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人間は知恵を得てから暗闇が更に深くなった

うろ覚えで申し訳ないのですが、どこかのカレンダーに書かれた箴言で「人間は知恵を得てから暗闇が更に深くなった」というような意味の言葉あって気になっています。大体、知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。単純に考えてこれは反語的な、ひねくれたアフォリズムのような気がします。 もっとも、人間は善悪を考え出したりして、却って混乱してしまったという部分もあるかもしれませんが、ちゃんと整理する知恵ももっているはずです。どう思われますか。それとも私が単純すぎて何かを見ていないのか、何か間違っているのでしょうか。出来れば易しい言葉でご指導ください。

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回答No.18

 再考です。  「人間は知恵を得てから暗闇がさらに深くなった」  この文から感じ取れる“知恵”にkomaasさんがここでいうところの“知性”は含まれてないように思います。  悪知恵、なんて言葉がありますが、人間は他の動物より利口な頭を持ってしまった、というくらいの捉え方でいいのではないでしょうか。  その利口な頭は常に、自身の身に起きる出来事に対しての判断の基準に“損得”が現われます。  そして、この“損得”は物的欲望にも精神的欲望にも。  ☆ 欲望の現われ方によっては、人の精神を暗闇と化す。  komaasさんが取り上げた文や、取り上げようと思ったその想いの裏には、精神の向上、と云った事に思いが至っていることが分かります。  その精神の向上を“知恵”が阻んでいると、この「文」は云っていると捉えました。  物的財産も精神的財産も手に入れてしまうと、手放したくないものですが、「文」に含まれる意味は、そうしたことが精神の暗闇を作り出してしまうんだと云っているようです。  どなたかの回答にありましたが、身軽であることが暗闇から抜け出るためには必須、と云う事なのでしょう。  ☆ 精神に内存する“向上心”は「知恵」が悪い方向に働くと暗闇で覆われてしまう!  

noname#194996
質問者

お礼

いいやいいや様(とお呼びしてよかったでしょうか?)重ねてのご回答ありがとうございます。 >さんがここでいうところの“知性”は含まれてないように思います。  悪知恵、なんて言葉がありますが、人間は他の動物より利口な頭を持ってしまった、というくらいの捉え方でいいのではないでしょうか。 これはまた、発想の転換とでもいうべきお説ですね。 >人間は他の動物より利口な頭を持ってしまった、というくらいの捉え方でいいのではないでしょうか。 なるほど、そういう解釈なら暗闇云々はすっきりと理解できますね。 利口な、とか小利口なとかいう言葉は少なからず良くない方向に捉えられることがおおいです。考えてみれば知性、科学という範疇は倫理的には中立であり、ここでの価値判断は欲望に引っ張られます。そのことを仰っておられるのですね。 > ☆ 欲望の現われ方によっては、人の精神を暗闇と化す。 ううむ。 私はこのカレンダーの発行元が仏教集団だったこともあって「知恵」という言葉に無意識のうちに倫理性を託していたのかもしれません。人間の内面にこだわりすぎていたのでしょう。 至極残念なことではありますが、この「知恵」はさらりとふつーの解釈で流すべきだったのでしょう。 >どなたかの回答にありましたが、身軽であることが暗闇から抜け出るためには必須、と云う事なのでしょう。 こういうお言葉がいまさらのように思い出されます。頭が悪いもので皆さまにくりかえし言って頂かないと泌みこまないということでしょうね。 もちろんこういった小利口が原発などとも関係しているらしいことがわかってきました。 奥の深い箴言ですね。私はアホリズムと解釈していたようですがw失礼千万でした。

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その他の回答 (17)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.17

komaas88さん、今晩は。 カレンダーに書かれた(、ような(笑))言葉で「・・・どうにも、腑に落ちない」というようなことは、ありますあります。

noname#194996
質問者

お礼

栗なる様ご回答ありがとうございます。 >どうにも、腑に落ちない」というようなことは、ありますあります やっぱり皆さまご経験がお有りなのですね。少し安心いたしましたw >カレンダーに書かれた(、ような(笑))言葉 このカレンダーは真宗の発行したものです。結構権威的?なものなのです。 わざわざのご報告痛み入ります。

