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しつけと体罰の境目は、一体どこにあるでしょう?

学校の先生にしても親にしても、よく体罰が取り上げられます。 ですが、いざ問題となったら“しつけのつもりだった”と言います。 さて、昔は学校で悪戯をしたら、先生の鉄拳やビンタが飛んできました。 なぜかといったら、悪さをしたから。鉄拳やビンタは、その悪さを直す「しつけ」です。 ですが、今では「体罰」と言って問題となります。 そこでこのしつけと体罰ですが、その境目はどこでしょうか? “これはしつけだよ、これは体罰だよ”と判定する根拠はどこにあるのでしょうか? 子供にアザらしきものがあったら(子供がどんなに悪さをしていても)体罰?、子供が痛がること・いやがることをしたら体罰?、街中で子供を殴って叱っていたら体罰?、しつけによって、子供が精神的傷を負ったら体罰? しつけか体罰かは、見た人や子供本人の主観的判断が働いていると思いますが、どうでしょうか?与える側と与えられる側のそういう「かい離」は、仕方ないことでしょうか? しつけも度を超すと体罰になると思いますが、そこの境界が知りたいです。 しつけで子供が直らなかったら、だんだん「体罰化」せざるを得ない? 逆を言うと、しつけで済むにはどんな方法があるのでしょうか? 一番知りたいのは、今時の子供を叱るにはどうしたらいいのでしょうか?「体罰=悪」のように語られていますが、果たしてそうでしょうか? ちなみに、私は子を持つ父親ではありません。 皆さんが感じている「しつけと体罰」について、見解をお教え下さい。

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回答No.2

私も子供はいませんが。 感情に任せての行為は体罰、というか暴力。 様々な思慮を経て、こうする方が良いと手が出た場合はしつけ。 明確な基準がある訳では無いですが、そんな感じかなと。 自ら「受けた」経験で言うと、恐らくは体罰なんて言葉が独り歩きはしていなかった時代を過ごしてきました。 高校では、はたかれた勢いで階段から転げ落ちた事もありますが、それは今でも教師に感謝しています。 小学校で受けた「ゲンコ」と呼べるような可愛いものでも、今でも「あれは体罰」だったなぁ、と思えるものが多々あります。 近所の顔見知りのオジサン達のゲンコツは、あれは全部しつけだったなぁ、としみじみ思えます。 今時の子供に対しては、つ離れした後は手を出すのは良くないと言われてますね。 つ離れするまでの間は言葉で言い聞かせるのは無理だから、手やお尻を「ぺしっ」と叩くのは必要とも言われています。 つ離れするまでの間に「しつけ」ができていれば、つ離れしてからは手を出さずとも言葉でしつけられるそうです。 つまり、この説によると、つ離れしたあとにどうしようも無い子は、それまでのしつけが済んでいないので、もうダメだとも言える訳です。 自分の子供だったら、それでも何とかしようと思うだろうけど、他人のガキは下手に手を出して殺されても嫌なので無視するしか無いでしょうね。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 >つ離れしたあとにどうしようも無い子は、それまでのしつけが済んでいないので、もうダメだとも言える訳です これはやはり親の責任でしょうかね。 感情に任せての行為=体罰というのは、よく分かります。 親からして感情の制御をしないといけませんね。 よく、“気が付いたら子供をせっかんしていた”なんて聞きますが、まさにそういう感じですね。 ありがとうございました。

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noname#84871
noname#84871
回答No.12

信頼関係が成立している双方間ならば「躾」。 そうで無い関係であれば「体罰」(暴力)。 私は過去、何度も息子達を殴ってきましたが「殴られる意味がこいつには伝わる」と信じて殴っていました。 私もよく父親に殴られた覚えがありますが「そりゃ、殴られるわな。」といつも納得してました。 息子が先生に殴られた事もありますが聞いてみると「殴られるような事やってしまったから殴られた。」で、私は「ふーん、で、ちゃんと謝ったか?」息子「うん。」で済ませてました。 普通の親の態度だと思っています。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 そうですね、どちらか一方でも不信感があったら残るのは恨みだけですね。 その信頼関係を築くことがなかなか難しいですね。 ありがとうございました。

