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神経症者は、なぜ無駄な抵抗をするのか。
神経症の症状は直そうとする病気 なぜ直そうと無駄な抵抗をするのか。。 不眠症は寝ようとする無駄な抵抗 あがり症はあがらなく成ろうとする無駄な抵抗 もともと神経質な人が直そうとして神経症に成ってしまう 直そうと無駄な抵抗をやめれば神経質に戻る 神経症が直ると言う事はあがり症が大胆な人間になるのではなく 不眠症が直るということはいつも快適に寝れるということではない。。 森田療法でいうあるがままに戻ると言う事 そう思いませんか。
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質問者が選んだベストアンサー
違うと思います。もと、うつです。わたしは、自分を、強い人間で時カッコいいと思ってました。そして、うつになり、わたしは、弱くくだらない人間だということに気づきました。そしたら、うつは、消えました。原因があるのです。原因さえ気づけば、なんでも治ります。
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- yama69
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精神的に辛い事に対する人間の欲望などではなく、生理的な現象なのではないのでしょうか? 抵抗と言う言葉が書かれていますが、抵抗とかではなく本人の次の日にやることに対する(仕事等) 責任感から出ているのでは? アルコール依存症の関連の病院の中には、「眠れないから薬をくれ」と言っても出さないで「眠くなったら眠れば良い。」と、言っている病院もありますが、私も精神化に入院していましたが、良く寝れました。次の日に仕事をすることも無く、療養を考えれば良いのですので。 一番楽な方法だと思います。後は、自分が病気だと認識することなのではと思います。 後、森田療法の言っている言葉は「あるがままに生きるでは」?無かったでしょうか?
- atti1228
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あぁ、一緒か、失礼いたしました。そうね、ふたつの自分があってひとつが無駄な自分でもうひとつがありのままの自分。
無駄な努力をしてるんじゃなくもがいてるんじゃないかな。 神経症が治るのも不眠症が治るのも 神経症でも不眠症でもなくなるってことかな。 あるがままは自分に無理なく素直に受け入れる。 受け入れられたらあるがままの自分になれる。 ちょっと違うか(照)
- atti1228
- ベストアンサー率15% (111/711)
とりつくろとする自分に気づき、真の自分にもどるということ。無理しているから神経症になる。たとえば、プライドがたかい。いい子ぶる。強がる。知ったかぶりをする。ブランド物を自慢する。かっこいい彼氏のじまん。人より出来る人間であるという誇張。 俺にとっちゃどうでもいいことばかり。
- etranger-t
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ANo.2です。なかなか興味深い回答が寄せられましたので追記します。 神経症による無駄な抵抗。この時点で、感情をはありのままではなく、そのままにもしていません。しかし、その無駄な抵抗をしてしまう自分をありのままに受け入れる。実に興味深いですね。 個人的には、多くの神経症者は、この境地にも踏み込んでいると思います。何故踏み込んでしまうのかと言えば、苦しみぬいた挙句にそこに救いがあると思ってしまうからでしょう。悪魔の囁きの救いが。 では、無駄な抵抗をしてしまう自分をありのままに受け入れることが神経症の特効薬になり得るかと言えば、なり得ないでしょう。何故なら、無駄な抵抗をした時点で、「はからい」をしてしまっているからです。「はからい」は、どのようにしても無駄な抵抗に過ぎません。 当然のことながら、自分にとっては苦痛でしかない湧き出た感情に対して、ありのままにするのは苦痛を伴います。が、それに抵抗すれば「はからう」ことになってしまいます。どっちに行っても逃げ場のない袋小路であり、やはり自分は、どのようにしても救われないのだと、そこで実感します。この救われないという境地に達した時に、救われない自分が存在していることに気付き、それ自体が既に救われているのだと思います。 つまり、神経症者が最後に行き着く場所は、「救われないことに気付くことに勝る救いはない」という究極の悟りのような境地までいくしかないのではないでしょうか。 従って、神経症を治そうとすること自体もはからっていることに他ならず、神経症とは、人生を共に生きていくものだと思います。 何故なら、神経症=神経質 なのですから。
