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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:創氏の目的は?氏とは何か?)

創氏改名の目的とは?朝鮮人にとっての「氏」の意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 創氏改名の目的や朝鮮人にとっての「氏」の意味について理解できない人も多いかと思います。創氏改名は朝鮮人にとって強制的なものであり、その目的については様々な意見があります。
  • 朝鮮の伝統では、女性は結婚後も実家の姓を使い続けることが一般的でした。しかし、日本では夫婦同姓が一般的であり、夫の姓を名乗ることが求められます。
  • 創氏改名を強制された朝鮮人たちは、自分の身分やアイデンティティを奪われたと感じ、憤慨していました。このような背景から、創氏改名には多くの批判もあります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nacam
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回答No.9

>台湾や満州ではどうだったのか?という疑問も残ります。 ・台湾の創氏の状況はしりませんが、改名は推奨され、日本風に改名した者には「国語家庭」と認定し、優遇するとともに、改名しない者に対しては、物資の供給制限や、教育を受けさせないなどの措置がおかれました。 ・樺太のアイヌの人達に対しても、創氏改名が行われ、朝鮮での創氏改名は、樺太での創氏改名を手本として行われました。 朝鮮総督府より、樺太庁に対して、「参考にしたいので詳細をおしえてほしい」という書類が残っています。 ・北海道アイヌに対しても、創氏改名が行われています。 明治9年7月19日第48号布達による。

kobatetu01
質問者

お礼

珍しい、貴重な情報をありがとうございました。 今回の9件の回答はすべて役に立つ答えだったと、皆さんに感謝しています。 しかしすべてを読んで感じたのは、この件はいろいろの側面があって、それらのすべてが正しいと感じました。 朝鮮人が怒っている理由もわかりましたが、日本人がどう反省したらよいか?解らない、という現実面も解ってきました。 しかしこの回答を読んで、こういう考え方をするともっと良く解ると思いました。 考察の範囲を広めることで、問題が相対化できるということがわかりました。 そういう意味で、一番役に立ちました。 ありがとうございました。

その他の回答 (8)

