何の誰の悟りでしょう?。悟り、という実態、主体、がある。という意味でしょうか。
それとも、釈迦の菩提樹の下での悟り、とはなんであったのか。にたいする
思いつきの質問でしょうか。
それなら、若い頃、私も、考えた事があります。
、仏教(ブッデイズ)、なのか、縁起の理法、なのか、八正道、なのか、輪廻、か、大慈悲、か。
などと考察して見ましたが。わかりませんでした。既にない過去のとっくに死んで、今はいない人物むが
、座し何を考えついたか。など解るわけもありません。
世界が在り、人間の認識が想起し、表現をする。
存在と認識が一致する訳でも、認識と表現が一致するわけでもありませが。
表現をしたとは、その時の認識と無関係ではない。認識、思い、を一方の縁として、表現が起こる。
とすれば、菩提樹の下で思索し、悟り(自ら考え納得出来る答)を積み重ねた後の、行動、いわゆる釈迦の第一声、最初の説法、と無関係ではない、ないはずです。
そういう意味では、菩提樹の下での釈迦の悟りは、四諦の法門、とか、四諦八正道、とかいわれる。ものであり。ブッディズムで、導くもの、(ブッ、仏)を縁として、智、悟り、が起こる。
大切にすべきは、仏である。との思想を人々に教えようとの思いだったのでは?。
釈迦は29才で妻子も皇太子という地位も捨て、修行の旅に出たとされています。
学問を修めた後、40才までは結婚をしてはならない、女人と交わってはならない、という戒律の元、
修行の旅に出る事を義務づけられていた。バラモンの男子、ではない、釈迦が、何故、バラモンの真似をし、
バラモンに対抗しようとしたのか。
それは、彼には、ボラモンを超える、智的素養が自分にはある、人々を導ける思想を、会得出来る、
基本としての、考え方、をもっている、との自覚だったはずです。つまり、縁起の理法は、出家前に会得していた、悟っていた。とみるべきではないでしょうか。
それがなく、ただ、悩み苦しむ人々を救うべく道(方法)を求めて放浪に出る。
そんな、「詩人にすぎない、阿呆にすぎない(i-チェ)(婉曲に29才で十字架にかけられたキリストの事でしょうが)青年が数年後に、ブッダ(目覚めた人)と評されるような賢者に変身する。とは考え難いのでは。
また、妻子を捨てて、道を求める者が、自らの、ニルバ-ナ(静けさ、涅槃)の境地を、悟り、として追い求める訳はありません。釈迦が、これより涅槃に入る、と言ったのは、死ぬとき、だったようです。
釈迦が菩提樹の下での瞑想、思索の修行、ハンニャパラミ-タ(知恵、理法によりて見る、般若波羅密多)の後
語った。とされる言葉は何だったのか。2つあります。
ひとつは。「世界の歴史」によると。
釈迦はかって修行苦行を共にした。5人のバラモン修行者を前に。
ここに4っの真理がある。
苦と、苦の起源と、苦の滅と、苦の滅に至る道、とである。
生も苦、老いも苦、死も苦、であり。
愛する者と離別するのも苦なら、好まぬ者と結合するのも苦である。
苦の起源とは何か。喜びと貪りとを伴い、あれこれ執著する愛執である。
苦の滅とは何か。愛着の心を残りなく捨て去る事である。
苦の滅に至る道とは何か。八っの正しい道
1、正しい思惟 2,正しい見解 3,正しい言葉 4,正しい行為 5,正しい生活
6正しい努力 7、正しい思念 そして 8正しい瞑想 てある。
これが法門、言われている。仏教(釈迦の思想)の入門であり、基本、なのです。
不死の門は開かれた、? 甘露の門は開かれた。では?
もう一つの釈迦の、第一声、と言われているのは。多分?を付けずとも、
ヒンズ-教の神話としての、源祖神(ブラフマン?)の6番目の転身、生まれ変わり、としての。蓮の台座に座った、お釈迦様、の伝説、ヒンズ-の教の中のブッダの神話、の経典。です。
菩提樹の下て悟りを開かれた釈迦は。
私が苦労して悟りえたこの理法は微妙であり。繊細であり、世の人々の理解するところではない。
説法をしても、理解してもらえなければ、私には徒労が残るだけである。と説法をしようとはしなかった。
それを知った、世界の王梵天は。
ああ人類は滅びる、真に悟った御方が、説法をしようとはなさらないのだ。
と、釈迦のもとに出向き。
かってマガダ国に悪い思想がひろまりました。世の中には、知的素養の優れた者たちもいます。
彼らは聞かなければそのままですが、聞けば悟る者もいるでしょう。どうか、説法を始めて下さい。
と勧請をします。
釈迦は梵天の勧めを聞き。蓮の池を悲しみの眼で見渡し。
蓮にもいろいろある。水中に生まれ水中で没するもの、水中に生まれ水面に顔を出dすもの。水中に生まれ、水面から立ち上ったもは、水に汚されることがない。などと思いをめぐらされた後、
耳ある者たちに、甘露の門は開かれた。己が信仰を捨てよ。
と言われた。
梵天勧請の説話は概略そんなものでした。
理法についても、何々を原因として、何々という結果が起こる、というような。因果律としか理解されていないようでした。
そして、マガダ国に広まった悪い思想?、また捨てよ、という、己が信仰?とは、いわゆる、小乗仏教、のことですよね。
何故、大乗仏教はそこまで、小乗仏教を否定し、排除しようとするのか?を考えてみられてはどうでしょう。鍵になるのは、バラモン階級、バラモン思想、となるのでは。釈迦の思想を理解し広めたのは、バラモン修行者達であり。仏教経典を編纂したのも、学識があり文字が書ける、元バラモン、出身者だったはずです。
しかし釈迦の思想は、階級の否定であり、神のいない哲学なのです。
しかしそれを受け入いれ、賛同した、バラモン修行者達の知的精神的高さ、驚嘆すべきものであった。とも言えるでしょうが。釈迦が死に、時が経てば。バラモンは、
司祭階級でもあり。神がいなければ、都合が悪い意味があり。またバラモン修行者は、期間限定の修行者でもあり。40才になれば。国に帰り、結婚をし。指導者として迎えられる。比して仏教修行者は帰る家もなく、一生が修行となる。
仏教に帰依したバラモン達のなかから、これでは都合が悪い。仏教に神を取り入れ、
バラモン思想=ヒンズ-教と融合しよう。というような、バラモン思想からの反抗が起こった。
それが、大乗運動、ではなかったのでしょうか。
釈迦には、バラモンによって広められた仏教はいずれバラモンによって滅ぼされる。ということは
解っていたようなふしもあるようです。
お礼
再び回答ありがとうございます。 悟りは、どのような内容かはともかく 仏教だけのものではなかった ということになるようですね。