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歴史のif、絶対国防衛圏
- 「絶対国防衛圏」を破られた時点で降伏した場合、その後の歴史はどうなるのか?
- 絶対国防衛圏を破ることで内戦や焦土化を回避し、多くの命が助かり、復興に影響が出る可能性がある
- しかし、ソ連の侵攻やアメリカの原子爆弾使用など、新たな歴史の展開も考えられる
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>もし「絶対国防衛圏」を破られた時点で、天皇陛下の聖断が下って、降伏(その時点ではカイロ宣言受け入れ?)した場合、その後の歴史はどうなりますか? 興味深い歴史のifですが、無い知恵を総動員して極めて真摯且つ史実に忠実に考えました、依って以下長文になりますが御容赦を。 長くなる為絶対国防圏への具体的な言及は避けますが、仮にB-29に依る本土空襲が可能になった時期と仮定すれば、マリアナ沖海戦での敗戦・サイパン島の玉砕が確定した1944年7月初頭という事になるのでしょう。 仮に全ての付帯条件を無視して御提示の時期での降伏(当然無条件降伏になるものと思われますが)、そしてそのケースでの後世への影響を考えますと、主として憲法の在り方を含む軍隊の存在・領土問題・経済問題・政体の問題(天皇制及び民主主義の在り方を含めた)、以上の4点が議論の対象になるものと考えます。 (憲法・軍事) 或る程度の余力を残した時点での降伏であれば、新憲法へのアメリカの介在の余地は低い為、かなりの軍縮は余儀なくされたとしても、軍隊そのものは保全された可能性が高い。 依って今尚紛糾する憲法第9条、及びそこに付随する諸外国に於いて自然権と見做される交戦権の有無に関し、不毛な議論に至る前提条件が存在し得ない。 (領土問題) 前項の憲法・軍事との関連性に於いて、現存する全ての領土問題の背景に厳然として存在する、我が国の軍事力及び交戦権そして自衛権その全てハードルが存在しないはずです。 即ち敗戦に依り、満州国・台湾・朝鮮半島及び委任統治下にあった南洋群島の放棄は止む無しとしましても、その後長らく我が国の懸案事項となった、北方領土・竹島・尖閣諸島などの諸問題は顕在化しなかった、そう考える次第。 特に北方領土問題に関して申せば、当時ソ連の参戦を許しておらず、日ソ中立条約は有効でありましたから、北方四島を含む千島列島以南の日本領は保全されたものと予想されます。 当然当該地域が国連の委任統治下に於かれた可能性は否定出来ませんが、仮にそうであったとしても或る一定の時期以降の返還が行われたというのが、現実的な考え方でしょう。 尚日本の軍事力が仮に保全されていたとすれば、現状見られる極東のパワー・バランスが、現在とは全く違ったものになっていた可能性が高いという点も、併わせて付け加えておきます。 (経済) 戦後日本の高度経済成長の背景には、軍事費という足枷が無いという前提条件が不可欠でしたから、自前の軍隊を持つ普通の国家であったなら、一足飛びに世界の経済大国にのし上がった、成長のスピードが鈍化した可能性が強いものと思われます。 (政体) 当然ながら天皇制は、現在よりも強い影響力を保持した上での、立憲君主制という事になったでしょう。 但し明治政府開闢以来、特別なケースを除いて、「君臨すれども、統治せず」との基本原則は遵守されて参りましたので、世界の趨勢に合わせ、漸進的に現在のスタイルに近付いたものと思われます。 また民主主義の在り方も、ほぼ無制限な個人的権利の主張が容認される、現在の日本的な民主主義無とは一線を画した、公が重視される戦前の思想が残ったものになった可能性は否定出来ません。 但し以上推論した展開は、ただ1人の政治家に依り全て覆された可能性があります、それはかのアメリカ合衆国大統領ルーズベルトの存在。 もし彼が存命し大統領の職務を執行していた1944年7月に於いて、日本が無条件降伏に至れば、我が国の戦後風景と現在の歴史は、全く違ったものになった(無論悪い方に)可能性が極めて高いでしょう。 