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憎しみの果てに何が待つか

相手を痛めつける機会にも恵まれず、 想像を絶するほどとことん憎しみ抜いた果てに たどり着く境地はどのようなものだと考えますか?理由も合わせてお答えください。

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noname#176106
noname#176106
回答No.18

再度の回答ご容赦下さい。 憎しみ抜いた果てにたどり着く境地は前回答と同じく虚無感ですが、 真正面から何度でもその憎しみの心に、自分の心に正直に偽りなく立ち向かって行かずに 放置し続け心を置き去りにしてしまうと、 いつの間にかなぜかわからず涙を流している自分に気付き、 なぜか泣いている自分に悔しさと虚無感を感じ、だんだんと心が壊れていってしまいます。 その時にはもう相手への憎しみはもうありません。 自分へ憎しみが還って来たということでしょう。相手へ向けた気持ちは必ず自分の素へと還ってくるのです。亡くした自分の心を想って自分の心が哭いているのでしょう。 やはり人は自分の心をまず何よりも先に優先しているのだと思います。本能でしょう。 それが一番良いことだと私は思っています。自分の心も相手の心も大事にする。大切にする。 自分の気持ちも心も体も大事にしてゆく。その上で相手の心と気持ちを頒かち合う。 でないと本当に何もかもが無くなっていってしまいます。 結論と致しましては、 境地へは確かにたどり着く。です。 ですが憎しみ抜いた心ではなく、憎しみが消えた後の心が境地へたどり着く。が、私なりの自論と結論です。心に穴が空くのです。空いた心の穴を埋めるのは並大抵ではありません。 蝕んでいった憎しみは心に穴を空けます。 心に穴を空けた憎しみは、その憎しみが一時どこへ行こうと必ず自分の素へと還ってくるのです。 以上で回答を終わりにしたいと思います。 憎しみごと心を果てへと持って越えてゆける心があれば生きてはいけます。 果てしなく突き抜けていく心が大事です。槍通す。です。

noname#191845
質問者

お礼

貴重なご回答ありがとうございます。 机上の論ではない感じがしました。

その他の回答 (19)

回答No.9

 理性に依って憎しみの心を増長させることも十分あり得ます。  ただ、そうした理性的憎しみの意志は、感情のままの憎しみの世界とは違うように思います。    想像を絶するほどとことん憎しみ抜いた、と云う表現には理性の介入を感じます。    理性には冷静という要素があると思いませんか。  理性による憎しみは“想像を絶する”ような憎しみとなるのでしょうか。  その世界には、冷静、沈着と云った感情に左右されない“貴方”がいるはずと思うのです。  そこに気づいたとき“貴方”は狂気の世界に飛び込めると思いますか。    

noname#191845
質問者

お礼

憎しみからは逃れたい、しかし逃れる手段はない。 逃れられないのなら、どうせ苦しむのなら、とことん憎しみ抜き、克服したい。 できれば、その先は平穏であってほしい。 そのためならば、狂気の世界に入り込むしかないと思います。

noname#176106
noname#176106
回答No.8

お礼回答ありがとうございました。 <再燃しうるのではないですか? 「あ、なんかそんなんいたね」せいぜいこんな感じです。 10年程度で消えますよ。ご心配なく。それ以上続くのはそうとうです。 ま、良い人も悪い人も閻魔様んとこいって裁いてもらえるからオーケーでしょう。 天界目指しましょう。 私自身もあるないはどうでもいいですけれど。やるのみ。 裁かれるなら良い人として裁かれましょ。 時間の自動スクロールでも毎瞬、毎時、毎日、、、裁かれているわけだし。 憎しみ程度では果てへ行くまでもなく消えるでしょう。 その果てを越えいけるものを持っていきましょう。

noname#191845
質問者

お礼

忘れる、のは憎しみ抜いた結果なのでしょうか。そうかもしれません。 ありがとうございました。

  • touchy
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回答No.7

痛めつける機会に恵まれるまでずっと待ち続ける人がいます。 また、待てなくなってどうでもよくなる人もまた、います。 そして、待ち続ける人だけが最後に辿り着く境地。 それは、 自分がこんなにも不運であると思い、他人への妬みが最大化すること。 強力な自己の正当化、です。

noname#191845
質問者

お礼

私はそうでないと信じたいです。 ですが、それもまた充分ありうる結末だと思います。しかし、それで本当に憎しみが終わったと言えるのでしょうか。

noname#183245
noname#183245
回答No.6

憎しみの方向次第。 罪のない人に向ければ、破滅。 それを行動力に転化し、成功すれば、しあわせや感謝。 憎んでいる相手に向けた時が…微妙ですね。 信念と野心かな。 クロサギが詐欺師を裁くように。 ぼくは好きですけど。