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回答No.16

そのカレンダー、その箴言ともに知りません。 また、先行回答も読んでいません。 『暗闇』について、言葉バンクで、次の説明があります。 http://kotobank.jp/word/%E6%9A%97%E9%97%87 くら‐やみ 【暗闇】 ❶ まったく光がなく、暗いこと。また、その所。くらがり。 ❷ 人目につかないところ。人の知らないところ。「―に葬り去る」 ❸ 見通しがたたず、将来に希望の持てないこと。「病気つづきで先は―だ」   くらやみ【暗闇】 大辞林 第三版の解説 (1) 明かりがなくて暗いこと。また,暗い場所。くらがり。 (2) 人の目につかない所。人に知られない所。 「悪事を-に葬る」 (3) 前途の見通しがはっきりせず,将来に希望がもてないこと。 「社会正義が通らないようでは世の中は-だ」 [句]暗闇から牛を引き出す ・暗闇の鉄砲 ・暗闇の恥を明るみへ出す ・暗闇の頰冠 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 上記の❶や(1)の意味ならば、動植物にとっても暗闇があるでしょう。 上記の❷(2)や❸(3)の意味で暗闇を意識できるのは、知恵ある生物、先を予測して希望を持ったり落胆し「お先真っ暗」と理解できる生物しかいないでしょう。 知恵のない生物やまだ満2歳にもならない(知恵の発達が即物的な段階)では、❷(2)や❸(3)の意味で暗闇を理解もできないでしょう。せいぜい❶や(1)の意味で真っ暗を恐れるくらいしかできないでしょう。 知恵を獲得できたから、暗闇を理解し、「暗闇の“深さ”」の概念を獲得できるのでしょう。 単なる植物や知恵がまだ発達していない状態の動物や人間では、暗闇は暗闇であって、「暗闇の“深さ”」などというイメージは理解できない、存在しえないものです。 人間は知恵を働かせることで、暗闇にも深さがあると気付いたのでしょう。 その「暗闇にも深さ」は、自然に存在するものではなくて、人間が知恵をつけてしまった結果人間が作り出したり、作り出せるようになったものでしょう。もちろんうまくやれる人間であれば、その深い暗闇を明るくしたり、暗闇ではないようにもできるでしょう。 ただ6歳以上の全ての人間が暗闇を明るくすることができるというものではないでしょう。    精神障害に、パニック障害、暗所恐怖症など、あること・ある場所・ある状況・ある人物をイメージしただけで恐怖や不安や嫌悪などの情動が発生してしまう人がいます。 人間以外の動物でもPTSDのようなことが起きます。 そうした障害もある程度知恵が働くから起きることです。 知恵がまったくないのであれば、そうした障害は起きないでしょう。 ❷(2)や❸(3)の意味で暗闇を深くするのも、知恵が原因であるともいえるのでしょう。 ただ、「ある程度の知恵」がうまく問題整理、分析、心理トレーニングにも回るようになると、暗闇を暗闇でなくする方向にも働くことができる可能性が出て来ると思います。

noname#194996
質問者

お礼

モトー様ご回答ありがとうございます。 暗闇 という言葉に着目して詳細に調べていただきました。 >「暗闇にも深さ」は、自然に存在するものではなくて、人間が知恵をつけてしまった結果人間が作り出したり、作り出せるようになったものでしょう。 さきのヂヂット様もそのような説を出しておられました、暗闇を作る知恵もあると。 それが事実なら近年に至って闇が更に深くなったというこの箴言の仮説はあながちまちがいでもなく科学の進歩に比例することもありうるわけですね。私はずっと「闇」は無知と同義だとうかつにも思ってきましたがこれは間違いだったようです。これに着目しつつまた皆さまのご回答をいちから読み直してみようと思います。

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noname#221368
noname#221368
回答No.15

