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算用数字について

算用数字について 数学の分野で質問すると、分野が違うという事で、再度、質問します。 1)現在用いられている算用数字は、インド起源のアラビア数字と書かれていますが、その字体は、 インド数字やアラブの数字よりも、見易い、きれいな洗練された字体です。 このきれいな算用数字を最初に書いた人は、誰ですか? それは何時ですか? それとも、 少しずつ洗練度が高まっていったのですか? その歴史的な経緯を知っている人はいませんか? 個人が勝手に変えて決める筋合いのものではなさそうですし。 現在の字体に決める国際会議が行われて、決めたのですか? 2)現在の字体に決めた根拠は何ですか? インドのブラーフミー数字の字体に近いですが。 3)下記のサイトによると、16Cには、ほぼ現在の字体になったようですが。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand/5834/z7--.html

みんなの回答

  • k16399638
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回答No.4

3番です 1はおっしゃる通りです 2は、複式簿記の発明が12世紀のアッバース朝世界でのことです。複式簿記で検索するとヒットしますし、イスラム銀行の歴史を311以降に読んだ書籍の中に記述がありました。 西欧で現在の形にイタリア(ヴェネツィア)商人が簿記のシステムとともにアラビア数字を広めるキッカケになったのが、会計学の父といわれるパチョーリのスムマという本で、出版が1500年近辺のことです。このころ中東はオスマン帝国に押さえられつつあったので、西欧人が伝える形に洗練させたのが、オスマン帝国の臣民でしょう、とお答えましまた。 3ですが、1200年ごろ活版印刷がない時期の著作と、私がご紹介した1600年代のアルドの出版活動の間には400年の時差があります。その間にフォントが実際に使われることにより洗練されたと、私は思います。

  • k16399638
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回答No.3

漫談で、推測まじりですが。 1 12世紀ごろの中東の人だといいます。というと結局オスマン帝国の臣民です。 2 商売に使いました。このころに複式簿記が発明されるという、商業的革命がおきます。お金がかかわるわけですから、他者が判読できない文字では困ります。そして、書きやすいことももとめられます。 西欧で中東諸国とこの時期に一番交易が盛んだったのはヴェネツィア共和国で、複式簿記も中東からここに伝わり、すぐに「あたりまえ」のことになりました。ローマ数字では3999以上が表記できないのと、簿記の上で使えないからです。 反イスラムであるローマ教会の意向が反映されない政治形態であったヴェネツィアだからこそのことで、ヴェネツィアとオスマン帝国の交易商人がアラビア数字を洗練させていったといえるでしょう。 3 当時の本は表紙がない仮綴の状態で販売され、中身を買ったら装訂職人にだすというのが一般的で、それゆえ本は芸術品でもあり高かったのです(いまでも装訂職人、ルリュールが西欧には大勢います。参考にここをどうぞ http://www.atalde.jp/index.html  )。 そこでヴェネツィアのアルド・マヌーツオは、自分のもつ印刷所=出版社、アルドで、学生でも買える文庫本の出版、16折り本、つまりただの厚紙が表紙のペーパーバック出版ということをはじめて、会社は大きくなりました。エラスムスが若いころに校正係として在籍していて、とんでもなくうるさくて忙しかったと文句を残しています。 その文庫本用に使用した、斜体で一行の文字数を多くできる(つまり、紙の節約になる)活字のフォントが、今日、イタリック、といわれるものです。アルドの当時の文庫本は今でも普通に読めるといいます。 これが、やや16世紀のことなのですが、ご提示のサイトの時期とも合うとおもいます。 参考になれば幸いです。

ko6917
質問者

お礼

丁寧なご回答、有難うございます。 次の点を補足させて頂きます。 A1)独のウイッドマンが、1489年頃に著した活字の著書、「全商業のための機敏にして親切な計算」 に書かれている掛け算の99の表の数字は、現在の算用数字の活字体が使われています。 従ってこの頃には、現在の活字体の算用数字は、完成していたようです。 進んだ人は、これを使っていたのでしょう。 A2)12C頃の中東の人。これをサポートする引用文献(根拠)は、ありますか?  A3)1202年に伊のFibonacciが伊で(Liber Abaci)を出版してから、伊でインド式記数法に関心が高まったようですが、この本に使われている数字は、まだ殆ど進歩なしの状態です。

  • tanuki4u
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回答No.2

http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Hindu-Arabic_numeral_system 7世紀の段階で、シリア在住のキリスト教徒が「すっごい 便利でっせ」と書いているそうだ。 文字とか数字を広めたのはだいたいが 交易民だから「だれが」ってことではなく、中東の交易民たちってくらいかなと。 7世紀の段階で シリア=アラム語=中東の交易のはブ ってのが さもありなんていう感じです

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

確かなことは分かりませんが、「書かれた」と考える根拠はありません。文字が大衆に普及したのはグーテンベルクが15世紀に活版印刷術を発明した後のことです。無数の活字職人が様々な書体を競作したのは疑う余地がない。なんせアルファベットもアラビア数字も文字数が極めて少ない。活字セットを作っては捨て、捨てては作るのは簡単な事です。大衆に人気の高い書体だけが生き残った。出来の悪い活字は自然淘汰されてしまった。そういう歴史で書体が定着したのが16世紀と考えるのは、まあ妥当な時期といえるのではありますまいか。