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手取り約11万/月のフルタイムパート(母子家庭)
- フルタイムパートで手取り約11万円の仕事に就くか、雇用保険受給中に求職活動を続けるか悩んでいます。
- 一人親で子供を育てるため、最低でも手取り15万円を確保したいと考えています。
- 介護職の専門知識を身につけるため、職業訓練を受けることも検討しています。
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質問者が選んだベストアンサー
ご心配ですね。 状況が、私ととても似ています。 私もあなた様と同年齢。母子家庭です。娘は現在大学2年生です。 私も、今年3月に契約期間終了でした。その後の話も貰っていたはずだったのに、3月末に突然なくなって雇用保険を受給しています。 現在は、次の仕事を待ってる状況です。待ってるというのは、今まで教職(臨時・非常勤など)しかやったことがないので、別の職種になにがあるのかもよく分かってない状況です。職安で検索したけど、実はよく分かってないです。>< もう、このままで雇用保険を目一杯貰おうと考えています。ヘルパーの資格を取るという選択肢もあるかもしれませんが、かなりお給料が少ないようです。 私の場合には、多分失業することもあるかもしれないと思ってきたので(娘も当然大学までやるつもりでした。)、今まで学資保険やら収入の殆どを貯めてきました。 子供を大学に行かせるのはやっぱりお金がかかります。娘は中・高の時も塾代がかかってました。特に、高3の時には100万くらい使ってしまいました。 大学も、国立ですが他県に行ってます。(夫から養育費をもらえているので、ずいぶん違うのかもしれませんね。) 娘も我が家の状況(母子家庭であること)をよく分かってるので、非常に努力してきました。仕事が忙しくて、大したこともやってあげられなかったのですが、私が頑張っていることを見ていました。 娘が大学に進学するときに、本人の強い希望で、結局医学部に進学しました。6年間あります。まだ先は長いですが、何とか乗り切ろうと策を練っているところです。(笑) アドバイスなど、何もできなくて残念ですが、質問者さんの身体が心配です。 身体を壊してしまったら、なんにもなりません。子供が悲しみますよ? 雇用保険が切れる直前まで、じっくり探した方が良いのでは?と思います。 高3の段階で、きっと奨学金の申請の話を聞かれると思います。うちは受けてないですが、娘の同級生にも受けている人が結構いるようです。子供が自分で選んだ道だから、精一杯の応援をする気持ち、同じです。でも、自分の力が及ばないこともあります。その時は、子供の力を信じてやって良いのではないですか?
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シングルで子育てをした者から、お節介かも知れませんが・・・・ 大学に進学する事は、意外と出費です。 何処を受けるのか、医療系なら6年コースもあります、普通の大学が4年なら、更に2年余分に通学すると言う事です。 専門校で資格を取る事で、実践力を付け就活すると言う道もあります。 スレ主さんが思う進学と、息子が思う進学とすり合わせして居ますか? 国公立でも年間、まず、入学金は28万円<授業料が年間53万円<合計81万円 コレに食費、通学費用などを入れると膨大な金額です。 看護師を例にするなら、仕事をしながら学校に行く、正看資格を取ると言う子も居ます。 シングルオカンが、子どもを丸抱えは相当にキツイ生活です。 先ずはオカンの生活で一杯で、子どもまで背負う事が出来るかです。 ワーキングシングルで、進学をされる子は、住み込みで行ける所、板前とか、工場で旋盤をするとか、大工とか、手に職を付けると言う事で、実力で食える世界で仕事を得て居ます。 淡い期待に、水を指すようですがエリートコースを描くなら、可成りのハードルです。 出来が良い子に背中を押してやりたい、親心は分かりますが、学費が年間でも100万は掛かるんです。 元夫が居るなら、その筋からも送金させない限りは、可成りハードです。 スレ主が体を壊す位と思います、運良く日本教育支援の1種を借りても、返済は子どもの課題です。 仕事に就けないなら、それは滞納になるだけです。 どうか冷静な判断と思いますが・・・
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答者さまも大変なご苦労されていらっしゃるようですね。 私自身、母子家庭で生まれました。 物心ついたころから母親に言葉と体で暴力を受けていました。 毎日のように 「あんたなんか生まなきゃよかった。」 「あんたがいるからこんな苦労してるんだ。」 「早く家を出て行け。」 「早く楽になりたい。」 などという言葉を毎日のように浴びて育ちました。 母と私と妹の3人暮らしでしたが、 何故か私にばかり暴力していました。 私が中学生になるまで母は洋裁職人だったのですが、 自宅にある太い50cm長さの洋裁さしでビシビシ叩かれました。 手の甲によもぎを焼いたものをのせられました。 躾とは無縁のものです。 当時は置かれているだけの50cm洋裁さしを見るたび、 会話の中でよもぎという言葉が出るたび、 恐怖心でいっぱいになったものです。 