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ニーチェの思想に対する反論

現在、哲学的な授業を海外で取っています。 そこで、ニーチェの以下の考えに対して反論意見を書くエッセイが出されたのですが、まったく反論を思いつくことができません。もし反論意見があればアイディアとして教えてください。 1)Nietzche believes that all modern ethics, especially Christian and others-based moralities (unegoistic), have their origin in slave morality 2) Nietzche believes that conscience is a disease よろしくおねがいします。

みんなの回答

回答No.1

 こんにちは。  2.  《良心》は ほとんど公理です。根拠なく認められるものです。  たとえばウソをつくとき 胸騒ぎがし顔が赤くなり ことばはしどろもどろになります。ウソ・イツワリをおこなおうというわが意志に逆らってでも――というよりは その虚言を吐くということが わが心に逆らっているからだと思われますが―― そのようなやましさをおぼえる生理的・心理的な反応を起こします。  このやましさ反応は 良心としての感性でありそれとしての理性でもある。こう・一応の根拠を立てます。  これをみとめないというのは 思想ではなく 狂気です。  あるいはまた 仮りにそのような公理ないし常識に反しておのれの考えを持とうというときにしても その内容に人びとの共感や同感を得ようとするのは じつは この良心にうったえているということになります。  まさに 良心を病いだと考えるのは 病める精神である。と言えましょう。  1.  人びとの思惟・内省=かつ生活・行為の形式にかんしてですが――これが《道徳》と訳されてもいますが―― 《奴隷の道徳》と比べられるところの《君主の道徳》 これは ただただ言ってみれば勝てば官軍という場合のように 《勝った者は勝った者としての思考形式がある(その意味での《道徳》がある)と言っているだけです。  もっとも敗者の思考形式にしても 勝者と同じように何が何でも勝たねばならぬというような勝ち負けとそれに付随する思考や行動の問題だというのであれば 君主の道徳と同じことです。その勝者の勝ち誇る陽性に対して陰性でくやしさやうらみをかこつだけのことになります。裏表の違いだけで 互いに一体の心理や発想しかありません。  そもそも例の《土地に囲いをつくってそれはおれのものだ》と言ったというたとえ話の前提があるかないかで 見方は違って来ると言えましょう。  それについては 次のような構図で説明されるものと思われます。  社会づくりの方式にかんして 次の三つに分けます。  (α) 対話型:日本  (β) 競争型:西欧  (γ) 暴君型:アフリカ      (これは スサノヲ市民の側が アマテラス公民に対して その国家     の経営がうまく行かなかったときには 引きずりおろし それだけでは     なく ころしてしまうという意味で 暴君として振る舞う型)  この土地は おれのものだと宣言した者が その所有主だと成る(もしくは 見なされる)というのは 競争に勝ったからだと捉えられます。所有権が確立されていなかったなら 闘争によって奪うという方式になります。これが (β)の西欧型の社会の成り立ちです。  そうではない場合があれば おのづから《君主の道徳》と《奴隷の道徳》とに分ける見方も そもそもそのはじめの成り立ちから違って来ます。《人は人に対して狼である》という前提が違うという意味になります。  そのような前提を論じる必要があると考えます。    次の質問の趣旨説明に少し述べていますので よかったら参照してください。    【Q:日本社会は 対話型か? なら話し合いを!】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6927237.html