 感想です。 >人間は知恵を得てから暗闇が更に深くなった  正しい気がする・・・。そして言い当て妙のような・・・。  でも史実を見る限り、紀元前のある年に突然知恵を得たのではなく、人間は最初からそれを持っていた。 >大体、知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。  闇の解消法がわかったという事は、闇の発生方法もわかったという事です。そして人間は、およそ可能である事は、何でもやりたがる動物です。それは時に進取の気性とか、チャレンジ精神とか言われますが、運用を誤るととんでもない結果になるのも事実です。  歴史上には、闇を払おうとしなかった人達や、闇を生成しようとしなかった人達はいません。いるのはただ、闇を払おうとした人達と、闇を生成しようとした人達だけです。  そう考えるとこの世界は、危ういバランスの上に成り立っているのかも知れませんね。世界規模で考えるとそう思えますし、日本の現状は、払う側が少しだけ上回っていると信じたいです。  ・・・しかしそれでも、「私は知恵(知性)と共にありたい」と言ったのは、ソクラテスか誰かだったと思います。葦のように余りにも儚く弱いけれど、考える能力(知性)を持っている事が人間の価値だ、と言ったのは「考える葦」のパスカルです。  どうも知恵は、人間の性のようですね。付き合って行くしかないようです(^^;)。

noname#194996
質問者

お礼

ヂヂット様ご回答(感想?)ありがとうございます。 >正しい気がする・・・。そして言い当て妙のような・・・。 そうですかー、そうかもしれません。私も最初は無視しようとしましたが、どうもひっかかるものがあって、この言葉の放つついわくいいがたい臭気の魅力のようなものが結局この質問になったわけですが。 >歴史上には、闇を払おうとしなかった人達や、闇を生成しようとしなかった人達はいません。いるのはただ、闇を払おうとした人達と、闇を生成しようとした人達だけです。 このお考えはここでは新鮮ですね。闇を作り出そうとした人たちも居る。知恵が却って闇を生成することになった。そして知恵と知恵が闇の中でせめぎあっているということですか。なるほど、そういう解釈もありうるのですね。目からうろこです。 哲学者達はおおむね知性を信じ、それに価値をかさねているように思えます。しかし世界はそのほうに着実に進んできたとは思えません。2000年をはるかに超えて哲学者が考え続けてきたのは何だったんでしょうか。 >どうも知恵は、人間の性のようですね。付き合って行くしかないようです(^^;)。 ぢぢっと様に寄れば知恵は闇を払い闇を作る、人間の思いのままになるツールではないようです。確かにそれも一理あるようで。はて、私も混乱してきました。

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回答No.14

こまあすさん こんにちは もう、回答が出きったような気がしますが、私の考えを投稿します。 私は、この質問でアフォリズムなる言葉を初めて知りましたが、この詩を思い出しました。 冒頭だけ抜粋します。 雲の柱(The pillar of the cloud) ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801~1890) 「やさしき導きの光よ、暗雲立ちこめる世界のただ中で 私を導いてください 夜は暗く、わが故郷ははるかに遠いのです。 どうか行く手を照らしてください。 望むのは、遠く美晴るかすことではなく、 一歩一歩の足元を確かにすれば充分です。・・・・・」 だいたい 同時代のヘーゲル(1770~1831)は 「ミネルバ(知恵の女神)の梟は迫り来る夕闇と共にはじめて飛び始める」 私はヘーゲルの「法の哲学」なるものは読んでませんから、大きなことは言えませんが いつの時代も人間は暗闇の中をさまよい、小さな光に希望を抱いている。 しかし、ノストラダムスがなんたらかんたらとの終末思想は良く出ますが、時代は続いている。 「主を畏れることは、知恵の初め。」箴言 1章7節 畏れるとは恐れることでなく、神にへりくだり賛美すること 哲学的に言うと理性の暴走を抑えること。 原発問題に見られるように、科学は人類に享受をもたらす正の部分と負の部分を伴いますが、人間理性を暴走させず、コントロールすれば、未来は明るいとポジティブに考えておりますが、 どうでしょう?

