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ミレーの落穂拾い
昭和30年代小,中学校には「ミレーの落穂拾い」が飾られていましたが、その意味を教えてください、 私は絵の描かれた本来の意味とは違うように考えます。
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ANo.3です。再度の書き込みご容赦。 社会主義云々は質問の主題ではないと思うのですが、「五族共和」とか「八紘一宇」などをスローガンとして盛り込んでいる「大東亜戦争」には「平等主義的な社会改良」=「社会主義」のような思想も粉飾として盛り込まれていますので、そういう意味では戦前戦中の日本の価値観ともそれほどぶつかるものでもないと考えられます。(前記武者小路のようなコースをたどったのは武者小路だけではなかった) それと質問でおっしゃっているキリスト教、つまり落ち穂や落ち穂拾いという仕事を畑を持たない小作・貧農に残しておくという教義とからんだ習慣の部分はあまり伝わらないで、あまり豊かとは言えない、極力無駄を出さない、高度に集中集約的な日本の農家の労働と重ね合わされたという説はありうるなと今思っています。(勤勉・清貧・労働奉仕は美しいと持ち上げるのとも相性が良かったのかもしれません) また戦後の一時期は戦争末期よりも食料や物が無かった(流通しなくなった)と聞いておりますので、落ち穂拾いの絵のような光景に感じるリアリティーが違ってたでしょうね。
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- OKNeko
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昭和30年代に私の昔の家に(社宅備品として)「ミレーの落穂拾い」の額付き複製画がありました。母に確認したところ、入居以前の太平洋戦争以前からあったということで、購入は昭和10年代に遡るようです。 疑問なのは 問1,カラー印刷でさえ高価な時代により高価な額付き複製画をなぜ購入したのか? 問2,なぜミレーなのか 問3,他の回答者さんが言われているように昭和30年代の世界の社会主義的な啓蒙で学校に飾られていたのか? などです。 戦前から存在したのであれば、問3,の回答は 「社会主義的な発想はなかった。」になります。以下推測 当時の日本社会が農業を主産業とする国(それでも冷害や飢餓が発生した)中で、純朴にNo4さんの回答「勤勉とか質素とか農村風景とかに当時の日本人は共感したんではないですか。」あたりでしょうか。 問2も「ミレー」と「農村風景」のどちらに重きをおいて当時の人々が購入したのでしょうか?疑問です 問1は解決できませんでした、90代ぐらいのお年寄りお聞きしかなさそうです。No.4さんが言われているあたりが脈がありそう。 ところであらためて作品を見ていくと、遠景で麦を刈っている一群の人々は光があたり明るい色調ので描かれています。大勢集まって共同作業をしており雇い人(正社員)でしょうか? 左中上から遠景にかけて刈った麦の山が見えますが、大鎌で刈り取りフォークで集めた山はとても大きく高く積み上げられています。右側中上には雇い主でしょうか、絵の中で一人だけ馬に乗った人物が描かれており、腕を伸ばして指図しているようです。 手前の三人の落ち穂拾いをしている女性は他の人々と大きく離れて孤立しているように見えます、三人だけ暗い色調で描かれています。 「遠景の富と近景の貧しさ」が明るい色調と暗い色調で描き分けられています。そんな風に見ていると叙情豊かな作品だと思っていたものが結構グロテスクな絵に見えてきました。この解釈で気分を害された方ごめんなさい。 「叙情豊かで良い絵やん、ま社会風刺もあるけどな」位に私も見ていたのですが、遠景の麦の山と近景の三人の手にある落穂の量を比べていみると凄まじい物量差ですよね。 当時のフランスの大麦収穫の裏付けがあるわけではないですが、現代日本を描いたら六本木ヒルズを遠景に見ながら空き缶拾いするホームレス?みたいな表現かもしれません。 叙情的に描きつつ、社会風刺を入れつつ、良い作品に仕上げる=ミレー偉い と思います
- Postizos
