田租ですよね?収穫の3~5%しか課されませんので、もともとは国家自体の運営費とはされずに、今でいう地方自治財源として扱われますよね。
具体的には出挙という「種もみ」貸し付けの、種もみとして使われたり、中央との連絡などの経費に充てられたりしていたようです。
ですから、もともとは中央に運ぶことを前提としていませんでした。
ただ、時代がくだるにしたがい、この制度もほころびが見えてくるんですね。
実は集まった田租は、国衙の正倉という場所に集積されて、まずは地方自治財源にあて、残りは倉に残してゆきます。そして、その倉が満杯になったら、NO,2さんがご指摘されておられる不動穀という扱いになり、正倉に鑰(かぎ)をかけて封印して、そのかぎの管理は中央官庁(太政官)にて管理されます。なぜそのようなことをするのかと言えば、飢饉などの危機管理体制下、太政官の命令のもと、不動穀を放出する救済措置を取るためなんです。
少し話が長くなりそうなので端折りますが、実態として不動穀という制度に問題点が表れながら、その厳しい規定が緩和されます。そうこうしているうちに、政府は「不動穀がある程度自由に使えるならば…」と考え始め、不動穀を山積される国内問題の財源にしようと考え始めます。
ここで初めて、正税は中央に運ばれるんですね。
このような経緯の中で、中央に運ばれる米自体の性格にも変貌が見られ、田租であったものが、庸物として扱われ始めます。そうなるとどの様に運んだのか?は想像がつくと思います。
ちなみに最初から庸として扱われる米も存在していたのですが、今回の回答では、「租の運搬」ということだったので、上記のような回答になってしまいました。
最後にまとめます
・租は基本的に中央には運ばない
・中央に運ばれる米の中には庸物という性格を帯びて運ばれるものもあった
・後年には政府の財政が逼迫する中、危機管理のために集積された租が中央に運ばれるケースもあった。
一応、これらが知識のアウトラインになるのではないかと思い、お話させていただきました。
もちろん、上記が全てではありません。その他にも様々なバージョンが存在するのですが、とりあえず今回はこのへんで<m(__)m>
お礼
大変詳しくよく分かりました。どうもありがとうございました。