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2111)
自分の経験上、森田療法の「あるがまま」が、難しいのですが、「あるがまま」とはたぶん「寝れない自分」「あがり症の自分」をそのまま受け入れることだと思います。その時にどうしてそれが難しいかというと、寝れない自分、あがり症の自分ではダメだという思いがどうしても生じてしまいます。 知人にそれを言うと、そういう自分、「寝れない自分」「あがり症の自分」でいいんだと認めることだとやはり言われますが、最近気づいたのは、「こんな自分ではダメだ」と思ってしまうのが、「ありのままの自分」だとしたら、そのために寝ようと無駄な抵抗をする自分、あがらなくなろうと無駄な抵抗をしてしまう自分を、ありのままに受け入れる、つまり「そういう無駄な抵抗はやめなさい」ではなく、「どうしてもダメな自分をなんとかしようとしようともがいて、無駄な抵抗をしてしまう」自分さえもそのまま受け入れることが本当の「ありのままに戻る」ということかもしれないと思ったら、精神の逆説性とか、矛盾のほどき方を少し学んだ気がしました。
お礼
>寝れない自分、あがり症の自分ではダメだという思いがどうしても生じてしまいます。 症状が自分の意思で直せると思っているからだと思います、症状は本人の意思では直らないと 悟らないからだと思います 対人恐怖症の人が大胆な人間になりたい、人前で雄弁にしゃべりたいと思うのでしょうが 50、60年生きてきましたが、気の弱い人が気が強く大胆かつ雄弁になった人は見たことが有りません。事実を事実として認めた場合、社会生活がなんとか出来る段階にくるのだと思います。 有難うございました。
- yazawa19690410
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神経症者は、なぜ無駄な抵抗をするのか。というものはどのような考えですか?? 私は記憶力に問題があるみたいです。単刀直入に記憶がスルーしない(消えない) という事で数年前から苦しんでいます。あなたはこの苦しみを理解出来ますが?? 今、40を超えましたが中・高校生時代に言われたことが、その人の顔を見た瞬間 ページをめくったようにフラッシュバックします。 上司のパワーハラスメントを4年間もの間、耐え記憶が消えず苦しんでいます。 これを、あるがままというのはどうかと思いませんか?? 私はあるがまま平穏な生活が送れるなら、その方法を伝授して頂きたいです。 如何ですか??
お礼
私は質問文、意外持ち合わせておりません。。 神経症に勝とうとすれがするほど苦悶が増すばかりだと思いますが 雨は上から下に落ちますが神経症者はその逆を遣ろうとして苦悶しています 事実唯真、事実だけが真実だという事です。 有難うございました。
- etranger-t
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かつて森田療法で入所(入院)した経験のある者です。 まさしく質問者様の仰る通りで、神経症を治そうとするのは無駄な抵抗に過ぎません。質問者様なら重々ご承知のことだと思いますが、人間の感情は思ったことと逆の感情が芽生えてきます。これは、どうにもならいことで、ある物を見てはいけないと言われると見たくなる思考が芽生えます。絶対に見てはいけないと言われると更に見たくなります。つまり、行動は自分の意思で変えることは出来ますが、感情は自分の意思ではどうにもならないということです。 ですから、寝たい、あがらないようにと思えば思うほど泥沼にはまってしまうだけですので、感情をそのままにしおておく、あるがままにしておく、という究極の方法が森田療法であり、結局はそこに行き着いてしまうということです。 従いまして、神経症の人は、その理屈を知らない人が多いので無駄な抵抗をし続けるということです。
無駄な努力だとは思いません。 努力しても報われないことは確かにあると思います。 人間誰しも、努力した処で1000年や2000年生きられる訳ではありません。 しかし、だからといってその人の努力を他人が「無駄な努力だ」などと 言うことは、どうかと思います。 不眠症の人の努力に関してもそうですし、それに限った話でもありません。 また、「不眠症が治るということはいつも快適に寝れるということではない」 と仰っていますが、彼らは別に、 「常に快適に眠る為の努力」をしている訳ではありませんよ。 「眠れるようになる為の努力」をしているんです。 独力で頑張ったり、お医者様と一緒に頑張ったり、薬の力を借りたりして。
お礼
有難うございました。
お礼
有難うございます 同じだと思います atti1228さんの場合は強い人間で有ろうとする無駄な抵抗をやめて 弱い人間だということに気づいた。