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軍隊内でのおしゃれ

 帝国陸海軍は他の国と比較すると、服装の乱れなど一切なかったと聴いてます。 だとしても、若い盛りですから、少しでもおしゃれをしたいという気は起きるでしょう。 そこらへんについて詳しい方がいらっしゃったら、教えていただきたく思います。  服装から行動まで、微に入り細に入りチェックしているのですから、 今のように大きく着崩すとかできません。 多分わずかな防止の向きでも、下手すると鉄拳制裁もあったことでしょう。 おしゃれの原点の一部に、「人と違うことをしたい」があると思います。 なので、鉛筆の芯の削り方とか、字の書き方とか、そういうことです。  よろしく願します。

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回答No.6

 日本陸軍の将校のばあい、軍服は陸士56期生(1943年少尉任官)まではオーダーメードでした。そこで、体型に合った細かい注文ができました。大正モダニズム文化の影響を受けて昭和初期(1930年代)からは、少壮将校らに軍服モードが生まれました。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:HIH_Kitashirakawa_Nagahisa.jpg    その特徴は、襟を高くし(逆に低くし)、ウエストを締め、正帽をヨーロッパ風(チェコ式)にするなどでした。当時の友好国であったナチドイツの将校服の影響を受けていたと思われます。  人生を軍人として尽くす現役准士官、下士官も自前で体型に合わせた制服を仕立て、特に襟の形に凝ったそうです。いつの時代も首回りがおしゃれの基本であったようです。  兵のばあい、入営当時は支給された服に体を合わせよ、といわれ休む間のない内務班生活に追われましたからおしゃれの余裕はなかったようですが、それでも四着支給(夏冬それぞれ)された軍服は、式典用の一装、衛兵勤務用の二装、日曜外出用の三装甲、内務班・演習用の三装乙と程度によって分かれており、着回しの範囲では、特別の時には二装に真っ白のカラー(襟布)を縫い付けて出かけるということもあったでしょう。しかし、兵のレベルだと明らかに改造というわけにはいかず、そこでキャリアを積んだ古年次兵の中には精勤章という山型の臂章で(海軍では善行章)箔をつけるとか、見えない所に凝る者もいたようで、全日本軍装研究会『軍装操典』第35号のなかに、裏地がコーデュロイ地(コールテン)の一等兵の冬服の写真が載っています(凝り方がハンパじゃない)。 裏地というと将校、准士官らもマント(雨覆)も裏地を深紅などにした例があるそうです。これも現在に通ずるものですね。  このほか、略帽の庇(ひさし)は自分で解(ほど)いて縫うだけで角度が変えられるため改造しやすく、私も庇を極端に短く深い角度にした兵用略帽をひとつ持っています。  海軍は、艦船勤務に適した無駄のない仕様の制服で、改造の余地の少ないスタイルのためか制帽にも大きな改造はなかったようです。もっとも多忙な艦船勤務が主で、たまに陸上に上がる生活だとお洒落に走る余裕も少なかったと思われます。それでも粋でスマートなネイビーさんという言葉通り、ズボンの折り目には気を配ったということです。(旧海軍の方から聴いた話) ただ、末期になると軍服も三種と称する青みがかった褐色の地味な物にかわり、士気もあがらなくなりました。      

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 将校になると、一般の兵卒とは自由に使えるお金も制服における自由度も違うから、軍服の生地や裏地に拘ったりしてたみたいですね。

その他の回答 (5)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.5

1.  身につけるもの     航空隊員のスカーフ、これは支給されたものなのでしょうか。下記は「空の宮本武蔵」と呼ばれた方の写真です。     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E9%87%91%E7%BE%A9 2。顔の髭など     下記は海軍大佐、小園安奈とおっしゃる方の写真ですが、鼻髭は他に例があったようですが、あご髭は「おしゃれ」だったのではないでしょうか。     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%97%A4%E9%87%91%E7%BE%A9     このように狭いながらも「おしゃれ」の余地は多少あったのではないかと思います。  

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 勉強になります。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.4

