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救いの芽を刈り取ることは良くないことか
ちょっと考えてみた。 たとえ偽りの救いであろうと、救いの芽を刈り取ることは良くないことなのか。
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- kurinal
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回答No.4
>「ソクラテスは悪法も法なりと言って悪法に従い死んでいったが、やはり悪法は刈り取らねばならんということだね。 すると救いについても同じで、偽りの救いは刈り取らねばならんということになるね。」 ・・・ 「刈り取る」のは、個々の判断に任せましょう。 soudann1さんが、刈り取らないでね。
- Y Y(@yy8yy8az)
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回答No.3
考えるほどのこともありません。 “偽り”の芽は刈り取る「べき」でしょう。 それが“救い”ならばなおさら。 ★ 悪魔の手が差し伸べられている!
- kurinal
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回答No.2
soodann1様、こんばんは。 因果応報、奇貨居くべし (ありとあらゆる批判に耐え得るものこそが、ホンモノ)
- foosun
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回答No.1
その通りだと思います。
質問者
お礼
偽りの救いが氾濫するとどうなるかについても、考えてみましたか。 少し甘いとは思わないかな。
お礼
>ありとあらゆる批判に耐え得るものこそが、ホンモノ ソクラテスは悪法も法なりと言って悪法に従い死んでいったが、やはり悪法は刈り取らねばならんということだね。 すると救いについても同じで、偽りの救いは刈り取らねばならんということになるね。