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象の背中

「象の背中 旅立ちの日」という動画をYou Tubeで見ていて思ったんですけれども、 人間って「失って気づく」じゃないですか? 「失う前に気づく」方法はないんですかね? 予測はできるんですけど、感情まではしっかりと伴わないといいますか... ざっくりした質問なんですけど、良いアドバイスがあったら教えて下さい。( ´θ`)ノ

みんなの回答

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.8

「予見表象能力」といいますが、 ハイパーレスキュー隊はあらゆる事体を想定して演習訓練してるそうです。 実際に救助したいので戦う敵を求めるなんて願ってはなくとも、 仮想的がないとどんな訓練すればいいものやら 備えて措くべきこと、自己研磨すべきことがわからないからです。 彼らには「想定外であった」ということはいいわけとして許されないんです。

noname#164825
質問者

お礼

miko-desiさん、回答ありがとうございます。(´ε` ) す...素晴らしい... とても胸に突き刺さりました。 ありがとうございます。( ´θ`)ノ

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

よく、理解した、とか解った、てのがありますよね。 でも、本当に理解した、と言えるためには、それが 感情にまで昇華しないとダメなんです。 ドロボーは悪いことだよ、と学校でいくら教育しても 中々効果がでません。 それは、理屈で解っているだけだからです。 感情に昇華させないと、効果が少ないのです。 道徳などを感情に昇華させる方法で、最も典型的 なのが、宗教です。 武士道の冒頭にありますね。有名な台詞が。 「宗教教育をしていない!?  それでどうやって子供達に道徳を教える  ことができるのですか?」 失えば気づきます。 それは失って始めて感情に触れるからです。 これに対して、失う前は、理屈です。理論で 気づくだけなのです。 まだ、感情は動いていません。 つまり、本当に気づけば、失う前に気づく はずなのです。

noname#164825
質問者

お礼

hekiyuさん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ 「本当に理解した、と言えるためには、感情にまで昇華しないとダメなんです。理屈で解っているだけだからです。」 そうなんですよね。そういう仕組みなんですよね。 「道徳などを感情に昇華させる方法で、最も典型的なのが、宗教です。」 宗教だと、失う前に感情を動かすことが出来るんでしょうか? お時間ある時に、教えていただけると助かります。(´ε` )

noname#156094
noname#156094
回答No.6

ないと思いますね。 想定はあくまで想定です。 笑うも泣くも祈るも、現実からです。 感情の自己防衛は小さなものだった・・・ 誰もそうではないでしょうか。

noname#164825
質問者

お礼

hetanosukeさん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ やはり、感情は実際に体験しないと感じられないのかもしれないですよね。 ありがとうございます。(´ε` )

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

「失う前に気づく」方法はないんですかね? ○ありますよ。 孫子の兵法「彼(てき)を知り、己を知れば、百戦危うからず。」これは人生も同じですね。 まず、己を知らないといけませんね。過大評価や過小評価ではなくありのままの自分ですね。己を知って、相手を知れば、因果の理法で考えれば未来が見えますね。 未来が見えれば失うことはありませんね。これが、「百戦危うからず。」ですね。 ただね。己を知る。というのは悟りの一部でもあるのですね。どこまで本当の己を知りうるかにかかっていますね。その程度次第で人生もずいぶん違ってくるのですね。

noname#164825
質問者

お礼

mmkyさん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ 己を知る。ですよね。 わたくしも日々、座禅や本を読んでるんですが、難しいんですよね。 日々精進ですね。 ありがとうございます。(´ε` )

回答No.4

>「失う前に気づく」方法はないんですかね? 年寄りの話を聞くことですね。 そのためには三世代が同じ屋根の下に住めるよう、ワンルームや2DKなどの狭小住宅をやめて、江戸時代、明治時代のような大型住宅を沢山作る必要がありますね。

noname#164825
質問者

お礼

Mokuzo100nennさん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ やっぱり経験してきた人の話しを聞いて、イメージを膨らませるのがいいのかもしれませんよね。 ありがとうございます。(´ε` )

回答No.3

失う前に気づくって普通にあると思いますよ。 「心配」って、先のことを予想して心を痛めるでしょ。 日常的な心の作業で、感情も伴っているでしょ。 ただ、自分の周囲や経験等から心配の種は生まれるから、全てのことを心配することは出来ないですね。 逆に、先のことを心配しすぎると「杞憂」とか言って、日常生活に支障をきたしたりするからほどほどが大事なんじゃないですか?

noname#164825
質問者

お礼

bochi-2000さん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ 確かに、「心配」と「愛情」って近い様な気がする。 考えてみます。 ありがとうございます。(-人-)

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.2

 それが出来れば良いんだけどね。災害が起きたときに常に思いますよ。  ただ、そういった映像作品や小説などを読んだりして自分が体験したかのような状態になると、分かるときもあります。誰かの体験に共感するなど。  それぐらいでしょうか。あと、小さいけど似たような体験をすることもイメージなど膨らませることが出来ます。  私は寝る前にお話しを自然に作ってしまうのですが、そこで色んな体験を主人公にさせてみたりして、楽しんでいますが、そこで気がつく事もあります。  小説とか書いてみるのも良いかもね。

noname#164825
質問者

お礼

kyo-moguさん回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ なるほど。φ(.. ) 『映像作品や小説などを読んだりして自分が体験したかのような状態になる。誰かの体験に共感するなど。』 やっぱり、こういうのが1番良い方法なのかもしれませんよね。 ありがとうございます。(-人-)

  • gourikiou
  • ベストアンサー率25% (27/104)
回答No.1

“後悔先に立たず”という諺がある通り、「失う前に気づく」のは難しいのではないでしょうか? できる事は、今を精いっぱい生きてなるべく後悔しない様にするだけだと思います

noname#164825
質問者

お礼

gourikiouさん、回答ありがとうございます。( ´θ`)ノ 「今を精いっぱい生きてなるべく後悔しない様にするだけだと思います」 それしかないんですよね。きっと。 ありがとうございます。キリッ ( ̄Д ̄)ゞ

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