何時間も家にいれてくれないことが多々ありました。 夜遅くになってもドア外に出され、 そんな様子をみかねた同じ団地に住む近所の方が 「家にいれてあげて。」と助けてくれることもありましたが、 家に入れても朝登校の時間までずっと台所の床に正座させられていました。 眠たくてそのまま床に寝ましたが、 痛くて辛く、 特に冬は冷たくてお布団で寝たい、あったかいお布団で寝たいと ただただお布団で眠りたいと思いました。 就学前後は母子寮にいましたが、 私はバスで保育所に通いました。 今よくある送迎バスではありません。 朝、ひとりで起き、トーストを焼いて食べ、 お弁当がわりに持たされているお金でパンを買って、 バスに乗って保育所に通いました。 内職なので時間調整はいくらでもできたでしょうに 夜ミシンを鳴らし朝は眠っていました。 私のために起きてくれるようなことはありませんでした。 小学校1年の秋、引っ越したのが2Kの市営住宅でした。 母はいつもふすまを閉め切って洋裁の内職をしていました。 一緒に食事することなど1年を通してあまりなかったように思います。 口を開くといつも感情的に怒るか命令するかで、 ふつうの親子の会話はほぼありませんでした。 ただ怖いだけの人。 そういう母でした。 私は今も母が許せず、そういう小さい自分が苦しいです。 生み育ててくれたことに感謝しなければならないでしょうが、 どうしても憎む感情が消えてなくなりません。 私も貧乏な環境でひとり親で子どもを育てています。 母と同じです。 でも私は子どもをしっかり愛しています。 生まれてきてくれてありがとう、と感謝しています。 その思いを素直に言葉にしています。 「ありがとう。」 「大好き。」 と心から言い続けています。 子どものいいところは心からめちゃくちゃほめたたえます。 「おかあさんはほんまに親ばかやなぁ。あきれるわ。」と と本人が失笑してもおかまいなしです。 時に私もつい暴言を吐いてしまったり、 感情に任せて叩いてしまったりすることもありました。 (母のように絶対なるまいと思ってるのに..。) 冷静になると「ごめんね。」と心から詫びました。 そして子どもは許してくれました。 そうやって私と子どもの今があります。 随分、長文になってしまってごめんなさい。 ここで書きたかったのは、 貧乏人の子どもであろうと本人のゆるぎない努力で 未来は明るく無限の可能性に満ちてると信じます。 子どもはとても素直です。 親の愛情は子どものがんばり力に比例すると確信します。 お金はないけど、 相変わらず苦労かけてしまうけど、 子どもの無限の可能性を狭めるようなことだけはしたくありません。 親子で力を合わせてやっていきたいです。
- qwertydfv
- ベストアンサー率18% (123/671)
子育てしながらお仕事さぞ大変だった思います。 ただ金持ちはより金持ちになるのがこの社会です。言い換えると貧乏の人は貧乏のまま。 仕事を掛け持って努力してもお金が足りないあなたは、俗に言うワーキングプアなんでしょうね。 この世にはあなたよりも努力していなくても、あなたの数倍はお金をかせいでる人が五万といます。 そこについて今一度考えて、理由を考えてあなた自身の考え方を昇華させてみませんか?今のままのあなただと、アルバイトだろうが、契約社員だろうが、正社員だろうがワーキングプアから抜け出せないように感じました。 IT業界は他の業界に比べるとお金周りがいい業界です。 ちょっと目線や考え方をかえるだけで今よりも随分稼げるようになるとは思うのですが。 あとは金融業界ですね。 それ以外の業界は不況で苦しいので大変かもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ただ金持ちはより金持ちになるのがこの社会です。言い換えると貧乏の人は貧乏のまま。 >仕事を掛け持って努力してもお金が足りないあなたは、俗に言うワーキングプアなんでしょうね。 私自身も母子家庭で育ったのでワーキングプア状態は身にしみています。 私は若い頃しっかり勉強しなかったので自業自得ですが、子供は明るい未来にむけてしっかり歩んでほしいですね。 余談ですが、失業中にも関わらず嬉しいことがあります。 それは、遅くない普通の時間帯に一緒に夕食したり、 毎日きちんと手作りのお弁当を作ってあげられること。 世の中には忙しくても家事をきちんとこなすお母さんはたくさんいらっしゃるでしょうが、 私はつい家庭を手抜きしてしまいました。 これからはどんなに忙しくなっても工夫して手作り料理を食べさせようと思っています。 体と心の栄養をたっぷり与えることが親として子どもにしてあげられる大切なことと反省してます。 >IT業界は他の業界に比べるとお金周りがいい業界です。 >ちょっと目線や考え方をかえるだけで今よりも随分稼げるようになるとは思うのですが。 直近の就業形態で偽装請負などこりごりしましたが、 それ以外ではとてもやり甲斐生き甲斐があったので、 自社開発会社のプログラマとして直接雇用される幸運があれば嬉しいですね。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
