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ドリアン・グレイの肖像
ドリアン・グレイの肖像の第11章で 「マルコ・ポーロ」はジパングの土民が 死人の口の中に薔薇色の真珠を入れる光景を目撃した」とあるが 、これは何のことを言っているのか教えて下さい。
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ごめんなさい。ずっと補足に気がつきませんでした。 正確に言うと、マルコ・ポーロ自身が『東方見聞録』を書いたわけじゃないんです。 ベネツィアの商人の子であったマルコ・ポーロは、父と叔父に連れられて、フビライ・ハンの治める元朝の上都に到着し、そこで17年間に渡ってハンに仕えた、とされています。 その後ベネツィアに戻り、対ジェノヴァ戦争に参戦、捕虜になって投獄されました。 そのとき同房に、作家のルスティケロという人物がいて、アジアで見聞したことを彼に語った。 それが『東方見聞録』(原題は『世界の記述』)になったということです。 現在、このときの草稿は見つかっておらず、印刷技術もない時代のことですから、書き写される際に種々の加筆も行われた、と言われています。どこまでが正確にマルコ・ポーロが見、聞きしたことか、は、いまでは推測の域を出ないのです。 また、元側の資料に、彼の存在を記した資料が一切ないことから、ほんとうにフブライ・ハンに仕えたかどうかさえ、疑問視する説もあります。 ※詳しくは『ジパング伝説 ―コロンブスを誘った黄金の島』(宮崎正勝 中公新書)をお読みください。 日本が「黄金と真珠の島」と書かれた理由に関しても、さまざまな説があるようです。 ただ、平安末期から鎌倉期にかけての日中貿易で、日本からの最大の輸出品が砂金であったこと、そのほかにも硫黄や水銀、真珠などが主要な交換財であったことを考えると、中国の人々が、黄金の島と想像していたとしても、まったくのまちがいではなかったのだと思います。 なお、このサイトで『東方見聞録』の“チパング島の話”の部分が読めます。 http://www.komazawa-u.ac.jp/~tyoshida/marcopolo.htm
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- ghostbuster
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これはワイルドの創作ではなく、マルコ・ポーロが『東方見聞録』で書いたことがベースになっているんです。 『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」に関する記述があることは質問者さんもご存じでしょう。 黄金の国ジパングは、純金ずくめの宮殿が建っている、という記述に引き続き、多量の真珠が産出することが挙げられているんです。そこに、“死者を埋葬する時には、その真珠をひとつぶ口に含ませるという習慣がある”、という内容のことが書かれていたわけです。 この部分ではドリアンが読み漁った宝石に関する本が、引用を含めつつ列挙されており、その数もかなりにのぼります。 実際にワイルドはこうした数々の書物を、ドリアンのような興味を持って読んでいったのでしょうね。
お礼
ありがとうございました。 マルコ・ポーロは何を見てこういうことを書いたのかご存知でしたら教えて下さい。
お礼
ありがとうございました、とっても参考になりました。にっこにこです。