  • poron_bor
  • ベストアンサー率12% (2/16)
回答No.11

正座させる、廊下に立たせる、グランド一周走らせる、騒ぐ生徒を廊下に出す。 学校では、これ、みんな体罰なんですよね、こりゃ常軌を逸してる。 でも、こうなる流れはちゃんとあって、体罰と称して暴力を振るった挙句、生徒を死亡させちゃったアホ教師に、ついに世論の堪忍袋の緒が切れたって感じだったらしい。 一部のアホ教師の責任とはいえ自業自得なとこはあるね。 でも、今の体罰禁止は常軌を逸してると思う。 些細なことほど、口より先に手が出ます。八つ当たりだってしてます、確実に。 人間だもの・・・感情的にだってなります。 ただし、連続で叩くのは禁止。次の日まで持ち越さない。それがわたしのルールです。 子供の言い分を聞いてやる、分かるまで説いてやる。わたしは無理です。

localtombi
質問者

お礼

誰だって体罰はいやなものですが、それが後を引きずらないものだったら、印象も大分違うでしょうね。 昔は普通だった(おっしゃっているような)体罰が、今ではいけないものとなってます。 例えば正座させるのが、体罰という名のもとになぜいけないことになってしまったのか、ほんとに不思議です。 回答を頂き、ありがとうございました。

noname#114696
noname#114696
回答No.10

基本的に体を叩いたりするのは全て体罰でしょう。 しつけと体罰を一緒に考えるとこんがらがりますが、しつけとは 行いを正す事であって、体罰が絡まなくても成立します。 悪い事をした時に悪い事だと教えて分ればそれでよしですが、 何度も繰り返したり従わない時に罰を与える事もありますよね? 例えば学校なら廊下に立たせる、家庭なら部屋に1人で居させる、 お小遣いをあげない等様々で、悪い事をすると自分にとっても 不利益な事が起こると刷り込む事で社会生活を身につけさせる のが一般的なやり方ですが、ここにしつけする側の忍耐不足、 力不足、時間不足等があり、手早く力で解決しようとすると 体罰に繋がるんだと思います。 しつける側が育った環境も大きいです。 私が海外在住時に薦められた叱り方の1つは、皆と同じ部屋に 居れるのだけど、椅子を部屋の角に向けて座らせ、振り返ったり 話したり立ち上がったりを一切許さないと言うのがあります。 年齢にも寄りますが、自由を拘束されるのも子供にとっては かなり負担に感じる様です。 また、トラウマになるので、誰も居ない暗い押入れなどには 入れない様にと教わりました。 閉じ込めるなら鍵のかかっていない明るい部屋に4分まで。 4分経って反省したかを聞きに行き、反省しなければまた4分間 部屋に1人で居させる・・。 どれも幼児~小学校低学年までが対象です・・。 そして、1番大事だなと思うのは、やはり幼児期の親のあり方 ではないかと思います。 子供は2~3歳でも十分学習能力がありますし、善悪の判断も 付きます。 それなのに、昨今は叱りきれない親が多いです。 親が絶対許さない態度で臨み、子供自信も騒いでもダメだと 判断すれば言う事を聞くようになります。 反対に言えば、この時期に野放しだとかなり周りとは共存 しにくい身勝手さを持つ人間に育つと思います。 しかしながら、これが絶対悪ではないのも現実です。 かえってこういう子供の方が大物になったりします。 また、これをきつくやりすぎると自尊心の無い、物事を判断 出来ない依頼心の強い性格になるので難しいです。 グチグチ言われ続けるより、お尻ペンで終わった方が お互い精神的に楽な時もあります。 今時の子供の叱り方と言っても、個人個人違いますし家庭環境も 全く違います。 また、叱る側との信頼関係や愛情を感じる関係があれば、少し 叩かれた位では子供だってひねくれたりしません。 子供がいらっしゃらないのに、子供を叱る機会があるのは非常に 苦しい事だと思いますが、しつけや体罰を考えるより子供との 信頼関係を築ける方法を考えた方が建設的かなと思います。 とは言え、私も自分の子供を叩いて反省したりと色々ありますよ。 体罰と暴力はまた違うと思います。 アザになったり、跡が残るのはやり過ぎですよね。 ちなみに、私は学生時代に数回体罰を受けましたが、それよりも 陰湿な女性の先生からの無視と暴言の方が傷つきました。 子供を叩いても、愛情がこもっている人かどうかの違いは子供 だって分りますよ。 反対にただ言う事を聞かせたい大人の狡さも分ります。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 >ここにしつけする側の忍耐不足、力不足、時間不足等があり、手早く力で解決しようとすると体罰に繋がるんだと思います そうですね、“訳も分からず、気が付いたら体罰をしていた”と言う親もいますね。その「訳も分からず」「気が付いたら」という部分で、親の未熟さが見えるような気がします。 >グチグチ言われ続けるより、お尻ペンで終わった方がお互い精神的に楽な時もあります 子供の叱り方は千差万別だと思いますが、その加減もそうですが、「どの程度」「どういう風に」したらよいかが分からずに、つい画一的に叱ってしまう、場合によっては殴ってしまうということが問題ですね。 子供は悪さをするのは当然で、その対処が分からずにいる親の苦悩が見える気がしますが、その矛先が子供に向かうのは不幸以外の何ものでもありませんね。 ありがとうございました。