まず、介護職は腰を痛めます。長続きはしません。特に年令が行っているとキツイです。 ただ、職業訓練中は失業給付が継続しますので、予備的な資格として持っているとつぶしが効いて良いかもしれません。 (短期なら腰の負担も軽いでしょうし) ただ、失業給付は額がかなり低いので、それで生計維持するのは難しいかもしれません。 となると職業訓練は現実的でないので、早々にパートでも就労するしか無いように思います。 しかし、時給800円は最低賃金ですし、もうちょっと何かありそうな気もします。 兼業はあまりお勧めできません。背に腹は替えられないとは思いますが、できれば1つの職場で残業などで総額を増やす方向の方が有利と思います。 勧めたくはありませんが、派遣登録もしておく方が良いかもしれません。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 雇用保険受給資格証上で計算すると、 基本手当日額5,600円×28日=156,800、となり 今回の手取11万/月のフルタイムパート+休日パートのWワークより高い金額です。 6ヶ月の受給期間中だけは生計維持しやすいというのも悩む要因でもあります。 >まず、介護職は腰を痛めます。長続きはしません。特に年令が行っているとキツイです。 学校で腰に負担をかけない方法を学べるらしいのですが、その方法を正しく実践しても痛めてしまうのでしょうか。 >派遣登録もしておく方が良いかもしれません。 そうですね。 もう50歳前なので派遣会社から門前払いされそうと弱気になっていましたが、後悔しないよういろいろ体当たりすべきかもしれませんね。 >しかし、時給800円は最低賃金ですし、もうちょっと何かありそうな気もします。 そのあたりがほんとうに悩ましいです。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
介護職を考えるなら、急ぐことはないです、いくらでも、求人はあるでしょう。施設にするか、居宅にするか、訪問ヘルパーをするか、よく考えて、ゆっくりお選びください。施設で夜勤をやれば、15万円くらいは、もらえるのでは、と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >介護職を考えるなら、急ぐことはないです、いくらでも、求人はあるでしょう。 確かに、ハローワーク、新聞の折り込み求人紙、ネット求人など介護職の求人は多いですね。
お礼
ご回答有難うございます。 昨日、入社(パート)手続きに必要な提出書類を受け取り、翌月初出勤と口頭約束したのですが、 かけもち2つ目の就労先がまだ決まらず気持ちが不安定になっているところでした。 このままだと月11万で生活..。 入社手続き書類をまだ提出していないことだし、 辞退させていただこうかとここにきてもまだ気持ちが揺らいでいます。 半年はまだ人間らしい生活ができるのにそれを手放すことは正しい判断なのか、 2つ目のかけもち就労先がこのまま決まらないと生活はどうなるのか。 一方で今回のフルタイムパートをお断りした結果、 雇用保険受給期間内に次の就業先が決まるのか不安です。 私は学歴もなく高いスキルもないので ここを辞退するとあとがないと。 内定承諾したものの不安でたまりません。 考えが整理できません。 絶望的な気持ちになったり立ち直ったり混乱しています。 ご回答者さまの思いやりあふれるメッセージがとても優しく心にはいります。 ありがとうございます。
補足
先日は心にほっこりくるご回答をありがとうございました。 ずいぶん励まされました。 今日、土日祝のパート先が決まりました。 いろいろ悩んでいましたが2つ目のパート先が決まったことで迷いが吹っ切れました。 それぞれの職場でしっかり勤めます。 ----------------------- 今回の失業期間中、介護施設の職場体験をさせていただいたのですが、 お食事前などにおしぼりや消毒スプレーを提供するとき、 一緒に昼食をかこんだとき、 お年寄りのほんとうにあたたかい大きな心にふれることができました。 初めての介護施設の職場体験で固まってる状態の私に、 目があうとにっこり微笑んでくださったり、 なんにもできていないのにひとつひとつのふれあいに対して 「ありがとう」、「ごめんね」と感謝の言葉をいただきました。 「貴方を見ててほんとうに大変ねぇと思っていたのよ。 わからないことだらけで神経ばかり使って疲れたでしょう。」 とねぎらいの言葉までかけて下さる方もいらっしゃいました。 このこまやかな思いやりあふれる言動はどこからくるのだろうと考えました。 私には想像を絶する戦中戦後の厳しい状況下で たくましく生き抜いてこられたからでしょうか。 私ももっとたくましく生きなければと思いました。 環境に負けず、心は太陽でありたいと思いました。 貧乏がなんだ、ワーキングプアがなんだ、 という気持ちです。 助け合い支え合い、嘘やごまかしのない、 そういう職場で生き生きと働きたいです。 今度の職場はどんなかなとわくわくしています。 なにより子どもにこそ、 自身のやり甲斐、生き甲斐ある天職に就けるよう願います。 子どもは中学・高校と良いお友達や教師に恵まれています。 大学に入っても社会人になっても 素晴らしい方とのご縁に恵まれるよう願います。 私ひとりじゃこの厳しい社会にとうに負けていたでしょう。 この子の笑顔でやっていけます。乗り越えられます。 子どもって素晴らしいですね! おかあさんのもとに生まれてくれてありがとうって、 ことあるたびに感謝します。