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「の」が入る場合、入らない場合

日本史の人名や制度・法令名で「の」が入る場合と、入らない場合があります。 大伴家持、与謝蕪村 17条憲法 班田収授法 など など どういう規則性や許容性があるでしょうか。

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回答No.7

人名に限って言えば、氏姓の場合は名との間に「の」を入れる。 「苗字」(名字)の場合は、「の」は入れない。 たとえば徳川家康の場合、[徳川]は苗字なので、そのまま[とくがわいえやす]と 「の」を挟まないが、本姓である「源」を称する場合は[源家康]となり、 読みは[みなもと「の」いえやす]と「の」を挟む。 [氏姓]とは、本来、天皇から与えられるものであり、従って天皇家にはいまだに 氏姓が無い。 一方、「苗字」は、ある「氏姓」から分立した個々の家の名称であり、明治維新 までは本来、私称であった。だから朝廷の公式記録にはすべて氏姓が用いられており、 家康の征夷大将軍任官の位記も[源(朝臣)家康]と記され、[徳川]という苗字は どこにも出てこない。 あるいは摂関家は[藤原]という「氏姓」であるが、平安末期~鎌倉時代にかけて 五摂家と呼ばれる近衛・九条・二条・一条・鷹司という苗字を持つ家々に枝分かれした。 たとえば源頼朝と同時代の人である[九条兼実]は、そのまま[くじょうかねざね]と 読むが、氏姓である[藤原]用いる場合は[ふじわら「の」かねざね]となる。 なお「氏姓」と「苗字」は、時代が下るにつれて混用されるようになり、 また明治維新後には「氏姓」を称することを廃止し、かつ平民も「苗字」を 称することが義務化されたため、「氏」「姓」「苗字」は現代では同義となっている。

mourisi3
質問者

お礼

人名についての明確な規則性をありがとうございました。これで得心がいきました。 どうもありがとうございました。

その他の回答 (6)

回答No.6

No.4の回答者mekuriyaさんの「どういう規則性や許容性もない。只の慣例です」の通りと思います。   藤原氏(ふじわらのうじ、ふじわらうじ、ふじわらし)、蘇我氏(そがのうじ、そがし)、飛鳥京 (あすかきょう、あすかのみやこ) 、藤原京(ふじわらきょう)、平城宮(へいぜいきゅう、へいじょうきゅう)、難波宮(なにわのみや)、渟足柵(ぬたりのき、ぬたりのさく、ぬたりき)、高麗若光(こまのじゃっこう)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、高市黒人(たけちのくろひと)、長意貴麻呂(ながのおきまろ)、橘諸兄(たちばなのもろえ)、大伴家持(おおとものやかもち)、山背大兄王(やましろのおおえのおう)、物部 守屋(もののべのもりや)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)、阿倍内麻呂(あべのうちまろ)、蘇我馬子(そがのうまこ)、藤原道長(ふじわらのみちなが、ふじわらみちなが)、藤原頼通(ふじわらのよりみち、ふじわらよりみち)、藤原俊成(ふじわらのとしなり、ふじわらしゅんぜい)、藤原定家(ふじわらのさだいえ、ふじわらのていか、ふじわらていか)、藤原公任(ふじわらのきんとう、ふじわらきんとう)、藤原道綱(ふじわらのみちつな、ふじわらみちつな)、菅原道真(すがわらのみちざね、すがわらみちざね)、菅原孝標(ふじわらのたかすえ、ふじわらたかすえ)、小野小町(おののこまち)、鴨長明(かものちょうめい)、二条良基(にじょうよしもと)、三条実行(さんじょうさねゆき)、九条兼実(くじょうかねざね)、近衞 基実(このえもとざね)、佐藤義清(さとうのりきよ)、吉田兼好(よしだけんこう)、木曾義仲(きそよしなか)、北条時政(ほうじょうときまさ)、千種忠顕(ちぐさただあき)、新田義貞(にったよしさだ)、足利尊氏(あしかがたかうじ)、与謝蕪村(よさぶそん)、班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)、十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)、大宝律令(たいほうりつりょう)、養老律令(ようろうりつりょう)、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)、三世一身法(さんぜいっしんのほう)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 何となく想像するのですが、 昔は個人は(本当は名前)しかなかったのでしょう。関係者が少ない中ではそれで十分だった。(呼ぶときにも名前などは呼ばなかった。いまでも「先生」「課長」で済ませて名前を呼ばないことはあります)しかし、あまり家系のことなど知らない人がその出身や系図関係を明確にするために、「~~の」をつけたのではないかと思います。 「新潟の佐藤です。文科省の田中さん」のようなものが、「源の~~」「平の~~」「橘の~~」ではないでしょうか。   そのうち、昔からの出身ではなくて、現在の一族の集団という意識が出て来ると、「~~の」とつけることがあるというのではなくて、フルネームで「比企能員(ひきよしかず)、熊谷直実(くまがいなおざね)、多田頼憲(ただよりのり)、土肥実平(どひさねひら)」   そのように想像した場合、名乗りをフルネームでしたり、呼ぶときにフルネームで呼んだりしたなかっただろう、名前を呼ぶことも少なくて普通は役職や身分関係の名称で呼んでいただろうと思われるものは、「~~の~~」と「読む」、もう名乗るときにフルネームで呼ばわったり、署名したりということが多かっただろうと想像出来る人に関しては[の]を入れないで「読む」。 わからない場合は、平安時代中頃までの人なら「の」を入れる。「源」「平」「大伴」「伴」「物部」「蘇我」「橘」「藤原」も、相当に古い時代らしければ「の」を入れる。 平安時代末期以降なら「の」を入れないで読んでしまう。太政大臣でも藤原でも「の」を入れないで読んでほとんど違和感はないです。 時代が下がっても「源」「平」「橘」は、「の」を入れた方が自然です。(習慣だと思います)   制度や法令名などは、原則として「の」は入れないで読む。 習慣で「の」を入れて読む制度名、法令名、地名などもあるから、それは個々に覚えてしまう。

