのは皆「ドクター」だからです。 ですから業績なしでもらう PhD もないし、就職先も無いどころか、咋今は「学位はあるけれど」の時代で、PhD の運転するタクシーに乗ることは珍しくありません。
お礼
補足説明ありがとうございます。 博士号が最低条件というのもすごいですが、学位を取っても大学教員になれない人が多いのも事実なんですね。 すべての博士号取得者がアカポスを目指すわけではないと思いますが。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕の知り合いや家内の身内には、大学で教える商売をしているのが居ますので二三。これはアメリカの話ですから日本とは違うと思います。 しかし、「准教授」、「大学院」、「ロースクール」などという物はアメリカからの輸入品ですし、輸入を通り越して「拡大」したものもありますから(例えば英語>和製英語、バレンタインデー>ホワイトデー、教授>大学院教授など)ご参考になるかもしれません。 教員として続けるには3つの基準があります。 1。 教授法 査定は学生の評価、参観に行った他の教授の意見。シラバスなど教室で配布した資料、などが使われます。みんなに甘い点をやって評価をよくしようと言うのは、全学の教員別平均がすぐ分かる今では通用しません。 2。 管理ないし大学や地域社会への奉仕 教授会への主席、発言、アドバイザーとしての管理能力、論文の主査としての指導力、学界での発表回数、学会の役員としての活動、他の大学への客員としての要請回数、などが使われます。 3。 研究業績 これがご質問の要点ですが、数より(ただしゼロではダメ)質、世界的な学術誌に出た回数、同じ専門の他の学者による評価(peer review と言います)、などが使われます。 助教授から准教授への昇格は、以後は回転ドア(仮雇用)でなく tenure (退官まで雇用)になるので、最少、一冊の単行本の業績が期待されています。 ご質問の「院生の研究業績では「質より量」に重点を置く、私の考え方はアカデミックな立場からどのように受け止められるでしょうか? 」ですが アメリカの場合、数人の正教授(内一人は科外、時には学外から)による査定なので、論文の数だけで誤摩化せる人達ではなさそうです。ま、くだらない研究100よりも、学界の注意を引く1本ということでしょうか。 ただこれは僕が聞いた話で、アメリカの大学と行ってもピンからキリまでありますので、、、、
お礼
御回答ありがとうございます。 アメリカの大学教員の評価について、教えて頂きありがとうございます。とても、参考になりました。 アメリカの方では、厳格な教員審査の査定が行われるのですね。日本と大きく違うところは、学位がなくても業績で置き換えることができるところでしょうか。 ここで問題になる論文の「質」ですが、若手のうちは「自分は質の高い研究を目指して大きな業績を残したい」と思って進学しますが、院生時代に達成できる人はほとんどいない、ということです。それよりも、修業時代は質にこだわって論文作成能力を十分につけないことが問題ではないかと思っています。
- raski
- ベストアンサー率34% (140/403)
お礼ありがとうございました。 わたくしは教育社会学・教育行政を専攻しましたが、今は経営学修士と言う紆余曲折者でございます。 研究室は経営情報システム論の先生のご指導の話です。 実際、どちらの分野も研究者、実務者、市民、マレーシアの少女に至るまで、世に問うて、評価され批判されてこそ社会に還元できる研究者になって行くのではないでしょうか? 拝
お礼
やはり、いろんな分野を学ばれている方だったのですね。すばらしい! 研究することは自分の興味だけでなく「社会に還元できる」ことが必要だと改めて気付かされました。 ありがとうございました。
- raski
- ベストアンサー率34% (140/403)
おっしゃる通りと思います。 わたくしの分野とご質問者様の分野では違うかも知れませんが、発表成果が多く、広く読まれ、評価や批判を受けてさらに研究に邁進されている先生は尊敬します。もちろん10年かけて素晴らしい成果を公にする先生もいらっしゃいますが。 もしわたくしの知る分野が違っていてとんちんかんかも知れませんが、他の分野の素人がどう見るかと言う一つの私見としては、半年に一本とか二年に一本とか発表されていると勉強しやすいので助かります。 失礼ですが、もし差し支えなければどのようなご専攻で、その分野の先生方はだいたいどのくらいのペースで、論文を公表されておられるのでしょうか?ご教示いただければ幸いです。 実はわたくしは修士に過ぎませんので本当にここに書き込むのも汗顔の至りなのですが、博士課程から教員になられた先輩がたを恩師がご指導なさっているのを見てきたところ、「とにかく人前で発表して己を磨け」と言うものでした。先生は正しいと思っています。実際そうして教員になられた方々は尊敬すべき先生になっておられます。
お礼
御回答ありがとうございます。 >「とにかく人前で発表して己を磨け」 本当にこの言葉は研究者に必要な条件だと思います。raski様がとても良い研究室で学ばれていることとお察し申し上げます。 さて、ご質問頂いた分野と研究発表回数ですが、私の分野は教育哲学です。この分野では、学会の査読論文はほとんど通らず、だいたい3編のレフリー論文を持っていると教授までいけるのではないかと思われます。発表論文は、所属する大学の紀要に一年に一本程度出せれば順調に研究しているとみられるのではないでしょうか。 まだまだ半人前なので、あいまいな答えになり申し訳ありません。
お礼
御回答ありがとうございます。 Nakay702様にご指摘を頂いて気付いたのですが、論文を書いてみなければ指導教員からも「論文の体裁」について、指導を受けることがなく、論文を書く力がつかなかった可能性がある、ということです。 Nakay702様の7つの内容は、実際に論文を書くとなると本当に大変だと思います。特に、(3)、(4)は時間をかけて何度も直した覚えがあります。 やはり、院生と言っても、研究課題を見つける時間は、修士の半年か一年くらいにして、あとは、論文を実際に書いてみないとだめですね。 最後に、激励のお言葉を頂戴して気持ちを新たに研究者として邁進していこうと思います。