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龍造寺隆信
龍造寺隆信が島原の沖田畷で戦死せず勝利していたら九州の構図は変わっていたでしょうか? 当時、島津はまだ発展途上で龍造寺や大友に対して対抗できる戦力は持っていなかったと聞いたので・・・
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上杉謙信と武田信玄というスーパースターがいるせいで有名な関東三国志に比べると、内容的には関東三国志よりよっぽど面白くて参加武将も個性的なのに人気がない九州三国志でございますが、どうして大河はネタにしないのかなあ。直江兼続やるんだったら立花宗茂やったっていいのに。最後は大団円だし。 それはさておき、沖田畷の合戦の島津の立場はあくまで「援軍」というものだったので、もし龍造寺が勝っても有馬氏が滅亡したくらいにしかならなかったと思います。 また隆信はワタミの社長もびっくりの家臣に対しても苛烈な君主だったそうなので、そういう人は我が国では昔からだいたい信長のように謀反などで命を落とすか、ダイエーやマクドナルドのように創業者が死んじゃったらダメになるかどちらかなので、どちらにせよ鍋島直茂に集約されていったのではないかと思います。 また島津家というところは非常に不思議な藩でして、それは「常にお家騒動。でも潰れない」なんですよね。戦国時代前からずーっとお家騒動でゴタゴタしていて、関ヶ原でも(島津義弘個人は別にして家としての)存在感がゼロだったのは身内で内乱が起きていてそれにかかりきりだったせいです。 また江戸時代になっても、ほぼずーっとといいたくなるほどに常に身内でゴタゴタしていたのです。普通はそういう藩は内部崩壊して取り潰されるものですが、なぜだか、どういうわけかどんなに身内で激しく対立しても外部には漏らさない。でも藩内はまとまらない。潰れないまとまらない、それが島津というところなのです。 また龍造寺家も大友家も(ついでにいえば島津家も)組織の統制というのが実に前近代的なんですよ。なんか、どの家もまとまらないんですよね。EUみたいな感じなのです。それぞれの地侍の力が強すぎて中央集権できないのです。だから、大友家のまとまりってのも本当になかったし、龍造寺家の統率というのはまさに今のブラック企業みたいなものでしたから、三者の間で無限運動をしている間に秀吉が入ってくる、って展開になったのは間違いなかったでしょうね。
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- あずき なな(@azuki-7)
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龍造寺隆信 最盛期には九州2カ国5島を制圧した肥前の熊 確かに彼個人は強いです 恐らく九州北部最強の武将と言って良いでしょう 彼が戦死しなければ九州北部は竜造寺、南部は島津で分け合ったと思います…が その後の島津の力を考えればやはりいずれは島津に滅ぼされた可能性もあります(秀吉に泣きついて島津と和睦して所領安堵に納めた可能性もありますが) 彼の死後竜造寺家は結局鍋島家に乗っ取られます
お礼
やっぱり有能な部下がたくさんいないと正史に似通ってくるんでしょうね・・・ 勉強になりました ありがとうございました
- jkpawapuro
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島津氏が強かったのって他国に先駆けた鉄砲生産に依る面が大きいので、竜造寺当主が戦死しなかったとしても、徐々に島津氏が強くなっていくのは歴史の趨勢と思いますよ。 豊臣秀吉の九州征伐までには九州占領は完成しなかった可能性はありますね。 とはいえその先も歴史にはほとんど影響しないでしょう。
お礼
なるほど やはり歴史は正史に収束しそうですね それだけ京畿は大きな存在だったのですね ありがとうございました
- chiha2525_
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誰が頑張っていたとしても、豊臣秀吉にはボロ負けだったでしょう。
お礼
まぁ確かに最後は秀吉、徳川路線になっていたと私も思います 秀吉の力は偉大ですね ありがとうございました
お礼
なるほどなるほ~ど 勉強になりました ありがとうございました