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昭和11年6月と記載がある地図
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> 黙呼参會者の爲に 昭和十一年 陸軍省 「黙呼」は間違いです。もう一度よく見ていただきたい、いちばん右端に書かれている漢字は「点」の旧字体「點」です。これは「點呼」つまり「点呼」参会者に見せるための地図だということです。 では「点呼」とは何か? これは「簡閲点呼」(かんえつてんこ)というもので、在郷軍人(あとで解説します)を定期的に集め(=参会)、人員に異常がないか実際に目視で確認し、あわせて訓示などを与える軍隊の行事の一つです。だから陸軍省の文字が入っているということでしょう。この地図はそういうした訓示の際に配布した地図のようです。今現在の日本でも免許証の更新に出向いて行くと、交通安全教育ビデオを見せられ、小冊子などを渡されたりするでしょ? あれと同じようなことで質問者の祖父殿の手に渡ったのではないかと考えます。 この地図は満州国を中心にしてその周辺の状況ですね。満州国は日本ではありませんが事実上は日本の一部といってよく、資源もない、働く土地もない日本にとって入植先として「生命線」という位置づけでした。ですから満州は非常に大事だったわけです。そういうことを在郷軍人によく理解させ、1936(昭和11)年当時の日本が直面している外敵の布陣を示した地図でしょう。ただし1936年の時点では日本は戦争中ではないので戦意高揚ウンヌンの回答は正しくありません。それ以前に満洲事変などがありましたが、とりあえずは小康状態という時期といって良いのではないでしょうか、ですからこの地図は「もしもの時」のことを在郷軍人に考えさせるためのものです。翌年の7月に「もしもの時」になってしまいますけどね。 つぎに在郷軍人についての簡単な解説です。当時の日本は徴兵制による国民皆兵だったことはご存知のとおりです。現役の兵隊や下士官(あるいは将校)として軍隊で過ごしたけれど除隊して予備役(あるいは後備役)として一般社会に帰ってきた人を在郷軍人と呼びます。他に徴兵検査は受けたし合格だったが、現役兵の定員オーバーとなるので軍隊に行かずに補充兵としてそのまま一般社会で生活する人も在郷軍人の範疇に加える場合があります。これらの人は「もしもの時」になると召集されるわけです。そういう召集をいつしても大丈夫なように、平時であっても簡閲点呼をして在郷軍人の状態の確認をしておくわけです。 回答にWikipediaをソースとするのは好きではないのですが、「召集」という記事は2013年2月27日の時点ではほとんど私が執筆したものなので私の言葉の代わりになりますから、よかったら参考に見てください。簡閲点呼についても少し書いてあります。まじめに簡閲点呼について詳しく知ろうという場合は以下のリンクその他を参考にしたほうが良いです。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466322/18 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/916984
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- mm058114
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こんにちは。 陸軍が銃後の戦意高揚の為、各事変等で日本軍の進軍を示した物では? この様な地図を、郷土博物館で見た記憶があります。 詳しくは、大橋にある「地図センター」とか「地図の趣味の団体」「地図検定」に聞くと良いと思いますよ。 完璧な回答じゃなくて、ゴメンなさい・・・
お礼
他にも古地図が色々出てきたので教えていただいた機関にといあわせるかもしれません。ありがとうございます。
- tanuki4u
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1935年 国体明徴声明 1936年 帝国在郷軍人会令 < 昭和11年 http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/033/33-r-004.pdf 陸軍の政策を広く国民に知らしめる地方組織として帝国在郷軍人会が最組織化 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E9%83%B7%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E4%BC%9A その一環のための資料というかパンフみたいなものではないかと。
お礼
ありがとうございます。よく見ると資料にも在郷軍人の歌がのっていました。当時を知るいいきっかけになりました。ありがとうございます。
お礼
たしかに、、、。読み間違えていました。それでも在郷軍人の説明をいただいてなっとく。祖父の資料には戦時中の地図が他にもあったので当時のことをすこし探るいいきっかけになりました。勉強してみます。 ありがとうございます。