  • taunamlz
  • ベストアンサー率20% (175/843)
回答No.9

まず、体罰の”罰”について。 {罪や過ちに対するこらしめ。仕置き。「一週間外出禁止の―を受ける」「―として廊下に立たされる」⇔賞。} これに体が付いて”体罰”になると {肉体に直接苦痛を与える罰。} 次に”躾”ですが、 {礼儀作法をその人の身につくように教え込むこと。また、その礼儀作法。「家庭の―がよい」「―が厳しい」} ここから思う事は、罰の中に体罰が含まれ、しつけと罰は重なる部分があるのではないかと思います。 要するに、躾の一部として体罰を科す事があるのだと思います。 逆に言うと、体罰と躾には境界線なんて存在しないんだと思います。 ゆえに、躾だから許されるとか、体罰だから許されないなんて事はなく、ただその体罰が許容できる物かどうかと言う話になると思います。 そして現在は体罰の許容範囲が狭くなったために問題として取り上げられるんだと思います。 >一番知りたいのは、今時の子供を叱るにはどうしたらいいのでしょうか? 体罰が悪なのならば罰にとどめて置けば良い。 と言うか、躾の時に体罰が前提と言うのが問題だと思います。 >「体罰=悪」のように語られていますが、果たしてそうでしょうか? 体罰は悪だと思いますよ。 大人の社会でも体罰は悪なのですから。 金返さないから殴っても良いと言うことにはなりません。 それと同じように、子どもが悪い事をしたからと言って殴って良いと言うことにはなりません。 体罰をするのならば、訴えられる覚悟を持って体罰をするべきでしょう。 そして、一般的に言われている境界線と言うのは、被害者が納得できる体罰ならば躾であると言うことだと思います。 それは同時に訴えられないと言う事につながると思います。

localtombi
質問者

お礼

>現在は体罰の許容範囲が狭くなったために問題として取り上げられるんだと思います 体罰が許容できれば躾、許容できなければ体罰ということですね。 許容範囲が狭まったために問題となっているということ・・・ >被害者が納得できる体罰ならば躾であると 最近は、そういう謙虚な人が少なくなったように思います。 それが一番大きな問題かも知れません。 回答を頂き、ありがとうございました。

  • v008
  • ベストアンサー率27% (306/1103)
回答No.8

本当はあるわけない。但し必要悪は常に正当性主張されるものなので程度問題として片付けるのが正解。 殺人罪(過失致死)と戦争行為どう違う?と言うのと一緒。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 しつけの程度が過ぎると体罰ということでしょうかね。 そうすると、その過程の線引きは難しいですね。 ありがとうございました。

