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軍人の美化
日教組や進歩的文化人と呼ばれた方々は、軍人をさげすみます。 彼らのような種類の人間にはそうでしょう。 反対にやたら美化する人もいます。 靖国神社に眠る英霊も、かつては血の通った人であり、そこには人間的強さと同時に弱さも兼ね備えてました。 それを口にすると、「失礼だ」とか「アカ」と言われます。 なぜでしょうか。 彼らを英霊以前に人であると考えるからこそ、彼らの遺書などに涙するのだと思います。 よろしくお願いします。
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あなたの叔父がなくなったとします。 7回忌の親族の集まりで、皆が個人の思い出話をしていたとします。 故人なので皆、良かった思い出を語りましたが、あなたは「叔父は本当はそんな人ではない。こんな卑劣な事をした、こんな弱い人だった」と語り始めました。 そうすると従兄弟から、「父を悪く言うなんて失礼だ」と言われてしまいました。 何故でしょうか。 彼ら故人を美化することなくありのままを語る事こそ、故人への弔いとなるのだと思います。 こんな感じでしょうか? 貴方は重要な視点が抜けています。 数千万の日本人は第二次世界大戦で家族を亡くしているというところです。 彼らが、人間的弱さを兼ね備えている事は「当たり前」なのです。 それをわざわざ、現在の偏った思考で想像して語り貶める事は、果たして必要なのでしょうか? 特攻隊に反対し続けた指揮官として有名な美濃部正が語っています。 「戦いの厳しさは現在のヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではない。」
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- PENPENMAKKY
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> 日教組や進歩的文化人と呼ばれた方々は、軍人をさげすみます ちょっと勘違いがあります 彼らがさげすむのは日本の軍人です 彼らは共産系軍人は讃えていますし、学校教育にカチューシャ(ソ連国境警備隊の歌…満州にいた日本人をいっぱい強姦した連中です)やポーレシュカポーレ(ソ連の共産革命戦争軍歌)を取り入れていますw 他にも友達賛歌(共和制賛歌…これを歌う兵士達がジョージア州を進軍し略奪・暴行を繰り返したw)などその手の曲がいっぱいwww
お礼
そうですね。 言葉足らずでした。
- hekiyu
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軍人に限らず、日本人は死んだひとを批判するのは 遠慮します。 どちらかというと、好い処ばかりを上げるように します。 これが日本の風習です。 墓を掘り起こして、死体を辱める、というような 西欧や中国のようなことはしません。 仏教的に言えば、死ねば皆ホトケになるからです。 神道的には、水に流すからです。 現代的に言えば、死んだ人は反論できないからです。
お礼
ありがとうございます。 個人的にはことさら貶めるつもりはないんですけどね。 彼らも人だったんだよって思うことが、失礼なのかなって思ったんです。 言葉足らずですいません。
- TANUHACHI
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「ヤスクニ」には祀られることを拒否する遺族の方もいらっしゃいます。それは宗教法人としての「ヤスクニ」に戦争遂行の責任者と同時に祀られるつまり「合祀される」ことへの拒絶でもある。 寺に檀家があり、そこを菩提寺として先祖を供養することと「軍神」としてヤスクニに祀ることでは温度差があります。個人的にいい人だった、こうした話もよく耳にします。けれどその一方で、戦争という特殊な状況であっても侵略行為を働いたとの事実を消すことはできないでしょう。 僕はあそこに祀られている方々を英霊とは思えない。戦場で生命を失った方「被害者」でもあることから、菩提を弔うためには個人の墓所へと戻してあげるのが自然でしょう。 因みにあそこには西郷隆盛は祀られていません。彼は幕末から維新にかけて相当な役割を果たし「戦果を挙げた」人物の一人でもある。その彼が合祀されていないのは、西南戦争で「賊軍」とされてしまったからに他ならない。もしその時に西郷が政府軍に対し勝利を収めていたならば、西郷もヤスクニに祀られていたとの論理になる。 それは「国家にとっての英雄」であるからとの理由になる。しかし彼らは西郷を認めようとしない。決して認めようとしない。それはなぜか。ヤスクニの論理は「お上に楯突くヤツは敵」との凝り固まった意識に囚われているからでしかない。 それは少なからず「あの戦争」に対して「どの様に評価するか」の歴史認識をも問うことにつながる。戦場で生命を散らした前途ある若者達が、本当は一体どの様に考えていたかを知るならば、寧ろ『きけ わだつみの声』や長野県上田市にある「無言館」そして沖縄にあるガマの方に僕は圧倒的な説得力を感じる。そこには「この戦争の意味を問う」言葉が当事者の言葉で綴られていて、自らを礼賛するためにヤスクニが選んだ言葉とは相当な隔たりがある。 >日教組や進歩的文化人と呼ばれた方々は、軍人をさげすみます。彼らのような種類の人間にはそうでしょう。 こうした括りの仕方も質問者の独断でしかない。少なくとも人間の死を悼まない人間などはいない。質問者が誤解(もしくは混同といっても差し支えはないが)しているのは近代日本以後とくにアジア・太平洋戦争での軍人の戦没者に対する個人的な感情と「歴史としてのアジア・太平洋戦争をどの様に評価するか」の冷静な分析視点の区別が付いていない色眼鏡で物を観ていることの証左でもある。
お礼
>こうした括りの仕方も質問者の独断でしかない。 独断じゃまずいんですか? >色眼鏡で物を観ていることの証左でもある。 いや、それはどうでしょうか。 私も言葉足らずですが、私が質問したことについて色眼鏡で見ている気がしないでもありませんが。 靖国神社のどうのこうのを用いたのは一部の人たちに対する配慮でした。 そこに祀られることをことを望んでいない人がいることは知ってます。 >近代日本以後とくにアジア・太平洋戦争での軍人の戦没者に対する個人的な感情と「歴史としてのアジア・太平洋戦争をどの様に評価するか」の冷静な分析視点の区別が付いていない 学がないんで小難しいことはよくわかりません。 私が思うのは「今日の日本があるのも、兵隊さんのおかげです」 あの戦争は欧米が勝ちましたが、戦後、多く植民地を失い、 それまで欧米列強一辺倒だった世界が少しづつ多極化していったことが、何とも痛快です。 >因みにあそこには西郷隆盛は祀られていません。彼は幕末から維新にかけて相当な役割を果たし「戦果を挙げた」人物の一人でもある。その彼が合祀されていないのは、西南戦争で「賊軍」とされてしまったからに他ならない。 結構有名ですね。 ウスバカの私でも知ってました。
お礼
ありがとうございます。 >あなたは「叔父は本当はそんな人ではない。こんな卑劣な事をした、こんな弱い人だった」と語り始めました。 そこまでは言いませんよ。 私の言う人間的弱さとは、 美味い物を食えば「うめぇ」 いい女を見れば「やりてぇな」 痛い思いすりゃ「いてー」 故郷を思い出したら「帰りてぇな」 辛い訓練なら「疲れた」 この程度で、特別弱みだとかどうとか思いません。 けれど、極端に美化する方々(実父や兄弟が戦死したのではない世代=今の40代以下)は帝国陸海軍の将兵は機械であるかの如く言います。 彼ら(極端に美化な方々)にとっては祖国を思うこと以外は、すべて「人間的弱み」のようです。 なんでステレオタイプなの?と疑問を持ったので、この質問をした次第です。 お付き合いありがとうございました。