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自衛隊に感謝しない子供に体罰は不要か
反日左翼の人以外の普通の日本人に質問です。 大震災のときに助けてくれた自衛隊にありがとうをいわず感謝もしない反日左翼の生徒が仮にいたとします。明らかに、間違ったことを言ってる子供がいてそれを先生が放置するのは正しいことですか?体罰がどんな場合もすべてすべきでないという方はその根拠を教えてください。
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>明らかに、間違ったことを言ってる子供がいてそれを先生が放置するのは正しいことですか? と言った直後に、 >体罰がどんな場合もすべてすべきでないという方はその根拠を教えてください。 となっている。放置でないなら体罰と来る。どんな思考か不可解、とは言わない。そういう人間を間近で見て来たからね。人の痛みを知る気はなく、恣意的な基準で、自分が満足さえすればいい奴らだ。人間のクズ。社会のゴミ。 そんな人間がいるから、体罰は全面的に否定し、禁止せざるを得ない。たとえ、どんなメリットの可能性を示唆するエビデンスや証言があってもだ。単なるわがままな暴力だからね。誰のためにもなりはしない。しかも、それが拡大再生産される。それは防がねばならない。 体罰を行使する人間を見たら、容赦なく正当防衛を行使していますよ。第三者を護るのも正当防衛に含まれます。無辜の人間が被害者にならないためには、過剰防衛も辞さない。私人逮捕もしますね。法的はもとより、社会的制裁を嫌というほど受けてもらうようにもする。 もう止めてくれと言っても聞く耳は持たない。なぜなら、止めて欲しいと懇願する被害者をせせら笑って打ちのめしてきた輩だからね。手加減も容赦も不要だ。二度と同様のことをしないよう、人外の鬼畜や外道には、きちんと止めを刺すのが人としての義務だろうね。
感謝ってのは、しろって言われてしたって、 何の意味もないでしょう。 っていうか、子どもどころか、大人だって 「ありがとう」と言えてませんよね。 そんな大人が子どもに感謝しろなんて言う権利ないでしょう。 その後の「あきらかに間違ったこと」に一般化してるのは、 話が飛びすぎていて答えようがありません。 「あきらかに間違った」ってどんなことですか? 人を殺したとかでしょうか。 それとなぜ、「自衛隊に感謝しない子どもに体罰は?」から 「体罰を絶対にすべきでない人」になっているのですか? 自衛隊から話がポンポン飛びすぎです。 抽象化されすぎです。
いたときに対処しましょう。「かもしれない」を埋め尽くすように事前対応し始めるのは無意味です。
- mojitto
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例えば、大人が自衛隊に感謝しなかったら、法律や条例で罰せられますか? 体罰は読んで字のごとく、体にする罰です。 大人が罰せられないのに、子どもが罰せられるのはおかしいですね。 体罰は指導の一環としては必要だと思いますが、決して指導そのものではありません。 暴行の域にある体罰は論外として、質問者さまのように体罰を指導として用いようとする人がいるから問題になるんです。 そもそもなんで放置か体罰の二択なんですか? それ以外の選択肢は思いつきもしませんか?? あくまで体罰は純然たるペナルティとしてのみ使われるものであって、それ以外で使うのは単なる暴力です。
- issaku
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自分が自衛官だったら、自分達が救助した被災地の子供がただ感謝しなかったという理由で自分と同じ公務員に暴力を振るわれている姿は、絶対に見たくありませんね。気分が悪くなります。 自衛官に限らず、まともな職業倫理を持っているなら誰だってそうです。 そもそも公務員ならば、国民の思想信条問わず、全てに奉仕するのが最低限度の心構えです。 救助・支援対象者に罵倒されながらも業務遂行している公務員は、自分が直接みかけた頻度からしても公安・消防職だけで全国あまたいるわけですが、自衛官にはその程度の覚悟も期待できないと、質問者氏はおっしゃりたいのでしょうか? そういえば、先の大戦の時に内地で兵卒だった親父殿に聞いた話で、「俺たちが守ってやっているんだから土下座されても当然」みたいな暴言を某上官が常々吐いていたそうで、こういう輩に限って被爆地の骸拾いでは余計な指図ばかりで手を出さなかったそうですね。