noname#194996
質問者

お礼

アメンホテプ様ご回答ありがとうございます。 お名前は古代の天才技術者だったかと思いましたが、仰ることは神がかっているような。 >いつの時代も人間は暗闇の中をさまよい、小さな光に希望を抱いている。 神を創造したのも人間の知恵でしょうね。その神を疑い、裏切るのも別の知恵なのだと私は思いますが、それは闇を呼び寄せる狂気なのでしょうか。神は最初の憲法と倫理を人間にもたらし、そして人間を一定の規矩にはめて飼い犬のように、羊のようにおとなしくさせてきました。このままなら暴走して崖を目指すことはなかったということでしょうか。でも宗教戦争はなくなりません。 >原発問題に見られるように、科学は人類に享受をもたらす正の部分と負の部分を伴いますが、人間理性を暴走させず、コントロールすれば、未来は明るいとポジティブに考えておりますが、 たしかうきよとんぼ様も原発に言及しておられたようですが、科学の闇と光の問題はなるほど人間の業に属する悩ましい問題ですね。理性そのものが未来の闇を生み出す。これをコントロール出来れば闇など糞食らえですが。 >もう、回答が出きったような気がしますが 想思われるのですね。どうも私の知性が足りないのか、皆さまの珠玉の回答群を読ませていただきながら、いまだに闇を徘徊していますw

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.13

先祖伝来の生活環境やロジックは自分の血肉になっているものだと思います。 ご先祖様は今と違った当たり前の中でご苦労をされてきたことと思いますが、 人間関係の中でも比較検討する複雑な情報も手段からして少なくてなかったので 苦労を苦労ともしなかった、ただ当たり前なことを当たり前とする深さ?がわかってた。 情報量の多さを包摂順序といい情報量の少ない方が、情報量の多い方を包摂します。 例えば動物は犬を包摂します。 明るさ暗さも概念という思考形式を包摂しているのでは。

noname#194996
質問者

お礼

ミコーデシ様ご回答ありがとうございます。 昔の人間は扱う情報量が少なかったし、限定された本能的な判断を淡々と行い、その真実の深さは実感していたといわれるのでしょうか。なるほど、彼らは闇の存在などは考えもしなかったのでしょうね。 そこでは明暗というのはすべての基本として君臨していた。彼らにはそれは当たり前のことだった? たしかに現在の人間は多すぎる情報量の中に溺れ、逆に判断力をすり減らしてつかれきっているようにも思います。暗い深みでの情報を病的にまで気にしすぎるのかもしれません。 貴重デユニークなご示唆をいただきました。

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回答No.12

 こまあす88さん お早うございます。お邪魔します。  おそらく   ○ 人間は知恵を得てから暗闇が更に深くなった  のそのあとに何かもう一文書かれていれば 分かりやすかったのではないでしょうか。だからどうするのかが書かれていれば その《知恵や暗闇》の中身が分かると思われるからです。  のっけから抹香臭くてもうしわけありませんが:  ▲ (コリント前書1:18-19) ~~~~  十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、  わたしたち救われる者には神の力です。  それは、こう書いてあるからです。    「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、     賢い者の賢さを意味のないものにする。」      (イザヤ書29:14)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このように 《人間の知恵》を相対化する視点があるとすれば 《暗闇》は 《深くなる》かどうかをまづは措いておいて なくならない。と見られることもあるのでしょうね。  ▲ 〔同上・承前(1:20)〕  ~~~~  知恵のある人はどこにいる。  学者はどこにいる。  この世の論客はどこにいる。  神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とパウロは吠えていますから。  この限りで  ★ 大体、知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。  ☆ という見解をみとめつつ それは《払いきれない》という視点をも言おうとしている。  問題は   ○ ・・・暗闇が更に深くなった  かどうかでしょうか?  もし勇み足を承知で言うとすればですが これは すでに人間を一人ひとりの存在として見て言っているのではないかと思います。  闇が深くなった個人が増えれば 全体としてもさらに暗くなるのでしょうが 問題は 個人の状態にある。こう思われます。  もう一点言えることは 闇の深さと その闇の状態が知恵によって払われ得るかどうかとは あまり関係がないように思われます。  深ければ深いだけ 知恵もしくは《人間の知恵を相対化する視点としての知恵》は それとしてハタラキを増すでしょうから。  〔最近夜中に起きることがあります。(歳のせいだとはみとめたくありません)。廊下に足元を照らすランプをつけたのですが それは薄暗がりでは 光が弱いのです。真夜中の暗闇では ずいぶん周りが明るく照らされている。ということを発見しました〕。  でも・しかしながら・けれども・それでも その知恵ないし光のめぐみは やはりそれをどう受け取るかをめぐる個人個人のこころの問題であるかも知れません。ランプよりふつうの電気をつければもっと明るいとは言えるようですから。  (ここで文章を終えるのは がらっぱちのわたしに似合わないと感じつつ)。

