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日差しが届くという言い方は広く使われていますか

NHKの天気予報で「日差しが届く」という表現をする気象予報士がいますが、今まで長い間このような言い方を聞いたことがなかったので気になります。別に実質的な害があるものではありませんが、皆さんの中で、この表現は日常よく聞くとか自分でもこういう言い方をするという方がおられたら教えてください。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.9

#7です。 #8さんのご回答が自信ありげでしたので"日差しが届く"で検索してみたら、442,000件。 少なくとも「広く使われていない」とは言いがたい状況にあるのかもしれません。 まず、ご報告まで。 それでもわたしには納得できませんねえ・・・。 わたしは北海道ですが、#8さんが例に挙げておられる例文なら、 「この家は窓が大きいので、冬でも部屋の奥まで日が入る」と殆んどの人は言うはずです。 あるいは、 「この家は窓が大きいので、冬でも部屋の奥まで日が射す(差す)」 ですね。 「この家は窓が大きいので、冬でも部屋の奥まで日差しが届く」と言う人は極めて稀だと思います。 全く想像できないわけではありませんが、ちょっと気取って言いたい場合に、「文法を無視して、このように表現してみました」といったニュアンスを発揮したい場合でしょう。 大体にして、「日差し=日の光」という理由で「日差しが届く」が可なのなら、「日差しが差す」も可としなければならないという気がするのですが・・・。 地方性という要素が絡んでしまうとも思えず、やはり、誤用している方が多いだけのような気がします。 と、頑固に主張しておきましょうかね・・・。     

noname#194289
質問者

お礼

多数だから正しいと言えないことはほかにも例がたくさんありますね。個人の感性の正当性 もまた個人の感性に依存しているのだろうと考えます。ご意見をさらに詳細に伺いました。どうもありがとうございます。

その他の回答 (8)

  • t932
  • ベストアンサー率54% (211/389)
回答No.8

まったく普通の表現と思いますね。 「この家は窓が大きいので、冬でも部屋の奥まで日差しが届く」といった例が思いつきます。 私は関西人ですけど地域差とかあるのかな。

noname#194289
質問者

お礼

実際に貴方や貴方周辺の人がしばしば使っているかということも教えていただきたいと思いました。ご意見感謝いたします。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

基本的にテレビアナウンサーの日本語には疑問符が付く場合が多いですね。 これも誤用でしょう。 「陽の光が届く」「日差しに恵まれる」などとすべきところです。 辞書を確認すると、 『日の光がさすこと。また、その日の光。「―が強い」「―を浴びる」』 のように説明されています。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%97%A5%E5%B7%AE&stype=1&dtype=0 「日の光」だから「届く」でもおかしくはないだろう、という理屈でそのような表現になってしまうのでしょう。 しかし、「その日の光」と書かれています。 この「その」は前文を指すはずなので、「差している日の光」「差してきた日の光」などの意味に捉える必要があります。 そうすると、「日差しが届く」は「差している日の光が届く」「差してきた日の光が届く」といった意味になるでしょう。 ここで「差す」を調べると、 『(「射す」とも書く)まっすぐに光が照り入る。光が当たる。「西日が―・す」』となっています。 つまり、「照り入る(日の光)」「当たる(日の光)」という【手元の状況】がすでに「日差し」という言葉によって示されていることになります。 これに、同じく手元の状況を表わす「届く」という表現を併用させるので違和感を覚える。 こういうことではないかと推測します。 意味が通じればいいという考えもありますし、いずれなし崩し的に使われていくものもありますが、「日差しが届く」はちょっと勘弁してほしいなあ・・・という感じですね。   

noname#194289
質問者

お礼

私は気が付きませんでしたが、言葉の用法としても少しおかしいということでしょうか。成程と思いました。確かにもし「日の光が届く」と言われたら、自分はそのように言わなくてもあまり違和感はないと想像いたします。非常にすっきりとした気分になりました。

  • toast5
  • ベストアンサー率37% (239/638)
回答No.6

自分で使ったことがあるかないか考えてみましたが、わかりません。つまり使ったとしても不思議ない、ということで、つまり個人的には違和感ないですね。しかもNo.5までのやり取りをすべて拝見しても、何がどう気になるのかピンときません。「日が差す」が正しい、ということでしょうか? 「じめじめした日が続いていましたが今日は日差しが届きましたね」の場合、届いたという言葉に「お天道様からめぐみが届いた」という雰囲気が加算されて好もしい、とすら感じます。 例えば漢語の「冷」「覚」「醒」「褪」はそれぞれ全く違う概念ですが大和言葉ではすべて「さめる」で一括り、というように、もともと大和言葉は漢語に比べておおざっぱな、おおらかな、いい加減な、賢しらに分類しない、風呂敷でなんでも包みます的な、箸でなんでも食べます的な、融通無碍な言語です。また、天気予報は客観性が必要なので誰にでも同じように受け取られる言葉を使うべき、と言われると確かになるほどと思いますが、一方で多くの人は天気予報のコーナーに詩的、俳句的なちょっとした膨らみを期待してもいます。そんなもの期待してない人の方が多いかも知れませんが、明らかにNHKの人は期待されてると思っていて、「今日玄関のドアを開けた瞬間にふわあっとキンモクセイが香って、ああ、十月なんだと実感しました」みたいな小ネタを常に探しては枕に使います。そういう意味では特定の人が独特の表現を用いるなどのクセがあるとしても、まあ、悪くはないんじゃないでしょうか。料理研究家が「ふうわり炊いて」とか、官能作家が「ねろりねろりと妖しくうごめいて」とか修辞に工夫を凝らすのと同じことです。

