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体罰と愛のムチ
先生が生徒を殴り、病院に行くほどのケガをさせてしまった。 体罰は、殴られた本人やその親が決めること? それとも、周りのPTAや社会が決めること? もし、PTAが『あれは、体罰だ!その教師をクビにしろ!!』と、言ったとしますよね。 この時、殴られた生徒の親が、『あれは明らかに子供にも非があるので、許してあげてください。』と言い 殴られた生徒も親と同じ意見だった場合 この先生は、処分は受けるかもしれませんが体罰にはならないのでしょうか? 実際に私が中学生(4年ほど前)にあった話なんですが、この時は、その場にいた生徒(もちろん殴られた生徒本人)もその親達も"愛のムチ"と受け取り、騒ぎになりませんでした。 最近、『体罰!体罰!』と言っていますが、愛のムチは存在しないんでしょうか? あの時、本当は、問題にすべきだったんでしょうか? みなさんの意見を聞かせてください。 ※私は、体罰を容認するつもりで書いたわけではありませんので、そこは勘違いしないでください。
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肉体的苦痛を伴う罰は全て体罰になると思います。 例えば、殴るということでなくても長時間の正座や長時間立たせておく ことなども体罰になります。 ただ、それを問題にするかどうかは、本人や保護者など罰を受けた側が 判断するのですね。 たとえ生徒のためを思ってやったとしても体罰をして本人や保護者が 問題にすれば、教師は程度の差はあれ処分を受けると思います。 今、教師は体罰は絶対してはいけないことになっています。愛のむちと いうことは通用しません。 しかし、生徒のことを思ってやまれず体罰をしてしまった場合、その思 いがどれだけ伝わるかで問題になるかどうかが決まってくるかと思いま す。
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- yottimama
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『体罰』という行為の共通点を考えてみました。 親と子供・教師と生徒・・つまり大人と子供又は教える側と教わる側ですよね。ここには上下関係があります。 上の者が下の者を罰するときは『体罰』と言い、その逆の行為が行なわれた場合は『暴力』と呼ばれる。 上下関係でしか成り立たない罰則行為(体罰)は、やはりどこかおかしいのではないでしょうか。 私も子供を叩く時があります、もちろん子供を深く愛しています、が、その行為自体『暴力』以外のなにものでもありません。 子供が悪い事をした、子供にいけない事を教える等々理由はあっても、それを正すのに叩く以外に方法がなかったかというとそうではありません。 一番したくない、それでも一番てっとり早い暴力という行為を選択したのです。 愛情があるから、というのは体罰を肯定するかっこうの 隠れ蓑、言い訳にしかすぎないと思います。 『愛のムチ』も同じです。愛という行為にムチというものは合い入れないと思います。 過保護な親が多くなってきているのではなく、物事を深く考られない大人が多くなってきているのでしょう。 結果、安易な行動行為をとる大人が増えれば、当然子供たちは同じ事を覚えるでしょうね。
- tatomiver2
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暴行罪や傷害罪は、親告罪ではないので、被害者の意思の如何にかかわらず、 犯罪として成立します。 よって、このような犯罪が行われた場合、検察官や司法警察職員は、 検察庁法、刑事訴訟法の規定に基づき、捜査を行います。
- p-21
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>体罰はれっきとした犯罪行為です 体罰は犯罪行為ではありません お間違えの無いよう 暴力は犯罪行為という解釈とはなりますが・・・ 親が子供に手をあげる 理由は教育の為、 これが犯罪行為とされるならば 日本の警察は忙しくてしょうがないでしょう 教師においても同じ事といえます 体罰であるか暴力であるかは 受け取る側の問題です 現在のおかしくなった社会状況は 子供の過保護にが原因によって起きているとも言えるではないでしょうか? 教師の体罰を大きくデフォルメして取り上げた かつてのマスコミ、社会が今のゆがんだ 状況を作り上げているのではないでしょうか? ワタシも教師による”体罰”をおそらく ここに書き込まれている方の中で一番多く激しく受けてきた と思います しかし今のワタシにとって それがあるゆえにまっとうな社会生活が出来ていると思っています ワタシに手を上げた当時の先生方には 感謝こそすれ 恨んではいません 体罰がどうのと騒ぎ立てる 親が”体罰”を”暴力”にしてしまっているのです 歪んだ子供をつくり出すのは歪んだ心をもった 親であることを今一度認識する必要があると強く望むところですが
- tatomiver2
- ベストアンサー率4% (6/140)
体罰についてはなしがしたければ、ヤフー掲示板がお勧めですが、 右翼が相当手ごわいので、いくのなら覚悟してください。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=l&board=1834903&tid=bnh3a4ca4f0ada4a4bbva1a9&sid=1834903&mid=94 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=l&board=1086165&tid=bnh3a4ooka4ga49a4aba1a9&sid=1086165&mid=257
- aminouchi