noname#194996
質問者

お礼

ブラジュロンヌ様ご回答ありがとうございます。 返事が遅れました。 先日はご回答がご回答にならず暴走してしまいました。 失礼いたしました。しかもそれに懲りず拙宅へお越しいただき恐縮の極みです。 ところで >のそのあとに何かもう一文書かれていれば 分かりやすかったのではないでしょうか これは残念ながら前後には(原文からの抜き出しかどうかはわかりませんが)何もなかったのです。ともかくこれだけであじわへ!ということのようでした。日本人のなまえがありましたが忘れました(恥;)。 さて 聖書では、世を照らすものは神を擱いてはない、という立場ですね。 人間の知恵はそれに比べれば粗末なものである。 これは真理でしょう。それはおいて、 >問題は   ○ ・・・暗闇が更に深くなった  かどうかでしょうか? そうです。そこがこの箴言のきもでもあると私も思うのです。 きもいところということですw >すでに人間を一人ひとりの存在として見て言っているのではないかと思います。 つまり、個人的な問題だと?時代が人間の知恵を退歩させるか社会の影響を受けて視界が暗くなっているという解釈でしょうか。 >深ければ深いだけ 知恵もしくは《人間の知恵を相対化する視点としての知恵》は それとしてハタラキを増すでしょうから。 このあたりはブラジュロンヌ様らしい楽観論のように思えます。以下の挿話は分かりやすく身にしみました。 どうもいつもになく不完全燃焼のようにも思えますが、頂いた分でかんがえさせていただきます。

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回答No.11

いわゆる自己言及的な文の「矛盾」から抜け出るには、 いったんその文から離れてみるのが、肝要ではないでしょうか。 たとえば―― 「この文に書いてあることは偽である」 では、「この文」の「この」が指している文が上記以外の文 ――ここに書かれていない文「太郎は勉強している」―― とみなせば、パードックス性は消えます。 ご質問の「命題」にも、この種の「自己矛盾」的な側面があり、 それがアフォリズムめいた文にさせているようです。 「知恵」(明るくさせるもの)が「暗くさせる」とは、これいかに?  というわけです。 これを矛盾とみる、その「気持ち」をいわば「自己反省」すれば、 矛盾は解消できます。 上記の例で言えば「太郎は勉強している」を見つけることに相当―― ここでは「知恵」を過大評価しているという「心性」が それに相当すると見ることができそうです。 世の中には分からないこと(暗いこと)が100万個あるとして、 知恵で何とかなるのは「1~2」個と仮定してみます―― 確かに、知恵はすばらしいものだが、 「全体」としては、ちっとも明くるなってはいないんだよ、という気持ち。 かえって、その事実の「暗さ」に気づかされる、という含みもありそうです。 ――それを「知恵」そのものを「悪者」と解釈するとき(性悪説?) 読み手のなかにアフォリズム的含意が発生するのではないでしょうか。 以上です。参考になれば。

noname#194996
質問者

お礼

メーセンファンツ様ご回答ありがとうございます。 これは箴言を文章的に読み解かれた、論理的に分析して見られたということですね。なるほど。 わたし達は分からない物体、不気味なもののそのたたずまいそのものに目を引かれて、ちからもないのにそのものをそっくりまとめて一気に理解しようというせっかちな気分にとらわれがちです。めーセン様のやり方はまさしく知性による理解の見本のように思えます。見事です。 >世の中には分からないこと(暗いこと)が100万個あるとして、 知恵で何とかなるのは「1~2」個と仮定してみます―― >確かに、知恵はすばらしいものだが、 「全体」としては、ちっとも明くるなってはいないんだよ、という すっきりしすぎるほど実に分かりやすいご回答を頂きました。 かえって物足りないほどです。