尚下の回答で一部誤解がありますので訂正致しますと、極めて歪んだ対日観を有し、酷いレイシストであったのはトルーマンよりはむしろルーズベルトである事、そして原爆の投下はルーズベルトの在任中に決定され、トルーマンは規定の路線を消極的に踏襲したに過ぎない事。 更にはソ連の参戦を促したのも容共的傾向が強かったルーズベルトであり、彼はソ連の北海道駐留をも容認していた形跡があるが、反共姿勢が鮮明であったトルーマンがソ連の日本駐留を拒否した訳です。 その証拠として、ルーズベルト逝去の一報を聞いたスターリンが、呆然と立ち尽くしたとの公式記録が残されております。 もう1つ付け加えますと、ルーズベルトは中国に依る沖縄の領有をも主張しており、蒋介石が断った為事無きを得たが、日本の無条件降伏を目前にした彼の死は、我が国の戦後に対して或る意味幸福を齎した、そう考えざるを得ません。
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- rabirabi88
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カイロ宣言は戦争継続なので、日本人が絶滅するまで戦争を継続するのではないでしょうか、なので、日本が受け入れるなどという話ではないと思います。 そもそも日本がなかなか降伏しなかったのは、降伏させてもらえなかったからです。
お礼
カイロ宣言がポツダム宣言と意味合いが違うのは先の回答でご指摘いただきましたが、やはり降伏させてもらえなかったんですね。 多くの犠牲が出るであろう本土決戦を前にして始めて、連合軍はそのカードを切ったと。 ご回答ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
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No.3ですが、あなたは重大な勘違い(前の質問の時もそうですが)をされているのではないでしょうか? 何故、鈴木貫太郎が首相になる必要があったのかです。確かに抗戦派を抑え込むためなのですが、その抗戦派とは誰なのかです。 鈴木貫太郎に頭が上がらない抗戦派…米内光政です。海軍の重鎮である鈴木(あだ名は鬼の貫太郎。略して鬼貫!)が米内に戦争を止めろ!と言ったから海軍が終戦に合意したのです。小磯は必死に中露を通じての和平工作を画策しましたが最後は米内と重光によって和平工作は潰されました。 サイパン失陥によって東條が総辞職し、小磯内閣が成立しました。小磯が取り組んだのが対米・対中和平工作です。日本政府は絶対国防圏を破られた時から和平工作を開始したのです。その成果が1年後だったのです。連合国が講和条件を出さない!ならば特攻と徹底抗戦で米軍に流血を強いる!それが最後の1年でした。
お礼
失礼しました。ちょっと意地悪な回答だったんで。 たしかに前のifでも米内に突き当たりましたね。 米内については、「日本のいちばん長い日」くらいでしか知らなかった(あとは漫画)ので、私のイメージと実際は違うのですね。小磯内閣時のことも勉強しようと思います。 ありがとうございました。
- mm058114
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『鈴木首相は最初から終戦に導くために天皇から暗に頼まれて首相になり、抗戦派を押さえるためにポーズをとっていたんじゃないんですか?』 の件 表現が間違っていました・・・すみません。 鈴木首相は、天皇から「戦争の収集の方法を研究するように」のとの方向性を示されます。 鈴木は、「一発の勝利を得てから同等の立場での講和」を得ようと考えていました。 やはり海軍軍人なので、名誉ある停戦を望んでいました。 この点は陸軍等の交戦派と云われる人達と同じです。 昭和20年の各地大空襲、本土の艦砲射撃、充実しない本土兵備、特攻だけの作戦等々の中、戦争継続で勝利を得られると考える人は交戦派と言われる人も皆無で、名誉ある停戦=継戦派で、「天皇の護身、護国」を誰もが考えていました。 (交戦派=継戦派と言うべきと思います) 鈴木はこの中で、天皇の望む「護身は無くとも民族の生き残り」の為に、無条件降伏に変化して行きます。 