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宗教の選択
嫌なことがたくさんありなにかに縋りたいです。 宗教とは自分が選んで信仰するものではないのでしょうか? 例えば生まれた家が元々キリスト教だったとか。 また宗教活動は何から始めればいいのでしょうか? 仏教やキリスト教の本をみたことがあるのですが教養のない自分にとっては言い回しだったり過去の歴史などよく理解できませんでした。 うまくまとめれないのですが回答お願いします。
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- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
貴女が日本国内に住んでいるならば、仏教が一番条件が整っておりますので、仏教から勉強しましょう。 近隣のお寺を訪ねて、そこの坊主に「肉食妻帯」は
質問者様がうまく質問の趣旨をまとめられず(質問の動機が自分でもわからず)に回答を求めておられるのなら、対応する回答もそれなりのものになるでしょう。 >嫌なことがたくさんありなにかに縋りたいです。 わたしたちは最初の状況説明を無視することも出来ますが、後述がそれと無関係でないならそれもしんどいでしょう。 ひとが宗教を求めるのはそれなりの理由があるはずです。私は、うまれてすぐに洗礼を受けたような宗教人間にくらべれば、そういったひとたちはむしろ純粋な宗教人間になる資格があるのではないかと思います。でもこれは一般論であって、貴方がこれから宗教生活に入るのが最善だということにはならないでしょう。 私自身は宗教というものを認めません。ひとが一番重要な自分の心の芯を他者にゆだねてしまうことだからです。でもそれが必要なひとたちも世の中にはいると思います。私も数年間他動的にある宗教団体に所属していましたので彼らの気分が良くわかるつもりです。 貴方が頭で宗教を理解するところから入る姿勢は好感できます。でもそういった姿勢なら宗教よりももっともっと有意な、少なくとも副作用の少ない学問的な、あるいは芸術的なものにも入っていけるのではないかとも思います。夢中になれるものが見つかればの話ですが。 ご参考になれば。
- moto_koukousei
- ベストアンサー率54% (331/606)
すがるときには、複数の中から意志的な選択をすることはないのだと思います。 私の知っている方も、啓示というか、これ!という感覚を覚えて信仰されました。 親の信仰生活の中で育ったために自分も同系統で信仰することもあると思いますが、途中で別の信仰に移られる方もいますし、まったく信仰や宗教に縁はない生活をしてこられてある時期から信仰される方もいます。 どのような場合でも、「自分が“選んで”信仰するものではない」と思います。 自分が信仰するようになるだけであって、選ぶものではないでしょう。 宗教と信仰とは同じではないです。 宗教というのは、ある社会集団が独自に持っている教義、儀礼などをそなえた観念の体系です。 信仰は、イワシのアタマも信心からというようにすがりつけばできるので、仏像でも、瀧でも、磐座、樹木、山、曼荼羅、マリアの絵、十字架、呪物やお守り、お社のような物体や場所でもいいし、祖霊、聖霊、菩薩、キリスト、日蓮などの観念的なイメージでもいいのです。信仰で多いのは、なんといってもお祈りです。一心不乱にお祈りするのが良いです。 宗教の歴史や解説を聞いたり読んだりしても、信仰する手がかりにはなりません。 私の知っている方は、ある病人が苦しみから逃れられた状況を実際に経験されて、はたと信仰の道に進み、その後に宗教の専門の学校に通いついには牧師さんになりました。順番は、勉強が先ではなかったです。もう信じてすがるしかないということを経験したのが最初だったと思います。 『嫌なことがたくさんありなにかに縋りたい』場合、この状態を脱する方法は、信仰以外にも方法は多くあります。信仰だけが有効な方法ではないことは知っておいた方が良いです。 信仰ですがる場合、私の知っている人の例や、世の聖人始祖のような例は、相対的に少ないのだと思います。多くのケースでは、苦しいこと辛いことを感じていて、それを癒してくれたり、聞いてくれるような人に巡り会って、その人についていくようなことで信仰に入って行くのだと思います。 