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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この日本語の構造についてですが。。。。)

日本語の構造についての疑問 - はとがの使い方

このQ&Aのポイント
  • 日本語の構造について疑問があります。文章中に「は」と「が」が2つ使われることがありますが、そのうちの主語ではない「が」はどのような働きをしているのでしょうか?また、日本語が英語に比べて感覚的に話すことが多いのはなぜでしょうか?
  • さらに、別の文で「少しお聞きしたいのですが、この質問の答えを教えてください」という表現があります。この場合の「が」は逆説の意味ではないと思いますが、具体的にはどのような働きをしているのでしょうか?英語に訳す際にも頭が混乱することがあります。
  • 以上の質問について、日本語の構造と文法の特徴を考えると、「は」と「が」の使い方には文脈や意味のニュアンスが関わってくると考えられます。また、日本語が感覚的に話す傾向があるのは、文化や社会的背景にも関連している可能性があります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • bakansky
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回答No.1

> 野球は、チームに入った方が上達する  「チームに入った方が」 の 「が」 は 「可能の対象語」 を表す、と見てよいのではないでしょうか。  いいかえると 「上達の可能性があるのはチームに入ることの方である」 とでもなるかもしれませんが、日本語としてはやや不自然。せいぜい 「上達の可能性があるのはチームに入ってプレーする方である」 くらいでしょうか。「チームに入ってプレーする」 のと 「チームに入らない」 のとを比較して、高い 「可能性」 を 「チームに入ってプレーする」 方に付与しています。  また、「野球は」 の 「は」 も主語を表すと見るよりは、「野球についていうのだが」 と、述べようとするテーマを限定する役割を果たしていると見ることができそうです。  英語に訳す自信はないですが、たとえば 「a good player になるには a baseball team のメンバーになるのがよい」 のような英文にしたりするのかもしれないと思います。 > 少しお聞きしたいのですが、この質問の答えを教えてください  この 「お聞きしたいのですが」 の 「が」 は、2つの文を接続する働きをしている 「が」 だと思います。「お聞きしたいことがあります」 と 「この質問の答えを教えていただきたいのです」 という2つの文を結びつけています。英語だと、まず Could you do me a favor? と言ってから、依頼の内容を相手に告げるという形をとったりするかもしれないと思います。 * 専門家ではないので素人考えですが、日本語の構造と英語などの西洋語の構造は異なるものだと思います。日本語の文法の用語や考え方の一部には西洋語のそれを取り入れてはいるものの、強引に一致させようとする無理が生じるような気がします。

noname#171885
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

その他の回答 (4)

  • TANUHACHI
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回答No.5

 【少しお聞きしたいのですが、この質問の答えを教えてください】 この「が」は文法的に「助詞」それも「接続助詞」と呼ばれる機能の付属語です。「接続」の機能ですから、順接もあれば逆接や並列・添加・説明・選択・転換と様々な機能があります。つまりは「が・ガ=逆接」と公式的に憶え込んでしまっているから混乱することになってしまいます。実際に「我が家」「己がじし」などの事例もありますので「一単語=一つの訳語」と決めてかかることは危険です。  例題の文章では前半と後半は読点で区切られ、それぞれが独立しています。英語にするならば“Excuse me”ドイツ語ならば“Entshuldigen Sie”に相当します。つまりは「話題を提示するための転換」や「前振り」と理解しても支障はないといえます。  今少し、日本語の文法を勉強されては如何かとぞんじます。フランス語に英語のルールを持ち込んでも通用せず、「もし英語ならばどの様に表現するか、ドイツ語だったならばどの様に表現するか」をそれぞれのルールに基づいて判断することが必要であるなどお判りでしょう。日本語を学んでいる外国の方々が「文意」や「文脈」の理解に基づいて学習されているように基本的な姿勢を点検することも大切です。  また「判らなくなったら、文章の骨格を調べ、明確にしてみる」ことが文章理解への近道です。 ※先の答で、肝腎な部分を書き落としていました。【野球は、チームに入った方が上達する】の文章の「主語」は「方」です。それに対する修飾語として「チームに入った」が掛かる形です。「野球は」の「は」は「野球のスキルを上げたければ」との条件を示す働きをしています。翻訳支援システムを利用しても、質問者様のような日本語の理解にはなりえません。