noname#81812
noname#81812
回答No.7

やっぱり境ってあるようで無いと思うよ。 叱る側の気持ちって言っても。あくまで叱る側の事情だから。 それが伝わらなきゃ意味ないというか。体罰って受け取られるよ。 だって正座して話を聞かせるのも 体罰 らしいから。 どんだけ甘やかせば気が済むんだよとかオレなんか思う。 他の人も書いてるけど親が駄目すぎだよな。 ビンタくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐなって。 あとその駄目親に育てられた駄目な子供が教師になってさらに駄目。 加減わかんないっていうのか。変に逆上しちゃってわけわかんない。 目がいっちゃって何言ってんのか分からない教師いるもんな。 殴るにしても鼓膜破るのは駄目だろとかも思うよ。 それでオレは頭悪いからずいぶん説教されたけど。 オレらから言わせたら女の先生のくどくどした説教のほうがうんざりした。 ビンタなんか屁みたいなもんだよ。 精神的苦痛とか訴えるんだったらあの女教師を訴えたいよ。 あと。女の人って 口で言って聞かせる とかすぐ言うけど。 オレらみたいのに口で言って聞かせるなんて出来るわけないよ。 出来るとか思ってんならコンビニ前で煙草吸ってたむろってる中高生に 口で言って聞かせて 説得してみてよ。 学校で集団イジメしてるやつらに 口で言って聞かせて 仲良く遊べるようなクラスにしてみてよ。 それ出来てたらこんな時代になってるわけないもんな。 出来もしないことカッコつけて言うなって言いたいよ。 そういう理想論だか夢だか分かんない話するから現実がなんも解決しないんじゃん。 オレらさ。自分らで血を流しながらそんな中で生きてんだからさ。 自分らは手を汚さないし血も流さないところにいて一生懸命やってる教師の足引っ張んなって。 ほんと口だけ達者な×××がえらそうな理想論語るのマジむかつくわ。 体罰が良くないのは分かりきってるけどよ。現実見て自分で血を流してその中で考えてみろって。 頭でっかちの口ばっかりじゃなくてよ。 ああ。これ別に質問したあんたに言ってんじゃなくてムカつく口だけの奴の話な。 質問の答えになってないかもしれんけど。そんなこと思ってるわ。

localtombi
質問者

お礼

>そういう理想論だか夢だか分かんない話するから現実がなんも解決しないんじゃん そうですね、叱り方の問題だと思いますが、その方法さえ見出していないような気がします。 理想では何でも言えますからね。でも現実はもっと厳しいと・・・ 今は昔ほどの熱血漢がいなくなりましたね、身体を張って子供と向き合う教師が。サラリーマン教師と化しているような気もします。 回答を頂き、ありがとうございました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.6

無い。 ただ、体罰をする側は品行方正が求められる。 体罰は特権行使だからね。 特権を行使するにはそれに値する義務が発生するんだよ。 その義務の対価を払わない人が多いんじゃね? まぁテレビをつけると払わない人が多いからなぁ。

localtombi
質問者

お礼

なるほど、特権を行使するだけで、その義務を果たしていないということ。 だから不信に陥るんですね。 回答を頂き、ありがとうございました。

noname#81264
noname#81264
回答No.5

昔、しつけだったものが、今、体罰になっている。 理由は、教師のレベルの低下です。彼らの多くは自身の感情にまかせて暴力をふるいます。それは体罰と言う名の暴力です。 次に、親のレベルの低下です。彼らは、自分の子供がレギュラーから外された逆恨みで、野球部の監督を体罰で訴えたりします。 >しつけか体罰かは、見た人や子供本人の主観的判断が働いていると思いますが その通りです。受けた本人が納得すればしつけ、さもなくば体罰です。 いじめやセクハラと同じです。ところが、相手が子供なので、第三者がそれを勝手に判断して、境界線を引いています。これもまた、大きな問題です。 >今時の子供を叱るにはどうしたらいいのでしょうか? 手をださなくても、二時間も説教されたら体罰だと受け取る子供もいます。ケツバット一本ですむのなら、それで甲子園に行けるのなら、それは甘んじて受ける、そういう子供もいます。 答にならない答ですが、考え方としては、只一つ。 子供を大人として、扱う事です。生徒も教師と同格、子供も親と同格、そう考えても、手が出るのなら、立場の違いをカサに着ないのなら、子供がそれをしつけと受け取ってくれる可能性は高いと思います。 話はそれますが、現在の教育問題は、学校教育、家庭教育、地域教育の三本の柱のうち、地域教育がほぼ消滅してる事が大きな原因だと思います。仕方ないのかもしれませんが。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 教師のレベル低下というのはありますね。 今朝の新聞にも、「2009年元旦」となるように頭を刈って、写真をとって年賀状にした、みたいな記事がありましたが、そういう感覚がどうやって生まれるのか不思議です。 >生徒も教師と同格、子供も親と同格、そう考えても、手が出るのなら、立場の違いをカサに着ないのなら 自分の立場を利用して怒るというのはよくないですね。 それと、地域教育は消滅、分かります。 昔は、自分の子も他人の子も、悪いことをしたら分けへだてなく叱っていたものですが、完全になくなりましたね。 そういう世の中になってしまいましたね。 ありがとうございました。

