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フランスとイギリスの王族の暮らしの差
17世紀から18世紀にかけて、フランスとイギリスの王族の暮らしの差はあったのでしょうか? 教えてください、お願いします。
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- tocchi2009
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イギリスはチューダー朝の最後の国王エリザベス一世の晩年から、ジェイムズ一世の時代は、英国の貴族は、美食は皆フランス料理でした。スペインのアルマダを破ったものの、その後、スペインの攻撃の危機にさらされていました。芝居は、グローブ座で、シェイクスピアの劇が催されていました。Macbethはスコットランド人の新国王Bethエリザベス一世の後継者Mac(子供という意味)のJames1のために書かれたものでした。他に見世物の一つとして、Barebaiteというクマを犬使って殺すショウもやっていました。ウィンザー城を訪れたことが、ありますが、質素でした。フランスのベルサイユ宮殿も、訪れましたが、こちら豪華煌びやかでした。ルイ15世のお狩場の後に建てられたものですが、王様は、風呂に入らないかったようです。公開出産で、プライバシーというものがなかったということで、オーストリアのハプスブルグ家のマリアテレジアの末娘のマリーアントワネットは、耐えられなくなって、プチトリアノンに逃げ込んだそうです。そういえば、ベルサイユ宮殿の床はムンクスのにおいいがしました。革命で皇帝になったナポレオンですが、香料は、柑橘系のものが好きで、最初の奥さんのジョセフィーヌはムンクスがお好みだったらしいです。離婚の原因もそこにあったのかもしれません。王家の装飾品、天井画、装身具、オモチャに至るまで全て特注でした。トイレは今は、ありますが、オマルでした。庶民はそれを捨てる時は、アラヨと声を掛けて、道に捨てていたようで、高貴の人は樟脳を鼻にちかずけて街を歩いたそうです。ルイ14世のナントの勅令の廃止が、スイスの精密機械の発展の端緒になった事はあまりにも有名な話ですね。ルイ16世は、鍵と狩り意外に関心を示さなかったようです。ギロチン台に掛けられる前はいいお父さんになったようです。
- tanuki4u
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ブルボン王朝の王様とチューダー朝の王様の違いってこと? http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/west-europe-jinkou.htm 国名 1600年 1700年 フランス 1800 3000 大ブリテン 700 1400 1700年スコットランドとイングランドが連合してもフランスの半分、1600年では2.5倍の人口差 なので、イングランド王の方が貧乏だったらしい。 とは言え、スコットランドからやってきたスチュアート朝のチャールズは、イングランドでの生活がいいもので、スコットランドに帰らなかったそうだ。