体罰は賛成です。というか体罰を完全に禁止したら、そちらの方が危険でしょう。 言葉で生徒をねじ伏せ精神的なダメージを与える教師が出て来てもおかしくないというのが一点。 拳の痛みを知らない人間が人を軽々と殴るようになるという危惧が一点。 むしろ適切な体罰のやりかた、を教える委員会とかが出てくる方がまだマシだと思います。 子供は守るべきだ、子供は大人の社会から隔離されるべきだ、という考え方が産業革命以後広まってから、そういう世界をソフトにしていこう的な改革は昨今、様々な場面で弊害を生んでいることは目に見えています。 しかし考えてみれば、大人よりも強い免責性を持つ立場にいながら、大人と対等に扱われること、またそれを望むことが、根本的な問題を引き起こしているのだと考えます。極論、世界中の子供達が一斉に大人に対して蜂起したら、大人は皆殺しにされて反撃できない、これでいいはずがありません。 手を挙げない教師でいいなら、別に教師はいらないと思います。学校が人間関係を学ぶ場だとするなら、違う学年の生徒を一緒の教室で学習させ、各机にヘッドホンとタッチパネルで事足ります。
- kannzou001
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放置は正しく無いです。 子どもはまず、経験で覚えさせないといけないので、本人が感謝の気持ちがなくても、「ありがとう」を言う事が好ましい場合は言わせるように指導させるのが適切です。 これが大人ならば、感謝を強制する事は不適切ですが、子どもの教育と大人の事情をごっちゃにしてはいけません。 その現場を見かけた時の、子どもへの対応も重要です。 これを体罰や叱って教える事は、ファシズム的教師でダメです。 かといって「子どもの自由」と称して何も言わないのはアナーキー教師なのでダメです。 子どもが「有難うと」と言ってもらうように促すのが重要です。その時に子どもが拗ねてなにも礼を言わなければ無理に言わせず、次の機会に促しましょう。 今回の問題は、自衛隊ですが、その教師が反自衛隊主義であろうと、子どもの教育と自分の思想の押し付けをごっちゃにする事は危険です。相手が自衛隊であろうと、憎き何らかしらの団体であろうと、感謝されるような事をされたら子どもには「ありがとう」という事を教える事が教育です。 「その団体は、ある理由で感謝される行為をされても感謝する必要は無い!」 それは大人になって、各個人が決める事で、子どもの教育に持ち込む事はあってはなりません。 これを肯定してしまうと、特定の団体、国、人種は差別しても良い。と言う謝ったメッセージを子どもに植え付けるので絶対にダメです。
- rokometto
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感謝とは強要するものではない。 強要したら感謝ではない。 以上。
- hey_hey_11
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自衛隊に感謝をしない子供に体罰をする意味が分かりません。 自衛隊もお礼が言われたいために、活動をしているのではないと思います。 ただ、お礼を言うことは確かに、必要性は感じますが、お礼の言葉がでないのは、普段からしつけしなかった親の責任でもあると思います。 それに、お礼は強制するものではなく自然に出てくるものだと思います。 殴ったり強制的にやらせると、余計に反発してその子は今後何もしなくなる可能性があると思います。 要は、いかに幼児期に親がしつけを刷り込むことができるかだと思います。
- toshipee
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正しいです。理由は自衛隊はありがとうを言わせるためにしていないことと、感謝は言葉にせねばならない上っ面のモノではないこと、さらには間違ったことを言っている子供にもそう言わざるを得ない(自衛隊には罪はありませんが)その子供なりの歪む経験と理屈があるということ、そしてそれはそのままにしていても社会に出れば矯正されるのがほとんどでそれ以外は犯罪者として社会からちゃんと排除されて行くであろうこと。 その瞬間にすべて正しいことができる子供がいれば、教育は要りません。先生だけでなく、会社の先輩も社会人として矯正していくのが正常な社会であり、自分を蚊帳の外に置いて批判だけする方が、社会に参加しておらず非国民と考えます。
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