横道に反れましたが・・・ 絶対国防圏喪失の段階では、海軍は未だ有力砲戦戦力を保持し、陸軍はインパール敗戦したものの、満洲支那に多くの師団保持し、玉砕したのは5%にも過ぎません。 「ヤバイ!本土が空襲されるな~」程度の段階です。 ドイツもスターリングラード、北アフリカで負けても、やっとローマ開放、東欧蜂起、フランス上陸を許した段階で、ヒトラー、ムッソリーニは健在という状況です。 日本が最初に手を挙げるわけには行かないでしょう。 天皇の聖断が、この時点あったとしても、多くの軍部、一般人も情報隔離されているので、納得しないでしょう。 クーデターで、終戦に導く重要な登場人物が暗殺され、昭和20年の無条件降伏もなく、民族存亡の危機だったでしょう。 一般市民の暴動も必至で、秩序ある終戦も不可能と思います。 現に、良識派の重臣達のこの時期ゴールは停戦では無く、「敗戦を重ねて状況が揃う迄は待つ」でした。 首相、統帥部に、明らかな終戦派を送り込むのは時期尚早で、取り敢えず、米内光政の現役復帰、海軍大臣として送り込む事が最大のゴールでした。 原爆については、戦争終決の戦略目的、アメリカ国民の若い命を守る、と言うより、トルーマン大統領の議会対策、戦後の対ソ連対策、人種差別と言われています。 これも「たられば」ですが、「ルーズベルト大統領が生きていたら」「トルーマン以外が大統領なら」結果は違っていたかもしれませんネ。 広島、長崎の人には失礼ですが、戦争継続困難を後押しした要因の一つではあります。 18都市が投下リストに載っていたそうですし、新潟、小倉は直近だった様です。 (まあ、3つ目は嘘か本当かサイパンで海没したと言われていますが・・・) 日本は最良の時期と方法で終戦を手に入れたのではないでしょうか? 欲を言えば、あと半月早く踏み切る事ができれば、50万人位の命が救われたのでは?! と思いますが、原爆とソ連開戦が、最後のひと押しをしたと考えると、難しいかと考えます。 反対に半月遅れていたら、朝鮮が完全占領され、北海道侵攻、原爆が4つ目迄投下され、200万人の命が奪われていたかもしれません。
お礼
やはり史実が最良のタイミングですか・・・ 「一撃を与えた後少しでも有利な講和」にこだわったために、多くの命を失ったのは大変残念ですが、当時の状況としては、全国空爆、沖縄上陸、原爆、ソ連参戦など条件が揃わなければムリだったんですね。実際、史実のポツダム宣言受諾もかなり危うかったわけだし。 大変勉強になりました。これからも色んな本など読んでみます。 >(まあ、3つ目は嘘か本当かサイパンで海没したと言われていますが・・・) ローレライの伊507が仕留めたやつですね(笑)
- onbase koubou(@onbase)
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かわぐちかいじさんが「ジパング」でそれを描かれていますね。 「ジパング」では昭和18年前半までに絶対防衛圏」まで撤退、サイパンを要塞化してマリアナ沖で決戦を挑み、講和に持ち込む、クーデターは事前に「粛清」という筋書きでした。 昭和20年の終戦詔勅ですら阻止しようとしたのですからその時点で講和・降伏しようとすれば当然クーデターが起こるでしょう。史実と違って本土は空襲を受けていませんので設備、装備が十分にあります。 継戦派の方が多いでしょうから講和は成立しないし、ましてや降伏など無理でしょう。 失うものばかりで得るものがないまま降伏、空襲を経験していないので国民も不満がうっ積、焼け野原にならなかっただけに古い街並みや設備がそのままですし、朝鮮戦争が起きたとしても軍事特需がないので史実のような高度経済成長などは望めないでしょう。 そうした国民の不満、経済不振を解消するために再び海外領土確保をするために侵略戦争を開始、中国や韓国、フィリピンなどの要請を受けてアメリカが軍事介入。海外領土を失っていた日本は空襲を受け、史実のとおり全土を焼け野原にされ、原子爆弾を落とされて降伏。以後は史実のとおり。
お礼
