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「~よう(に)」と「~の」の違い
例えばですが 水の中で棒が曲がっているのが見えた。 と 水の中で棒が曲がっているように見えた。 の違いについて 品詞の観点からや考え方など抽象的でも構わないので、お力添えをしていただきたいです。 よろしくお願いします。
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文法的な観点からお答えします。既にご存知であればお許し下さい。 上の文の「の」は、準体言の格助詞といいます。名詞の代わりをする助詞です。 「曲がっているところが見えた」と同じということです。 たとえば「花の都パリ」といったときの「の」は比喩「~ような」という意味を表しますので、「の」にも「ように」と同じ意味が無いことはないです。今回の文も、「曲がっているのが」を「曲がっているようなところが」と解釈できなくもないように思います。ただ個人的には、それは拡大解釈かな、という感じがします。 「の」のあとの「が」は格助詞であり、「が」の前には体言が置かれることから、ここでの「の」は比喩の意味ではなく、準体言ということがいえます。 こちらは実際に曲がっていることになります。もともと曲がっている棒が水の中に入っているか、何か力を水中で加えて棒が曲がったか、といったところでしょうか。 下の文の「ように」は、比喩(比況、たとえともいいます)の助動詞「ようだ」(の連用形)です。 実際には曲がっていないけれどもまるで曲がっているように見える、ということです。 不確かな断定(推定ともいいます)という用法もありますが、ここでは比喩のほうが適当かと思います。 理科の知識は全くないのですが、おそらく屈折かなんかで曲がって見えるということなのではないでしょうか。 ただ、日常会話の中では上の文でも「曲がっているように」と同じ意味で使われていますね。日常会話にせよ、例えば教科書かなんかにこのような文が出ていたにせよ、意味が通じますのでどちらの文でも問題はないとは思います。ただ文法的な解釈は上記のような違いがあると考えられます。 違っているところがあったらすみません。
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- evergreen1974
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はじめまして。 品詞の観点といった詳しいことではありませんが…。 ○曲がっているのが見えた 実際に曲がっている様子、形状が ハッキリと目視できた表現だと思います。 ○曲がっているように見えた 正確には分からない、ハッキリと確認できていない けど、そのように見えたという憶測の表現だと思います。 断定と憶測の違いではないでしょうか?