  • prunus74
  • ベストアンサー率41% (10/24)
回答No.4

こんにちは。 私の学生時代にも、先生による体罰はありました。 何故体罰だと思ったかと言いますと、 殴る必要性が無い場合や、明らかにやり過ぎていると 感じる事が多々あったからです。 ある程度の年齢になれば、口で言われれば理解をする事が 可能だと思います。 ですが、実際には感情論で叩いてしまう事の方が多いように感じます。 私もどちらかといえば、体罰=悪と考えてます。 叱る事というのは、痛みを伴わなくても出来るからです。 しかしながら、どんな状況でも、絶対に叩いてはいけないとは 考えておりません。 痛みを知らない子は、容易に人を傷つけるとも考えているからです。 なので、個人的見解ですが、 ・怪我、傷として跡に残らないもの ・叩く側の感情で叩いているわけではないもの (ムカつくから叩いた。とかは無しという意味です) ・理由も聞かず、いきなりではない事 ・叩く理由がきちんとある事 の範囲で収まっているものが躾であって、 上記の逆が体罰と考えております。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 >叱る事というのは、痛みを伴わなくても出来るからです・・・痛みを知らない子は、容易に人を傷つけるとも考えているからです なるほど、そのさじ加減が難しいところですね。 痛みは伴わなくても、精神的に傷つくということもありますからね。 それをどうフォローするか・・ キーは感情で先走らないこと、という感じがします。 ありがとうございました。

  • kyoromatu
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回答No.3

あくまでも私的というか個人的見解ですが、簡単に言うと 怒ると叱るの違いだと思っています。これは似ているようですが非なるもので、怒る・・つまり怒りは感情優先です。 しかし一方 叱るは理性優先であり且つ相手を慮ることが優先です。 前者でやった場合は体罰、後者の場合は躾だと・・二昔前までぐらいまでは言われましたし世間ではそれがごく普通に容認されていました。 ただ現在はたとえ躾であったとしても、暴力を伴ったものはウムを言わさず体罰だ、となるようですから注意が必要です。 つまり殴って叱る、、ということは通用しないということです。 >逆を言うと、しつけで済むにはどんな方法があるのでしょうか? 1度目は注意する→2度目は叱る→3度目は怒る→そしてそれでも直らない同一の問題点は→体罰で教える→それでも直らなければ・・ という段階を冷静に踏むことも肝要でしょう。 親の責任として自分の子供の教育は、満二十歳まで!というひとつのケジメを伝えておくことも効果があります。 つまり成人する日までは家庭教育で躾けるが、それを1日でも過ぎたら法的にも大人になるわけだし全て自分の責任となるのだから、あとは、助言を求められれば教えるが、親から一切口をはさむことはありませんよ ということを折に触れ言い聞かせておくことも子供に目安を与えておくことになり良いのでは・・という信念を以て育てました。 いずれ現代においては、いかなる理由にせよ暴力は奮わないほうが無難です。

localtombi
質問者

お礼

回答を頂き、ありがとうございます。 >怒ると叱るの違いだと思っています。これは似ているようですが非なるもので、怒る・・つまり怒りは感情優先です。しかし一方 叱るは理性優先であり且つ相手を慮ることが優先・・・ なるほど、怒ると叱るですね。 要するに、こっち側の理性次第と言えそうですね。 つい感情的になってしまう親が多いですが、そういうコントロールをできないことが体罰を生んでしまうんだと思います。 ありがとうございました。

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