 極端に、靴を磨く(顔が映る位に磨けと教えられるのですが、それを超えて鏡並にしてしまう…。)なんてのも有りました。  (写真は米軍のですが…。←あえて上の方は革本来の質感を残す所に、拘りと顕示欲が見えます。)  ピカピカにする為に、皮の表面を火で炙ったり鑢で削ったりなどなど色んなテクを駆使したらしいですよ。  (まあ、手を抜く為のテクニックも色々考案したらしいですが…。)  ちなみに、本当の意味でお洒落がしたかったら、憲兵を目指すのも手です。  (試験に合格すれば兵階級でも成れます。)  ある程度の長髪と私服着用が許されますし、乗馬用長靴に拳銃、軍刀を佩用し憲兵のみに許された特別なマントが着用できます。  (給与も良く[6倍近い]、基地の外で暮らす事も出来た。)  ちなみに、士官ともなると軍服は自前になりますから、かなり自由です。  (他の士官の軍服の10倍以上もする様な、外国仕立ての高級軍服を着ている様な奴もいたとか…。)  そういえば日露戦争で有名な乃木将軍は、周りが新しく採用された軍服を着用し始めても、肋骨服を着用していますね。  (あと、なぜか乃木将軍や児玉将軍ってコート着ている時、あえて上のボタンを外して折り返して裏地を見せる様な着用しているイメージが有ります。NHKの坂之上の雲でもやっていましたが…。←他の人は全員上までボタンを留めているのに…。)

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 靴磨きは今もオシャレの基本ですね。 元自衛官の人が靴磨きとワイシャツにアイロンにはこだわっていたといってました。 偉い人もそうでない人も、「俺は違うんだぞ」があって、微笑ましいです。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.3

「贅沢は敵だ!」 「敵」の前に「素」の字を書き足す位の洒落っ気はあったようですね おっと「洒落」違いだ

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 軍隊の中でも外でも、その程度はあったようですね。

回答No.2

公式の場では規定の服を着なければいけませんが、営内活動や日曜の外出時は自分で作った制服を着ていました。今でもPX品という制服や作業着がありますが、当時もあったのです。 衿が高かったり、着丈が短かったりします 無論、彼女と遊ぶ時や遊郭や芸者遊びに行く兵士は衿布を新品にしたり服にアイロンをかけて 「俺、イケてる」 を演出しました これがとても重要で、ドテシャン(ブス)とHするのかトテシャン(美人)が股を開いてくれるかはイケてるかどうかにかかっていたのです。 上官が見てないと衿フックを外すは当たり前だったようです 尚、鉄拳制裁はほとんどありません。軍規で禁止されていますし、ご飯その他新兵に自由裁量が与えられる場で報復されますから… (報復内容一覧・雑巾茶、フケ飯、Gのエキス入り味噌汁、ご飯の痰和えなど) 不自然な怪我をして軍医の診断を受けると軍医から憲兵隊に通報されてしまいます

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 軍隊=鉄拳制裁は戦後日教組と左巻きの方々による洗脳なんですね。 報復はよく聞きますが、Gのエキス入り味噌汁までやるとは...。 「俺、イケてる」、やはり若者だったんです。 涙が出ます。

回答No.1

決められた服装(制服)を「正しく」着ることも『おしゃれ』の原点の一部です。 現在でも規律の求められる職場では「正しく」着ることが前面に押し出されています。 それが「統一された美」と言うものです。 警察官・消防官・自衛官などの記念式典をご覧になったことは有りますか? 「統一された美」がおしゃれだと感じますよ。 ま、帽子を真逆に被るのは「アカン警察」の浜ちゃんぐらいでしょうww 現代の学生の様に「着崩す」のがおしゃれとするのは、「他人と少しでも違うとこを見せてやれ」と言う『アウトロー的考え』ですね。 アウトローは服務規程が重要な場所(軍隊など)では必要無しです。 なお、鉛筆の削り方や字の書き方は「くせ」ですから、おしゃれの表現とは言わないでしょう。

semovente
質問者

お礼

ありがとうございます。 実はこういう回答を、望んでいたのかもしれません。 と言うのも、以前に同じ質問をした際 「軍人汗キラリで優しさがどうの...今と一緒にするのなんて言語道断でどうのこうの...喝!」 「おしゃれなんて軟弱などうのこうの...喝!」 「質実剛健を旨としているので、見てくれのどうのこうの...喝!」 と言った、創られた軍人像を語るばかりでした。 確かに旧軍は制服に関しての規律が厳しかったと聞きますが、 みんなあなたの仰るアウトローでどうのこうのを少しは内包していたわけです。 鉛筆の削り方や字の書き方をクセで片づけますが、そういった細かいとこでしか、「アウトロー的」何たらかんたらを満たすことができなかったのではないかと想像していました。 ですが、上から下まで、自由度の狭い範囲かもしれませんが、みんなそれなりにやっているんですね。 先の大戦において散華された、栄光ある帝国陸海軍の将兵のすべてが、普通の人間だったんだなって再確認できてうれしい限りです。 靖国神社に眠る234万余柱の英霊を身近に感じることができます。 >警察官・消防官・自衛官などの記念式典をご覧になったことは有りますか? 警察官・消防官はありませんが、自衛官はありますよ。 >「統一された美」がおしゃれだと感じますよ。 「訓練厳しいだろうな」で終わりで、「統一された美がどうのこうの」はありませんでしたよw