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  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.10

常識的な感覚があれば、世の中は知性だけでは解決できないことは理解できると思います。 おばあちゃんの知恵のような経験則や慈しみの心、馬鹿になる姿勢も必要です。 それらを問題解決のために必要に応じて配分するには、自分という器の中に拘りがあることは邪魔なのです。 それは自分の善悪の基準や好き嫌いを棚上げし無防備にならなければならないということでもあり、自分の知恵や感情を誇る者には大変恐ろしく感じるものなのです。 無我にあれほど反発する人たちがいるのは、そういうことだからです。 知性に頼れば頼るほど、知性が重荷になっていく。 それに対して、無我とは明るく風通しがよいものです。 寒くなればコートを羽織ればいいだけですし。

noname#194996
質問者

お礼

モグ様ご回答ありがとうございます。 多様なご回答がいただけて世界が広がった感が強いです。 知性はこだわりである。それこそが闇を生むといわれるのですね。 いや、知性だけでは解決できないものがある、むしろ何も考えない方が真理に近づけると。 論語の 70にして心の欲するところに従ってのりを越えず という言葉を思い出しました。 考え直してみます。

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回答No.9

 このように質問と云う形で、この言葉を提出されなければ、私は特に気に留めることも無かった、と思います。  言い換えれば、とても興味を持ってしまったんです。  なるほど、知恵を得てから暗闇が深くなった、かと。  ひねくれたアフォリズム、  そう云えるかもしれません。  大多数の人は“知恵を得て”いなくても物欲、肉欲的暗闇の住人であるけれど、それだけではない、と云う事を「更に」に込めているように思います。    この「更に」を私は知的暗闇、としてみました。  少数の知識人は“知恵を得て”「うぬぼれ」と云う暗闇に入る。  どうでしょうか。  まだこれ以外にも何かあるかもしれません。  ただ単純に、本能のまま生きればいい動物と違って、人間とはなんとも手におえない始末の悪い生き物だ、と云っているようにも思います。  深読みかも知れないけど。            

noname#194996
質問者

お礼

いいや言いや様ご回答ありがとうございます。 拙問に興味を頂き(皆さまそうなのでしょうが)うれしく存じます。 >それだけではない、と云う事を「更に」に込めているように思います。    この「更に」を私は知的暗闇、としてみました。  少数の知識人は“知恵を得て”「うぬぼれ」と云う暗闇に入る。 ここは鋭いですね。暗闇とは何も考えていない慢心の状態だと。 暗闇とは何でしょうかね。私はこれまで何かある、何かがあるけれど分からない、そこに苦しみなどを感じたのですが、これはその逆、無関心、見ないふりをする空間だと。 > 深読みかも知れないけど。 深読み結構だと思います。そこから自己の世界にはいっていくのでしょうから。 いろいろな解釈が出来るのは それだけ優れたアふぉリズムなのかもしれません。

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回答No.8

>知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。 いいえ。 身に迫る現実世界のリスクを回避して生存可能性を向上させるためのものです。 形而下のリスクが減少したけれども、形而上の悩みがふえてしまったということでしょう。 家の愛犬など、いつも悩みが無く、幸せそうにしておりますよ。

noname#194996
質問者

お礼

もくぞ様ご回答ありがとうございます。 >現実世界のリスクを回避して生存可能性を向上させるためのものです。 >形而上の悩みがふえてしまったということでしょう。 形而上の悩みに目覚めた分かえって悪くなった、闇が増したというご解釈ですね。 確かにこれは正統的な回答といえるかもしれません。 動物達が哲学を知らないのは幸せの方向でしょうか。 現実世界の悩みは彼らもあるに違いないのですが。 ここでこうやってお話が出来るのは愉しみでもあるのですが。 悩まない人間は病気なのでしょうか。 普通にしていたら結局悩んでしまうのでしょうかね。 そこがちょっと引っかかるのですね。

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