ジパング、そういえばそうでした。早い段階での戦略的な撤退でしたが。 >空襲を経験していないので国民も不満がうっ積 絶対国防衛圏って、アメリカの戦略爆撃機を想定して線引きしたはずだから、全国が焦土となる最悪の結末をその時点で周知させるべきなんだけど、当時そんなことできるハズもなく・・・結局ただの「作文」だったわけですね。 古い町並みがすべて残るのは確実に経済発展の足かせになったでしょうね。 軍事特需が無い、は、米軍の軍事力が温存されるからですね。なるほど。 たしか、戦争犠牲者300万人超の大部分が戦争末期の犠牲者なんですよね。その多くの人命を失わずに終わらせるシナリオは無かったんでしょうか。
- PENPENMAKKY
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mikasa1905閣下、大変でございます! 閣下が発令されました一方的な日本陸海軍攻勢停止命令後、連合軍が攻勢を開始しました。 政令指定都市のほとんどが無抵抗のまま空襲を受け壊滅状態になっております。 フィリピン、ビルマ、中国戦線の我が部隊は反撃も出来ず戦線が崩壊しました。 現地に滞在する邦人は次々と襲われ男子は皆殺し、女子は次々と犯されております。 そもそもシンガポール・マレー・インドネシア・フィリピンを奪れた状態で連合国が戦争を止めると思う感覚がおかしいです。 戦争を止める為には両者の合意が必要です。カイロ宣言は対日戦継続が決議されており、日本が戦闘行動を止めようが関係ありません。ポツダム宣言は戦争を止める機会を日本に与えており、日本が戦闘行動を止めれば連合国も戦闘行動を止めるとなっています。
お礼
はいはい、すみませんでした。 カイロ宣言はちょっと違うかなと思ったので「?」を付けといたんですが、そーゆーとこ目ざとく突いてくるわけですね。 ご指摘ありがとうございました。
はじめまして。 難しい問題と思います。 私個人の、意見でよろしいのでしょうか? また、御質問の趣旨から外れていたらお許しを頂けたら と、いう前提で回答をしてみたいと思います。 基本的に、第二次世界大戦の事に成ると思いますが、私は、ロシア帝国に勝った大日本帝国のオゴリが有ったと思います。 日本は、敗戦し苦汁をなめさせられました。(今でも後進国は、利用してる事実が有ります) しかし、敗戦した大日本帝国は、無条件降伏した為仕方ない、事実ですが、今は本当に憲法が合ってるのか? そして、敗戦した日本人の努力を今の方々は、どう理解しているのか?(平和ボケ) 憲法9条の問題も今に成っては、古い憲法であり改正が必要だと思ってます。 アメリカから、もう自衛隊、ではなく立派な日本軍として世界の平和を守る為に日米安保で甘えずに軍隊を持つべきと、20年前から求められた事実が有ります。 日米同盟の元、日本は、沖縄に米軍を駐留して頂き事実上、日本を守っていただいてる事実が有ります。 一部の方は、米軍の兵隊は、犯罪者扱いです。 しかし、日本は、その方たちの、命の元領土を守って頂いている事実を解ってるのでしょうか? 先日、竹島がどこの件?と、TVが、聞いたらさ~~~? 良いのでしょうか? 島根県の領土の一部に韓国軍が、事実上の占領をしているのです。 許せない事実を日本人は、平和ボケして解ってません。それも、教えてもらってないと社会人【35歳ぐらい】が。。。。 良いんでしょうか? 私は、今回の選挙で50%位の投票率で あ~そーなんだ? 一社会人として、抜けすぎではないでしょうか? 私は、戦後の日本は奇跡的な戦後復興をした事実は有ります。認識してます。 しかし、今の日本人は、どうかしてますよ。 このままでは、竹島は、特に韓国領土に成る恐れも有ります。 事実、世界裁判所に争わない卑怯な領土の採り方を国民は、許してるのです。 第二の、北方四島に成りかねません。 日本は、アメリカのバック無に日本領土を守る事が出来ない事を日本人は知ってるのでしょうか? 貴方に、この事実を当てても仕方ありません。 御質問者様には、愛国心をきっとお持ちと思い 私の思いを書かせて頂きました。 もし、偏り、間違いが有れば私も頭の認識を変えたいと思います。 もし、宜しければ、私の回答に対しお答えを頂きたいと思ってます。 書けば、きりない、大事な歴史です。 もし、宜しければ、御質問者様のご意思をお聞きしたいと思います。 長い、だらだらとした、文章で申し訳ありません。
お礼