心理カウンセラー、セラピスト、精神医療を職業にする人も、傾聴するということ、共感的姿勢で聞くという手法をとります。牧師、神父、僧などの方も、聞いてくださる場合もあります。そうして聞いてもらえると、つかえが軽くなるという経験をされる方は多いようです。 また宗教儀礼(祈祷やお祈り、読経、写経、座禅、水垢離など)に参加して、その経験が救いや安心(あんしん⇒あんじん)を感じさせることに繋がることは多いです。 http://www.denpouin.com/reports/26.Anjin_ni_tsuite.html どれがいいというよりも、当人とその場とのマッチ・相性のようなものですから、自分が参加できるものを試すしかないです。教会や寺などの宗教施設では、勤行やミサのような行事が行われているので、そうしたところに参加させてもらって相性を感じたら、続けるのが良いと思います。 信仰や宗教儀礼でなくても、スポーツや趣味などに邁進する、家事や仕事に心を込めるのでも、(うつうつした気分、苦しい感じ、元気が出ない、展望のなさにため息ばかり、晴れやかな気持ちから遠ざかってしまった、などなど)から脱却出来ることはあります。 『嫌なことがたくさんあり』という気分から脱却するには、それから逃れて救ってくれるものを探す、すがるものを探すという道以外に、『嫌なことを、嫌なことでなくす』という道もあります。精神医療やセラピストなどの中には、嫌なことと感じる認知が起きる原因を絶ち、改善する方法を探る人もいます。
- KaitoushaA
- ベストアンサー率10% (18/179)
宗教とは、太古の野蛮な時代に、人々の暴力を排除し、拘束、結束を図る為に流布した物で、非科学的で、誤りに満ちています。例えば、死後の世界とか、生まれ変わりとか。とても信じられるものではありません。私は、天体物理学の深遠な理論を少しずつ勉強されることをおすすめします。大宇宙の理論、真実を学ぶことは宗教を信じる誤りに比べたら、はるかに意義深く、美しいと思います。
補足
回答していただきありがとうございます。 >私は、天体物理学の深遠な理論を少しずつ勉強されることをおすすめします。 具体的にどんなことから学んでいけばよいのでしょうか?天体物理学という言葉を初めて聞きました。 宇宙と名のつく本を読んだりでしょうか?
>嫌なことがたくさんありなにかに縋りたいです。 すがりたくてすがるなら、地獄への数ある最短路の一つを選ぶことになります。 >宗教とは自分が選んで信仰するものではないのでしょうか? 自分で選ぶだけというわけではないです。恋愛と似た面があります。双方が引き寄せる状況で、はじめて成り立つわけです。 >例えば生まれた家が元々キリスト教だったとか。 環境から受ける影響はあります。その中には生きていくうえで当たり前になるものもありますし、卒業してしまうものもあります。 >また宗教活動は何から始めればいいのでしょうか? 宗教との出会いを待てばいいでしょう。宗教でないといけない、宗教を「持た」ねばならないと考えるのは、罠にはまります。 >仏教やキリスト教の本をみたことがあるのですが教養のない自分にとっては言い回しだったり過去の歴史などよく理解できませんでした。 学ぶこと自体は悪くありません。むしろ、他人を理解するため、世の中を理解するために、大いに有用で必要でしょう。 それでも、宗教は肩書ではありません。宗教が人の中身を作るわけでもありません。それは承知しておくべきでしょう。
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補足
ありがとうございます。 >後述がそれと無関係でないならそれもしんどいでしょう。 もちろん関係あります。 仕事がない(バイトはあるけど低収入)、年齢が30代半ばのおやじにも関わらず教養が皆無に近い、独身、友達がいない、不器用すぎて他者より何事も劣っている、コミュニケーション能力がない、ナメられやすくムカつくことを面と向かって平気でゆわれる、それらを紛らわすために毎日飲酒してほぼアル中。など・・ >ひとが一番重要な自分の心の芯を他者にゆだねてしまうことだからです。でもそれが必要なひとたちも世の中にはいると思います。 必要な人とはどういう人ですか? 趣味や芸術なんかも興味のあることには手を出してみたのですが、どれもしらけちゃってハマれないんです。