noname#191845
質問者

お礼

信念と野心は、確かに納得しうるご回答です。 しかし、敵意のようなものが残っているということは、まだ憎しみ抜いていないということではありませんか。

回答No.5

 憎しみの果て、憎しみ抜いた果てには・・・  二つのパターンがあるように思う。  自身を見つめる客観力があるかないかで別れるはず。  客観力がなければその感情に埋没したまま突き進むので、憎しみの果ての世界は狂気。  客観力があると、そうした自身の感情を見つめ続けるので、その世界に埋没できず、また狂気の世界を垣間見たとしても、そうした自分にさえ気づき客観力の働きが引き止めてしまう。    客観は理性の働き。  感情を抑制する働きを持つ理性は、“感情と裏表”のような関係であるのかも知れない。  理性は肉欲から離れようとする方向性、指向力、が潜在しているから狂気の世界に近づくと、その正反対の世界に気づくことになり、結果、回答No.1さんが示したような境地になると思う。  ☆ 将棋の世界の羽生善治が、狂気の世界に入りそうになっても、止(とど)まっていられるのはこの理性の働きが強いから。

noname#191845
質問者

お礼

理性によって憎しみ抜く道を敢えて選択することもできるわけです。

回答No.4

見ざれば在らず、聞かずば識らず。 一般に憎悪の原因が肉体的な暴力によるもので ある場合は稀であり、視覚や言語によるもので あれば、気にしなければ何ともない。 たとえばあなたの活動を阻害するような影響力を 及ばされたとしても、あなたが正しい社会性をもって 助け合いとして行動しているならば、それを封じる事 (またはあなたの提示する正しい考えを否定する事) は即ち、相手が損をする事であり、あなたが何もし ない事がそのまま復讐にもなる訳だから、いちいち 腹を立てる必要もない。 自分の信じる道をゆく事以上に、他人に期待する 甘えが、憎悪につながる‥‥道に穴が開いていれば ごく自然によけて、穴に怒ったりしない。 相手が木石だと思えば、ただ静かに回避するだけだ。

noname#191845
質問者

お礼

憎しみ抜いた果ての境地を聞いています。 憎いものは憎い。それはどうしようもないではないですか

回答No.3

 こんにちは。  ★ 憎しみ  ☆ に罪はありません。  しかも その対象が 思惟や行為に対してであるなら 大いにそのマチガイを憎むべきです。  なぜなら そのマチガイの可能性が 自分の中にもあるので 仮想の上で二度とそのマチガイを起こさぬようにも そのマチガイの理由や原因(またその起こった情況)を洗い出してそのときの具体的な判断のあやまりについて憎んでおくべきです。  これは 自分の思惟や行為にしろ相手のにしろ第三者のにしろ その判断のアヤマリについて徹底的に憎んでおくべきです。そのことが想い出されるたびにとことん憎むべきです。  ★ 想像を絶するほどとことん憎しみ抜い  ☆ ておくべきです。  ただし もし憎む対象が ひとであった場合 どうなるか?  人間なる存在に憎しみをおぼえそのままその相手を憎みつづけたなら どうなるか?  人間を対象に持った時点で おわりです。  なぜなら 人間ないし存在は すでに自分のことでもあるからです。  自分に対して憎しみを持ち 憎み続けるというのですから その始まりの時点で おしまいです。人生と存在とたましい ぜんぶがおしまいです。

noname#191845
質問者

お礼

おしまいというのはどういうことでしょうか。

回答No.2

こういうサイトで、そのたどり着く境地を質問することだと思います。

noname#191845
質問者

お礼

ならば私的には質問するまでもないことです。

noname#176106
noname#176106
回答No.1

境地、ですか。哲学カテ、ですし。 憎しみ抜いた果て。果て、がすでに前提なので。 (果ての果て~・・・・・・もあるでしょうが、そこへ辿り着けるのは・・・) どうなるか?には、 どんどんと虚しくなっていく。何も残らくなっていく。何も、得た、というものがなくなっていく。 でしょう。自然淘汰で、時間の裁きです。そこには何もないと知る(果て、へ行くほど)。 感情的感覚としては、「あー、。。。なんだったんだろうな~。。。」 となるだけだと思っています。 今現在、「あいつ憎たらしいなー。」と思ってみても、 その感情に対しては、だから何?それで?どうすんの?という、ツッコミ、で終わりでしょう。 なので、あえて「何が待つ」という問いに答えるのであれば、 ツッコミが待っている。(ツッコむのは時間さん) 憎しみの果て、には何も待っていない。憎しみが消滅して終わり。

noname#191845
質問者

お礼

たしかにそうかも知れないですね。でも、完全に消し去ることはできず、いつかは再燃しうるものではないですか。