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ミレーの落ち穂拾いは小学校にあったかどうか憶えていませんが、まあポピュラーではあったように記憶しています。 二宮金次郎もありました。 日本でもミレーが好まれたのはキリスト教には関係無いと思いますが、勤勉とか質素とか農村風景とかに当時の日本人は共感したんではないですか。 それとキリスト教の中に含まれている精神とは対立しないようにも思いますが、宗教的な絵と言えばイエスやマリア様や聖人や偉い人の絵が中心だった時代とは違って何でもない貧しい農村風景を写生するというのはヨーロッパでも新奇な物として支持されたようです。 集団就職で都会の工場にやってきたほとんどの人が農村出身の若者だった、そういう人で都会があふれ返っていた時代です。私の小学校の担任の先生は4人いましたが全員が農家・農村出身の人でした。 二宮金次郎はその後古くさい、教訓臭いという事で校舎建て直しなどを機に撤去されるケースが多かったしミレーもそうポピュラーではなくなった理由は同じ(古くさい・教訓臭いと思われた)だと思います。 山梨美術館は行った事がありますが、生で観るミレーは意外にも好かったのが印象的でした。 バルビゾン派やミレーを好んだのは日本では白樺派が有名です。 白樺派の有島武郎や武者小路実篤はキリスト教の影響を受けていますが、多くの日本人のインテリと同じように道徳や思想の方向から理想主義への答えを探るような動機で、新しい思想としてキリスト教にアプローチしているように見えます。 武者小路実篤は理想主義的・ユートピア的な社会改革運動に関心を持って活動していましたが、日露戦争には反対しましたが第二次大戦には積極的に協力しています。 左翼的な文化人に比較的好まれたのは「落ち穂拾い」ではなくて「種蒔く人」のほうでしょう。 「晩鐘」のほうが宗教心をそそる題材かもしれません。(宗教心とは必ずしもキリスト教を意味しません、そういう意味では日本人は無宗派ではあっても宗教心が薄いわけではありませんね。)
お礼
素晴らしい考察有難うございました、参考になりました。
- senakiyoka
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あなたの言う本来の意味が何かしらないけど・・・ 確か貧しい小作人なんかが地主の畑で食べられるものを泥棒してる絵だったと。 写実主義とかクールベと同じ時代のようなのでアンチ産業革命的意味合いじゃないかな。 要するに社会主義な絵として評価されてる。 昭和30年代になぜ社会主義の絵が必要だったのかは知らないけど現在も山梨県立美術館が無駄に税金投入してミレーの絵買ってたはず。山梨県立美術館は社会主義推進なのかな? 古典は専門でないので間違えてたら申し訳ない。
お礼
ありがとうございました。 私が云った本来の意味とは旧約聖書の教えを描いたと思っていますが なぜ昭和30年代小、中学校に社会主義?の絵が飾られたのかなと思い相談をしました。
落穂拾い 単純に、収穫後の落ちた穂を拾う農作業。 違う? ミレー、てゴッホに影響を与えた農民を描いた画家でしょ。 ま、社会的背景とかはそれなりにありそうだけど。 例えば、収穫後の小作人の副収入とか、色々。 あとは、美術史の専門家待ち。 て言うか、どういう意味の絵だと思うの?
- marbleshit
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日本の整然と株の植わった稲田と違い、欧州の麦畑は同じミレーの『種まく人』にみるように 畑に種をばら撒き、育った株を柄の長い鎌で立ったまま薙ぐように刈り倒す。 これをフォークで集めて脱穀するのだが、当然のことながら集めきれなかった落穂が多数 地面に残される。当時、『旧約聖書』の「レビ記」に定められた律法に従い、 麦の落穂拾いは、農村社会において自らの労働で十分な収穫を得ることのできない 寡婦や貧農などが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず 回収することは戒められていた。 落穂拾いの光景はミレーの故郷で土地の痩せた北ノルマンディー地方では見られず、 肥沃なシャイイ地方に移住した後に体験した感銘を描いたものであると考えられている。 また、同時期には同じく『旧約聖書』「ルツ記」の一場面に由来する 『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』を手がけており、 農村社会での助け合いを描いている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E7%A9%82%E6%8B%BE%E3%81%84 強気を挫き弱きを助ける相互扶助という元来日本の農村社会にも根付いていた 相互扶助に対する教育が目的であったと思われます。
お礼
なるほど、相互扶助それもありですね、参考になりました、有難うございました。
お礼
素晴らしい考察有難うございました。