noname#171885
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

  • TANUHACHI
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回答No.4

 こんにちは。この問題ですが「問題の前提」として質問者の不勉強があります。 「外国語の論理」を直接に「日本語の論理」に適用させようとする。これは大きな間違いともいえます。「外国語」一つをとってもドイツ語と英語では相違点があることもご存知でしょう。ドイツ語では文頭に目的語を置いても構わない。なぜならそれが「目的語」であることを文法的に説明できるとの「明確な理由」があるからです。質問者はこの「文法」の存在を看過している(この話は後ほど改めて採り上げます)。  少なくとも「日本語文法」では【「は・ハ」と「が・ガ」の違い】があり、それは【助詞「は・ハ」の機能と役割】および【助詞「が・ガ」の機能と役割】によって説明されています。  でも話の本題に入る前にチョット待って下さい。「文章を読み書きする時の約束事」として「主語と述語」あるい「掛かりと結び」の関係(文章の骨格)を明確にする、このことを意識的に心掛けて下さい。   【日本語文法から見た「は・ハ」】  助詞としての「は・ハ」には4つの機能があり、それぞれの「典型的な文章」を例示します。 (1)「話題を設定する」…「西行は歌人です」。 (2)「対比を示す」…「私は果物は好きだがスイカは余り好きではない」。 (3)「限定・限度・条件」…「会議を10時には始めます」。 (4)「再問題化」…「以前は弱小球団だった」。  (1)は「テーマ」を示し文末と結ぶ。英語と同じ形式の文章です。これと比較して(2)(3)及び(4)は少し異なります。 (2)はこの形か崩れた形です。主語の「私」に対して述語は「好きではない」と結ぶ。そしてその中に「果物は好きである」という事実と「しかしながらスイカは余り好きではない」とのもう一つの事実が比較されている。  更に(3)の場合「会議10時に始めます」と「会議を10時には始めます」とでは、前者には「指定のみ」が示され、後者では「指定に対する限度が加わる」との違いが生じます。この意味では(2)のグループと近い関係にあるとも言えます。  そして(4)の場合。「以前の」事実と「現在の」事実は異なる、との意味が含まれ、「部分否定」であるともいえます。 この様に「は・ハ」があるといっても、それが必ずしも主語を示すとはいえないことが判ります。  これに対し【日本語文法での「が・ガ」】は概ね2つに区別することができます。 (1)名詞と名詞をつなぐ…「ウォーキングが健康の秘訣です」 (2)対象としての事象を描写する「現象文」を作る…「花が咲いていた」    (1)の文章の骨格は「ウォーキングが秘訣です」であることが判ります。つまり「AはBである」の形と同じです。 (2)は名詞の後に動詞が来て、ある状態を描写していると考えられます。「それを見ている主体」とは異なります。ですから「主語」であるとは必ずしもいえない、とのことになります。これは英語の“There is~”の形と同じです。  以上のことから 、質問者様が「なぜ誤解してしまったのか」を考えてみますと、「外国語の論理」を直接に「日本語の論理」に適用させようとしていることもわかります。  私達は中学校の課程で英語を習います。そして英文法は「よく組み立てられている」。様々な点で日本語とは違う。では一体、日本語とはどの様な基本構造を持っているのか、との疑問が頭を擡げてきます。そうした時に「大切なポイントはここですよ」と積み上げる形での教育姿勢を持たないことが、質問者の様に「日本語は感覚的な言語である」との誤解を生む温床となってもいます。英語を含めた外国語と日本語の「構造的な違い」に目を向けるならば、そうした問題は発生しないともいえます。  「文章」を構成する要素には「単語(Word)」と「語順(Word-order)」があります。英語と比較してドイツ語はその「語順(Word-order)」に関する約束事が比較的緩やかです。文章の先頭に目的語を置いてもさほどの違和感は感じられません。そして先頭に目的語が置かれているとしても「それが目的語である」ことも冠詞の語尾変化から容易に判断がつきます。英語ではそう簡単にいきません。主格と目的格の形が同じであることなどは珍しくもありません。それを判断する材料の一つが「語順(Word-order)」です。他動詞や前置詞ならばその後に目的語が記述されることで、それが目的格であることがわかります。  一方の日本語ではどうなるか。日本語には「格と格変化」の捉え方がありません。逆にそれを代替する機能としての「助詞」があります。英語をはじめとするインド・ヨーロッパ系の言語には「助詞」がありません。  「助詞」は付属語(それだけでは意味を示すことのできない)に分類され、他の自立語(それだけで意味を示すことができる)に付随することで機能を果たします。この「助詞」は一般に「て・に・を・は」などとも呼ばれます。    【少しお聞きしたいのですが、この質問の答えを教えてください】この「が」については別に回答させていただきます。

noname#171885
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

生の日本文には直接英語にはできないものがあります。 主語述語が典型的なかたちで並んでいる論理的な日本語はそのまま英語にするのは比較的楽かもしれませんが、日本語は必ずそうはなっていません。まず、論理的にその文章を理解して書き直し並べなおす必要があります。 >野球は、チームに入った方が上達する】 日本人ならこれだけて理解できるでしょうが、この文章は論理的ではありません。このまま英語にすることはできないと思います。 この文章の意味を論理的に書き直すと 野球をはじめようとしている人間(あるいは野球というスポーツ)は、個人で練習するよりも、どこかのチームに入って練習したほうが(あるいは試合に出たほうが)上達する。 ということになろうかと思います。 ちょっと気になったことですが >、「は」と「が」が二つ使われていますが これは間違いです。 、「は」と「が」が一つづつ使われています が正しい言い方です。 私はしばらく文章を何度も読み直しました。 >少しお聞きしたいのですが、この質問の答えを教えてください】 これは文章の流れがわかれば英訳は簡単だと思います。 それぞれの文節が独立していて、しかも決まり文句です。 あらゆる接続詞をすべて意味のある訳語にする必要はないと思います。 文学や詩の訳はまた違います。こだわらねばならないこともあると思います。

noname#171885
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

noname#160411
noname#160411
回答No.2

>英語に訳そうとすると頭が混乱します >何故日本語は英語に比べて感覚的に話すことが多いのか気になります >逆説の"but"を使ってしまうと明らかにおかしくなる 英語中心に考えるからそうなるのであって、日本語話者同士で通じていれば何の混乱もありません。世界には多くの異なった様々な言語があり、日本語も英語もその1つにすぎません。その二つだけで混乱するの感覚的だのと言ってみても意味がありません。「英語植民地主義」と言った学者もいました。 ご質問の「は」と「が」についてはとても長い説明になるのでこのスペースではとても書ききれません。三上章の「象は鼻が長い」亜たちを図書館で見て参考になさってください。 二つ目のご質問の「が」の働きは「前置き」と言われています。

noname#171885
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

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