mourisi3
質問者

お礼

たくさんの事例をありがとうございます。 「制度や法令名などは、原則として「の」は入れないで読む。習慣で「の」を入れて読む制度名、法令名、地名などもあるから、それは個々に覚えてしまう。」 なるほど、これが近道かもしれませんね。

回答No.5

とよとみ『の』はしば・ちくぜんのかみ・とうきちろう・ひでよし みなもと『の』とくがわ・だじょうだいじん・たけちよ・いえやす

mourisi3
質問者

お礼

うーん、これはちょっと意味が分かりかねます。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.4

どういう規則性や許容性もない。只の慣例です。

mourisi3
質問者

お礼

ただの慣例ですか。ありがとうございました。

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.3

有ったw http://okwave.jp/qa/q6143399.html この人の書いた本姓は明治以前の氏の事です http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A7%93 日本の氏・姓・字・諱・名・氏名は同じ字でも時代によって意味が違ったりして複雑怪奇理解するのはなかなか難しいですね>< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97 十七条憲法とかは「の」を入れても入れなくてもどっちでも良いみたいですよ^^

mourisi3
質問者

お礼

「十七条憲法とかは「の」を入れても入れなくてもどっちでも良い」 そのようですね。もともとは、題名のない物ですから、いろんな言い方は可能なのかもしれません。 ありがとうございました。

回答No.2

生類憐みの令 の が入る のが入る氏については 古代 豪族や皇族を区別するためにつかわれた 蘇我 の 物部 の 藤原 の 中 の 厩戸 の 律令制の崩壊が関係してそうですね 源平時代までは たいらのとかみなもとの でしたが すぐ後の北条氏は ほうじょうの とはいいませんし

mourisi3
質問者

お礼

法令にも入るのと入らないのがありますね。ありがとうございました。

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.1

過去ログで同じのが有って とっても解りやすかったんだけど見つからない>< ( ̄ω ̄;)エートォ... 氏姓制度の氏には「の」を付けるのが一般的だったらしい その後 姓名になったので「の」を付け無くなったって事らしい^^:: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F http://www.goldcoastlife.com/living/aborigine01.htm

mourisi3
質問者

お礼

氏姓と姓名は違うのですね。ありがとうございました。