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>体罰は、殴られた本人やその親が決めること? >それとも、周りのPTAや社会が決めること? という疑問に関してですが、ある行為が体罰であるかどうかは、社会が決定します。 その背景や結果にかかわらず、その行為が刑法に規定されている犯罪であるかどうか、最終的に決めるのは裁判所であり、それはつまり社会が決定するものと考えます。教育の現場での行為であるにしろ、この原則は変わりません。 ただ、現実の社会の中である行為が明白に違法行為であったとしても、それが必ず起訴されて裁判となるとは言えません。その犯罪がなされたとしても、その事実が社会に知られなければ(この段階で自主的に犯罪を犯したと当局に申し出るのが自首です)当然に起訴されませんし、知られたとしても警察が捜査するに値するかどうか、捜査しても検察官が起訴するに値するかどうかなどの判断を各段階でおこなう訳です。公判維持が難しいとなれば不起訴、あるいは起訴猶予などの措置が執られます。 ということを前提として考えて行けばまず「体罰」は違法行為です。また「愛のムチ」(明白に体罰として違法ですが)とは、体罰を受けた方が自分にも非があると納得する場合にのみ成立する行為であるでしょう。 当事者として語るならば、明白な違法行為であり、それによって自分が起訴され有罪となるかもしれないが、それでもなおかつこの生徒を立ち直らせるためにはそれが必要だ、という認識と覚悟があってはじめて「愛のムチ」をふるうことになると思います。言い換えると自分の一生と交換する価値があると判断してはじめて成立する行為だと思います。 ご質問の場合については、おそらく教員の側にそれだけの覚悟と誠意とがあったために、被害を受けられた側にもその真意が通じたものと思われますが、一般にはそれだけの覚悟も決意もなく安易に「愛のムチ」と称しての体罰が戦前には横行し、現在でも続いていると思われます。 結論としてあらためて言えば 行為は体罰です。 生徒・親が納得するものであったからには、愛のムチとして効果がありました。
- nii2002
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どんな理由であれ、生徒が病院へ行く程のダメージを与えてしまっては先生も言い訳できませんよね。 ただ、ichigoga2koさんの4年程前の話しは“愛のムチ”だと言っていいと思います。だって当事者達がそう言ってるんですから。本人も納得してるんでしょ?問題にしなくて良かったと思います。 そこへPTAの中から余計な連中がしゃしゃり出て体罰だ!体罰だ!と騒がなかったのはラッキーだったと思います。 話しは違いますが、どっかの交番のお巡りさんが拳銃を取りだし、グレた兄ちゃんを説教した事が問題となり免職、署名運動のすえ復職した出来事がありましたよね。そうゆう事もあるんです。 世の中には色々な人がいて、一つの出来事を様々な方面から見て検討し判断を下せる人と、一つの方向からしか見る事ができず、0か100か、白か黒かという単純な判断しか下せない人がいます。 100回の体罰(愛のムチ)があれば100個の理由があります。私達はコミュニケーションの中で生活しているのであり、同じ行為でも納得できるもの(愛のムチ )と納得できないもの(体罰)があるはずです。 それらをちゃんと判断できる人間になりたいものです。 体罰とは誰が決めるのか?それは“運”だと思います(それじゃ答えにならんか、、、)。 そこに居るのは客観的な視点からちゃんと物事を判断できる人か、感情的になったり、独善的な正義感のもと騒ぎ立てる事しかできない人か、結果が大きく分かれる所ですね。 “愛のムチ”も“体罰”も存在すると思います。
- tatomiver2
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体罰はれっきとした犯罪行為です。 程度と加害者の意思によって、 脅迫罪、強要罪、暴行罪、傷害罪、傷害致死、殺人罪等が成立します。 大いに問題にすべきでしょう。 私は相手がいかなる人間であれ、 犯罪行為を認知したら、被疑者の現行犯逮捕、告訴、告発、 マスコミ、教育委員会、政党その他必要な機関への通報を行います。
- novario
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年齢・学年・性別にかかわり無く、生徒が社会的常識や学則等に著しく反した場合、体罰は行われるべきです。 体罰を行う前に1回くらいは注意してやってもいいかもしれませんが、明らかに生徒に非があるのなら、体罰は正当な処置でしょう。生徒が能力が未熟であるために失敗し、それを原因としての体罰は間違っているとはおもいますが。 怪我をさせる、というと少し行きすぎでしょうが、ゲンコツで軽いタンコブくらいなら怪我というほどの物でもないと思います。
- myeyesonly
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こんにちは。 私は「怪我をさせてしまった」レベルの「愛の鞭」なんてのは存在しえないと思います。 怪我をさせてしまったらそれが善意であれ、当事者同士が納得づくであれ、問題外です。 100歩譲って唯一考え得るのは、ほおっておくと生命に関わる事態になりかねなかったので緊急避難的に強制するためにやった場合位かな? 私は「愛の鞭」という考えは特にもってないのですが体罰は必要だと思っています。 ただし、ただ単純に力ずくで従わせるために暴力を使うのではなく、その前や後において受けた人が納得しうる根拠が求められると思います。 受けた本人がちゃんとその理由を理解し、自分のとった行動の間違えに気づいた時、はじめて体罰が愛の鞭になるのではないでしょうか?
- children
- ベストアンサー率14% (4/28)
体罰は基本的には容認すべきではないとは思います。 しかし何を持って体罰とするのか、愛のムチなのか、あいまいな問題です。 さらに現在の社会背景として親が過保護になりすぎていること、社会が体罰に対して大きな関心を持っていること、心のない暴力をふるう教師がいることは否定できません。 体罰を受けた人物がそれによって誤りを正すことができれば愛のムチとなるでしょうし、ただの暴力で終わってしまうこともあるでしょう。要は受け手にの心次第ということになるのではないでしょうか。
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