例えば幕末の「開国」を例にとりましょう。
ペリーは浦賀に来航する前、1853年に琉球(現在の沖縄県)を訪れています。この時ペリーとの交渉に当たった人物が板良敷 朝忠(いたらしき ちょうちゅう)もしくは牧志 朝忠(まきし ちょうちゅう)と呼ばれる人です。
板良敷 朝忠は学業的に優れていたことから現在の国費留学生に相当する形で中国に留学し中国語を学んでいますが、その際に英語も身に付けていたと考えられています。その理由ですが、当時の中国は東インド会社を通じてのイギリスやオランダなどとの海外貿易も行われていた事から英語←→中国語の形でマルチリンガルの能力を有する人物もかなりの数でいたことも容易に想像できます。ですから留学生の板良敷 朝忠も当然のことながら英語に堪能だったとの説明も納得の出来るところです 。
また信長で知られる南蛮貿易ですが、それと同時にポルトガルからキリスト教がもたらされたことも忘れることのできない理由になります。宣教師が日本で布教活動を促進するため、16世紀の後半から17世紀の初頭にかけて辞書が作られます。『日葡辞書(にっぽじしょ)』と呼ばれる、室町時代から安土桃山時代にかけて使われていた「日本語」を今に伝える史料としても知られている書物です。
この辞書の特徴は「ローマ字による日本語表記」を行っている点で、「この言葉はこう読み、この様な意味がある」ことを示している点にあります。ですから今で言う「ネイティブ・スピーカーの発音を文字で表した文献」と考えればわかりやすいかと存じます。
この当時の言葉は今でも私たちの身の回りにある言葉として伝わっているものがかなりありその中には「タバコ(tobaco)」や「シャボン(sabao)」などの馴染み深いものもあります。