ごめんなさい、おっしゃる通り、書けばキリがないし、趣旨から外れているので、ここでは控えめにお答えします。 まず、愛国心からこんな質問をしたわけではありません。現状の日本を取り巻く問題につながる大東亜戦争ではありますが、まだまだ勉強不足で、歴史のifで多角的に見れないかなと思っただけです。 あなたのご意見には7割方賛同しますが、あとの3割は迷いがあります。 日本以外の国々では自国の「正史」があって、自国に愛国心を持てるような歴史教育をするのが普通ですが、敗戦国である日本(ドイツもかな?)は自己反省の歴史教育を含みます。その教育がおかしい、という意見も多いですが、外国に生まれていたら知り得なかった自己反省の歴史を勉強しておいてもいいかと思います。慰安婦問題、南京事件など難しいですが、外交的には決着しているし、それは国益優先で外交のプロにお任せしますが、対中戦争で日本が何をしていたのか、はとても気になる所です。色んな本を読み散らかしてますが、何が本当かちーっともわからないんですが。(この件もいくらでも話が広がってしまうのでこれ以上書きません) とりあえず今回は敗戦について、よりよい負け方が出来たんじゃないかって疑問があって、皆さんの知恵をお借りして考えたい次第です。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
「絶対国防衛圏」を破られた時点で、天皇陛下の聖断が下って、降伏(その時点ではカイロ宣言受け入れ?)した場合、その後の歴史 との事で、時期は特定されますね。 私見が入りますが、簡単に述べると、 まず、天皇の聖断・・・ この時点で降伏に賛成した人物は皆無でしょう。 停戦と言う事であれば、米内海軍大臣と2、3名の閣僚が賛成したでしょうが、統帥権に関わる者の賛成も皆無。 よって天皇の聖断自体に持って行く事が困難。 昭和天皇は明治天皇の様に自身の考えで国を動かしていません(明治天皇も本当にごく一部の方向性だけ)。 臣下の決定を追認するだけの存在。 不満が有る時は、言葉にせず無言で保留の態度をとる。です。 もし、この時点の停戦の場合でも・・・ クーデターが起こり、米内海軍大臣と2、3名の閣僚が暗殺されていたでしょう。 更に終戦に導く重臣その他多くも暗殺され、その後の降伏も困難になっていたでしょう。 終戦に導く鈴木首相も、着任時は交戦派で、その後、現実の情報、流れで終戦に導くのです。 終戦の一つの鍵として、陸海軍等の交戦派の目をかわした、外務省の英文和訳の力が大きいと、私は考えています。 結論だけで申し訳ないけど、以上が私見になります。
お礼
聖断はありえないと。 停戦の場合でも、米内大臣はじめ、数名の方々には殉職してもらうとしても、その後大混乱。史実では鎮圧できたクーデターもこの時点では止まらず収拾つかなくなるかもしれませんね。 どうにか聖断してもらっても、結果は同じかな・・・ 鈴木首相は最初から終戦に導くために天皇から暗に頼まれて首相になり、抗戦派を押さえるためにポーズをとっていたんじゃないんですか?
お礼
皆様の回答を頂くうちに、自分の質問の設定がだんだん無茶だとわかってきたのですが、はじめてまともに話に乗ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます。 >かなりの軍縮は余儀なくされたとしても、軍隊そのものは保全された可能性が高い。 武装解除や占領統治は無いということでしょうか? 日本が軍事力を保持したままのパワーバランス、難しいですね・・・ アメリカとどうにか仲直りして、中国大陸、満州、朝鮮半島から撤退しても、ソ連や中国とはいずれ衝突しそうですね・・・ やはり冷戦はアメリカに戦ってもらわないと、日本はもたないだろうし。 >彼の死は、我が国の戦後に対して或る意味幸福を齎した ヤルタ会談のスターリンとの密約とか考えると、確かにそうですね。トルーマンが指を鳴らして原爆投下にGOサインしたイメージがあって、トルーマン憎しってのが強いですが、ルーズベルトが生きてたらもっとひどかったってifは気づきませんでした。 でも1944年7月の段階なら秘密協定がまとまってないから間に合ったのでは?やはりその時点では降伏なんかさせないって事でしょうか。