noname#194289
質問者

お礼

貴重なご意見感謝いたします。

noname#182738
noname#182738
回答No.5

再びでスミマセンが、私の中には業界用語というイメージはないですね… もちろん、部屋の中まで陽が届くという言い方だと 建築や不動産ではよく使われるでしょうけど。 「風は涼しくなりましたが、暑い日ざしが届いています」 「今日は春の日差しが届きました」 どちらかというと、こういう表現は残っていってほしいなと思います。 「届く」は辞書的にはまず「達する、及ぶ、いたる」という意味があるので 陽射しが雲などにさえぎられることなく 私たちの頭上や地表に降りてくるイメージがあります。 いたる、到達するという意味では たとえば「地上に届く紫外線は…」 「地表に届く太陽熱は…」といった使い方の「届く」です。

noname#194289
質問者

お礼

ご丁寧に対応していただいてありがとうございます。わたくしも言葉自体に偏見は持っていないつもりでした。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.4

使われた場面にもよりますが、違和感はないですね。 同じ部屋の中でも、季節によって日差しが届くところとそうでないところがある、と常々感じています。 ベランダに干物をするのでも、日差しがより長時間届くところに干そう、とかも考えます。

noname#194289
質問者

お礼

私も聴きなれれば違和感がなくなると想像しています。ただ自分からこの言い方をするようになるとは思いにくいのです。ご意見を伺い、ありがとうございました。

noname#177209
noname#177209
回答No.3

おはよございます。 住宅建築関係の方が使っているのを聞いたことがあります。 「開口が大きいので部屋の奥まで日差しが届く」という感じです。 普段自分では、「陽があたる」という言い方しか使いません。 もしかすると職業的に使う人と使わない人がいるのかも? 気象予報士さんが使う場合、「雲の切れ間から地面まで日差しが届く」的な感覚で使っているのではないでしょうか。 雲一つない快晴で当然陽があたる場合、わざわざ日光に言及して「届く」とは言わないのかもしれません。しばらく雨が続いたけど今日は日差しが届くでしょうとか、あたりまえでない状況で日がさしたら使うのかなって感じます。

noname#194289
質問者

お礼

別の領域では業界用語なのですね。ご意見もうかがえて、大変ためになりました。どうもありがとうございました。

noname#182738
noname#182738
回答No.2

「今日は日差しが届くでしょう」みたいな言い方かな… 私はあまり違和感ないです。 日差し=お日様の光、という感じなので。 「今日は一日曇りだったけど日差しが届くときもあった」 とか。 NHKに限らず他の気象予報でも使われるし 文章などでも見かけます。 ただ個人的に日常会話で使う場合は具体的な場所に陽があたるかどうか、という話で 使うことが多いですかねー。 「今月に入って○○のあたりまで(たとえば庭のある部分)日差しが届くようになったね」とかですかね。 文章なんかだと 「やわらかな日差しの届くこの季節に」 「雨が続いていたけど、やっと日差しが届いた」みたいな使い方もあると思います

noname#194289
質問者

お礼

成程と思いました。天気予報というのは客観性が必要ですから、だれにでも同じように受け取られる言葉を使うべきではないかと思います。個人の受け取り方の問題でもありますからご意見大切承ります。ご教示感謝いたします。

  • kentaulus
  • ベストアンサー率60% (1064/1746)
回答No.1

こんにちは。 私も違和感を感じます。 こんな言い方は初めてです。 「日差し・陽射し」とは「陽射し=陽光が射す(陽光が照らす)」であり、 太陽光が届いている(太陽光が何かを照らしている)状態   と私的に思っているからです。 ですので「日差しが届く=陽光が射し届く」には違和感が有ります。 ただ、辞書を調べると「陽射し=陽光が射す(照らす)」ではなく、 「陽光(太陽光)」とほぼ同じ意味合いのようですので、 言い換えて「陽光が届く」と受け取れば納得できます。

noname#194289
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。この言い方を聞くと後頭部からうなじにかけてお日様にこづかれてお礼を言えと言われているような感じがします。特定のひとが使っているようですが、この人が出てくると緊張してしまいます。業界用語なのかもしれません。天気図を動かすというような言い方にも共通するのかと思います。公共性の強いテレビ番組で頻繁に聞かされていると多くの人が使うようになるということがあると思います。必ずしも悪いこととは言えませんが、ほかの番組でも開設や開所や開始のことをオープンしたというような言い方で済ませていることがよくあるので、もう少し日本語を注意深く使ってほしいとも思います。

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