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倭館と命名したのは。
中世・近世を通して釜山他朝鮮にあって、日朝貿易の窓口となった「倭館」ですが、「日本館」なら分かりますが、なぜ倭館と名付けられたのですか。 名付けたのは李氏朝鮮ですか、 「倭」には、どのような意味があるのですか。 よろしくお願いします。
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1番回答者です。 > 倭館と呼ばれていても幕府・対馬藩は朝鮮に何も言わなかったのでしょうか。 言わないでしょうね。 日本人にとって漢字はやはり他国の文字ですから、中国人やそれをまねた朝鮮人が漢字に込めた感情や、もっと言えば差別感、呪い、というようなものについては無知です。 たとえば、満州帝国の溥儀は、日本に対して決死の思いで「皇帝」の称号を要求しました。 拒否されたら抗議のために自殺するくらいの覚悟で。 ところが日本はあっさりと許したので、すっかり拍子抜けしたという話ですが、これは日本人が「皇帝とは天皇と対等」という漢字の感じを知らなかったせいです。 英語で言うと、どっちもエンペラー、ドイツ語ならカイザー。 しかし、日本人には天皇の位とほかのを比べるという発想自体がない。皇帝って言ったって「シナの一番偉い人」くらいしか感じてないのですから、皇帝だろうが、大皇帝だろうが、平気でした。 中国王朝の家来で、中国の気持ちを熟知している韓国人は、いまだに、天皇を「日王」と言っています。天皇を天皇と呼ぶと朝鮮王朝の王様は天皇より格下であることを認めてしまうことになるからです。 昔の話だけではありません。 いまの中国人の日本人に対する最大の蔑称は「日本鬼子」であり、日本国に対する蔑称は「小日本」です。 (韓国人に対する蔑称は棒子。鬼の後ろにくっついて棒を振り回して中国人をいじめていたイメージらしいですが、韓国人はそう言われると怒るらしい) ところが、日本人は「鬼」のイメージを理解しない、というか、別なイメージを持っている(例えば、強いというイメージ)ので、そう呼ばれることを苦にしません。 このへんが、中国の真意を心の底から理解している民族と、理屈だけしか知らない民族の違いです。 日本は逆に、「日本鬼子」という萌えキャラをつくって中国に送り返したりしています。中国人が日本鬼子で検索すると蔑称としての説明ではなくて、萌えキャラ群が登場するという作戦です。 中国人は中国人で「もっと髪の長いのが俺の好みだからよろしく」とか言っている。 また「小日本」と言われたって、「小さいんだからしようがねえぜ」的な反応でしょ。質問者さん激怒します? くどいですけど、そういう意味じゃないんですけどねぇ。知らないということは恐ろしい。 朝鮮人が「これは倭館です。我々は貴国を倭と呼んでいますので」「倭とはしなやかとか従順とかいう意味です」と言えば、さっとメモして「あ、そうですか。本国に伝えておきます」てなもんですよ。 本国ではそんな報告なんて無視。 書いているうちに思い出しましたが、鄧小平氏が日本に来ているとき、中国がベトナムに軍隊を送りました。 鄧小平氏は、日本がどう反応するかと思い、おそるおそる日本の新聞を見たら「中国、ベトナムを懲罰」「征伐」だったかな。 そんなふうにと書いてあったので手を打って喜んだという話もありました。 「懲罰・征伐」の意味を知らない親中国系の大新聞が書いたのでしょう。鄧小平も中国と懲罰という漢字は読めた。 違う漢字(侵略など)が使われていたら、倭に対する日本の態度とは逆に、日本に猛抗議したことでしょうね。あの国はそういう国ですから。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD 一言で言うと、 「倭 → 和」ってことみたいですね。 魏志倭人伝とか、小学校で習ったのがなつかしいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 Wikipediaは参考になりました。
- あずき なな(@azuki-7)
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当時は日本とは呼ばれていなかったのて゛
お礼
ご回答ありがとうございました。
- mekuriya
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豊臣秀吉の朝鮮出兵は韓国では、壬辰倭乱・丁酉倭乱と呼んでいます。 1627年に後金のホンタイジが李氏朝鮮に侵攻した事件は、丁卯胡乱と呼んでいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今まで見過ごしてきましたが、朝鮮は壬辰倭乱・丁酉倭乱と呼んでいますね。 ということは、朝鮮は、日本を表向きはともかく内心は「倭」と呼んでいたと解釈できます。 後金が侵攻した事件を丁卯胡乱と呼んでいるのであれば、「倭」には良い意味はなさそうです。 倭館は、私は調べていませんが、対馬藩が建てたはずですから、そうであれば対馬藩は別の名で呼んでいたのでしょうか。 それとも、当時「倭」には良い意味があったのでしょうか。 そんなことはないはずで、ますます分からなくなってしまいました。
- fujic-1990
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今漢和辞典を引いてみたら「倭」にはそういう意味はないのですが、なにかの本で「小さい」、というより「ちび」という意味合いがあるという話を読んだ記憶があります。 で確認したところ、 「矮」は、「みじかい、ひくい、せたけが低い人」という意味ですが、「矮」の「矢」はもともと人の形だそうですので、にんべんに変わっても意味は同じ(ちびすけ)ということでしょう。 私の記憶は正しかったようです。 ついでに、音符の「委」は、「萎縮」の「萎」に通じる、と辞典にあります。褒めた言葉ではないのは明らかですね。 で、その字が当てられたのは、卑弥呼の使いなどが、自分のことを「わ」(今風に言えば、わたし)と言ったからだとか。 卑弥呼も、本来は、「日巫女」などの字が当てられるべきところ「卑しい」という字を当てていたのと同じ発想ですね。相手をさげすんで自己満足する民族です。 まあ、日本人も戦争中は、鬼畜米英とか言っていましたが、戦争してなくても言うのが彼ら。 ということで、倭館と名付けたのは朝鮮側でしょう。 日本人が自分でチビなどと言うはずがありませんし、小中華は、大中華のまねをしてここまでやってきましたから。 が、残念ながら歴史的な資料は知りません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 60年以上前に「倭」の意味はチビと教わったので、そう信じていました。 が、司馬遼太郎は著書『街道をゆく 韓のくに紀行』の中で、 「説文解字」の説明が正しいとすれば、倭というのはチビという語感よりもむしろ人によく従うという従順な感じをあらわす、と書いています。 そこで分からなくなってしまったのです。 「倭館」を建てたのは対馬藩のはずです。 チビの意味であるとすれば、倭館と呼ばれていても幕府・対馬藩は朝鮮に何も言わなかったのでしょうか。 従順の意味であるとしても分からなくなります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、簡単に言えば同じ漢字であっても意味するところや受け取り方は民族によって異なるということですね。 納得しました。