• ベストアンサー

日本史って何年前までをいうのですか?

例えば、日本史のテストで、去年の出来事を聞かれるのは変ですよね。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 ♯1です。少しばかり書き忘れていたお話をします(♯3および4の方の補足としてお読みいただければ幸甚です)。  ♯4の方のお話しを歴史学では「歴史」と「歴史叙述」として区別しています。しかしながら両者の間に密接な関係があることも確かです。  「歴史叙述」は別な呼び方をすれば「歴史評価」となります。そしてこの歴史評価は「ある歴史事象」を歴史の流れの中にどの様に位置付けて説明するかとの、歴史を観る者の作業であるともいえます。この点で「歴史を観る者」の主体的作業となり、「歴史」そのものは客観的に存在する対象となります。  ここで♯3の方のお話しが登場します。 「現代史」をどの様にみるか。これは何時の時代の歴史家達も頭を悩ませてきた問題です。史実に忠実であろうとすればするほど、それは時として鋭い政治批判を伴う形にもなります。現代史が時間軸としての1945年8月15日以後に始まるとすれば、それは少なからず現代史の前にある「近代」の影響を受けることとなり、この「近代」も日本の場合は「前近代の残滓」や「前近代の古層」を底流に受け継ぐ形で形成されているなどの解釈もあります(丸山眞男や萩原延壽、藤田省三などの考え方)。  これに対し、一般の人が「現代史としての今」をとらえる時に突き当たる壁とも呼ぶべき問題を♯3の方が例として説明されています。ただ僕が個人としてこの問題に立ち向かう時には、どうしても戦前派と戦中派の方々の言葉には違和感を感じてしまう。戦後生まれでしかも歴史学を生業とする者の立場としては、どうしても戦前派や戦中派の方が話す「あの頃は………」として自らの経験を全てであるかのように話そうとする姿勢が引っかかってしまう事も確かです。個人の経験がアジア・太平洋戦争の全貌を伝えているとも考えられず、かといってそれらの個別の事象もまた歴史であることにかわりはありませんから。そしてここにこそ「同時代史としての現代史」が存在する意義があるとも考えられます。幾つかの歴史(史実)を史料に基づいて再構築し、その時代の姿を知ろうとする行為、これが歴史学の果たす役割であるともいえます。  質問者様が「日本史のテストで、去年の出来事を聞かれる」と仰る背景には「歴史=暗記物」とのイメージがあってのことだろうと推察できますが、このように「歴史をどのように理解するか」とのレベルに引き上げるならば、この様な質問の仕方はベストに近いといえます。  

noname#192066
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 確かに「歴史=暗記物」と言う感じです。 本当は暗記物でなかったらおもしろいと思います。 でも、周りの人に「『暗記物』と思うからおもしろくないんだ」と言われたり、よく分からなかったりします。

その他の回答 (4)

回答No.4

現役予備校講師なりよ 歴史という概念の捉え方次第・・という回答になるだろう 一般的には、歴史とは過去の事情全般を指すが、 歴史とは 事象の継続性・断続性を編纂した記録・記憶の集積体・・と考えれば、今現在も歴史でありえる。 つまり、つい1秒前の事象でも歴史になりえる。 ただし、学校教育における歴史というのは、教科書編纂の都合で5年前以前が歴史記述される傾向になる ちなみに、逆に、『原初の日本史は?』という問題の方が難しいだろう 以上

noname#192066
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.3

 No.1の方が使われているように、『現代史』というくくりで、今日のついさっきまでの過去を扱います。ですから「変です」という訳ではありませんが・・・  学者や人にもよりますが、一般に『古代史』『中世史』『近世史』『近代史』『現代史』といった括り方で古い時代からだんだん新しい時代に向かって区切ります。  この中で、「現代史」だけは、発掘や新資料の発見などによってしか、新しい情報が加わることのない他の時代とは違って、日々の経過と共に、常に新しい情報が追加され続けます。  この“日々の経過と共に、常に新しい情報が追加され続ける”という点が他の歴史の時代区分と違っているために、現代史特有の視点・捉え方が必要になります。 1、歴史として、何があったかという記述は可能。 2、新資料の発見が極めて多い。 3、既に起こったことの結果が、今現在も社会に見える形で波及中。 4、生きている人の事跡などは、近い将来に、新しい事跡が追加されるため、評価を下しにくい。 5、亡くなった人の事跡についても、子供など極めて近い血族の人が現代社会の第一線で活動しているなどの状況があり、故人に対する評価が、プライベートなスキャンダルになってしまうこともある。 6、2~6など条件により、「教科書」に記載しても、記載内容が大幅に変更になる可能性がある。  この様な特殊条件を持つために、他の時代区分と違う性質を踏まえた取り扱いが、中学・高校のレベルでは難しいとして、授業では回避されるケースが多く見られます。 1、起こったことの評価をせずに、「何があったか」という点だけを扱うなら、歴史として扱っても、問題はないと思います。

noname#192066
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

回答No.2

昨日の出来事でも それは歴史です つまり過去はすべて歴史だと思いますよ

noname#192066
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.1

 別にオカシナことではありません。「システムとしての日本」に大きな変化があったならば「日本史」の範疇にはなりえます。イタリアの思索家ベネディット・クローチェが遺した「歴史は全て現代史である」との至言がありますが、これは「歴史を叙述する者からみれば現在進行形である」との意味を含んでもいます。  恐らく質問者様は「日本史の教科書」を基準としてこの様な質問をお立てになっていると存じますが、その「日本史教科書」でも「バブル」のことは記されていません。しかしながらこの事象も間違いなく日本現代史の一コマでもあることにかわりはありません。  「失われた10年」などの言葉をお聞きになることもあると存じますが、これは経済の閉塞状態を示すだけではなく、それによって生じた「日本の社会構造の地殻変動」の始まりをも意味しています。こうした「変化の意味」をどう理解するかが歴史学習にとっては最も大切な部分ですが、残念ながら現在の受験体制下の「日本史」「世界史」では情報量を如何に多く詰め込むかだけが求められているのが現状です。

noname#192066
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

関連するQ&A