回答No.8

この問題は、様々な解釈があるので反論もあるかもしれませんが、 私なりの考えで回答します。 長くなりますがご容赦ください。 >「創氏」」の目的(何故そんな無理なことをしたのか?) 当時、朝鮮は日本に併合されていましたが、朝鮮名だと差別されるので 「同じ日本人なのに何故日本名を名乗れないのか」と朝鮮側から意見があり、 当時の南総督が皇紀2600年の節目に合わせて実施しました。 ちなみに、総督府には毎年同様の投書が10通程度は来ていたそうです。 当然、行政の効率化という側面もあります。 このように言うと、「実際は強制されていた」と言われますが、 多くは文定昌の「軍国日本朝鮮強占三十六年史」などから引用される、  ・創氏しない家の子は入学・進学をさせない  ・学校で迫害して子供から親に創氏を訴えさせる  ・創氏しないと役所に採用しないし、現職者はこれから退職させる  ・役場の事務手続きを拒否する  ・反日分子として徴用の対象にする  ・物資配給の対象からはずす  ・鉄道局などで荷物を運搬しない などが行われたと主張されています。 ところが、実際には日本名を名乗る「設定創氏」をしなければ、 現在の姓を氏とする「法定創氏」になるだけなので、 「創氏」を届け出ないと罰せられることはありませんし、 「設定創氏」で日本人風の名前にしたのは8割程度、 「改名」まで行ったのは2割と言われています。 当然、(証言は多いけど)当時の資料に日本人によって 離職や入学拒否を強制された証拠はありませんし、 実態は辞職を強制されるどころか、終戦時まで「設定創氏」すらしない 知事もいました。(慶尚北道の金大羽など) 官報などの資料には憲兵にも普通に朝鮮名が出ています。 「改名」しなかった8割が入学拒否された証拠があれば提示してほしいです。 徴用は「募集」「官斡旋」と違って本人の意思に関係なく強制されたのは 1944年9月以降なので、「創氏」の届け出期間を過ぎています。 このように、これらの説は検証するとほとんどが虚偽なのです。 ちなみに、前述の「~三十六年史」の引用元を検証すると、 かなりの部分が小説からの引用なのだそうです。 また、憲兵は「日本人と朝鮮人が区別しにくくなる」との立場で、 当時の三浦警務局長が会議で反対意見を述べたくらいです。 鬼より怖いとされた憲兵が、2割の改名率で満足するはずはないと思います。 他の地域(台湾や南樺太や南洋諸島など)と比べても朝鮮は優遇されていたので、 戦前の人種差別を考えると、黄色人種としては別格だった日本人になりたいと 考えることも自然ですし、それに答えることは無理な政策ではないと思います。 >どんな気持ちの違いがあるのでしょうか? まず、「氏」と「姓」の違いが理解しにくかったと思います。 「氏」は家族の単位であり、「姓」は(男性の)一族の単位です。 なので、朝鮮における夫婦は現在の「夫婦別姓」というものとは違い、 (言葉は悪いですが)夫の一族に妻が隷属している状態です。 このため女性の地位はとても低く、女性が名前で呼ばれることは殆ど無く 「○○氏の奥さん」「△△君のお母さん」「☆☆さんのおばあちゃん」 などのように呼ばれ、本当の名前が不明な場合がほとんどなのです。 また、朝鮮においては家族制度の三原則として、  ・姓不変  姓は一生変わらない  ・同姓不婚 同族では結婚しない  ・異姓不養 同族でない人は養子にしない があります。これらを守るためにも姓が必要でした。 この伝統を守ろうとする人たちには強い反発があり、 これによって自殺者が出たと思います。 余談ですが、朝鮮では祖先の発祥を表す「本貫」と男系の血統を表す「姓」を 合わせて「姓」とすることもあります。 (狭義の)姓と(広義の)姓(狭義の姓+本貫)は区別が必要です。 李明博大統領の姓は「李」ですが、本貫は「慶州李氏」です。 また、創氏改名で日常では「氏」を使うことになりましたが、戸籍には 「姓及び本貫」を記載する欄があり、実際は継続使用できる状態でした。 >創氏を強制されたことに憤慨して自殺した朝鮮人の話 有名なのは、柳健永と薛鎮永だと思います。 柳健永は、1905年の保護条約に対する義兵運動に参加しており、 創氏改名に反対してアヘンで服毒自殺しました。 その遺言は弟子が編纂した「石田遺稿」に載っています。 (注:石田は柳健永の号で、本人が届け出た氏は柳です) これには、「千年来の古族だが、国が亡んで国王が廃されても死ねなかったが、 氏姓が滅するのはこれまでに無く、無国無君無倫無綱で生きるより死を選ぶ」 のようなことが書かれています。 薛鎮永は1896年の乙未事変の義兵運動に参加し、 やはり創氏改名に反対して井戸に投身自殺しました。 この時「誓不革姓」(姓を変えないことを誓う)と題する遺書を遺したとされます。 (注:この遺書は、即座に警察に押収されたとされるので現存しません) 彼らのような儒生の多くは伝統を死守する思いだったようですが、 彼らには「氏」は創るが「姓」は残ることが理解できなかったようです。 当時の朝鮮に限らず過激な思想はあります。 1896年の乙未改革では髪型(断髪令)が原因で両班が反発して、 首相の金弘集が民衆に撲殺されて、遺体は市内を引きずりまわされています。 伝統を重視して過激な行動を行うことは、昔からかなりの例があります。 自殺した彼らだけが特別ではないと思います。 これも余談ですが、「創氏改名」は歴史上類を見ないと言われますが、 実際には、元に降伏した高麗では、親元政策をとった忠烈王 (元寇を進言したことで知られる第25代高麗王)のために 第26代の忠宣王はイジリブカ(益知礼普花) 第27代の忠粛王はアラトトシリ(阿刺訥失里) 第28代の忠恵王はブダシリ(普塔失里) のモンゴル風の名を持っています。 降服させられた国の名前を持ちたがるのは、昔からなのです。

kobatetu01
質問者

お礼

くわしい情報をありがとうございました。

  • tarohkaja
  • ベストアンサー率29% (66/221)
回答No.7

「氏」 「姓」 「苗字」 の違いは、無理なことを言ってる人もいましたが、 日本では、源朝臣徳川内大臣家康 と言ったときに、源が氏、朝臣が姓、徳川が苗字、内大臣は官名です。 そのことよりも、朝鮮における創氏改名については、誤った教育のせいか、日本が無理を押し付けたと思い込んでいる人がいますが、本当は、朝鮮人が社会的に有利なように日本名をつけたがり、それを総督府が許可した、ということです。 はじめは、満州国に住んだ朝鮮民族が商売やら何やらに、日本人を装うことが有利だと、日本人風の名を名乗ったのです。 それが朝鮮半島にも広まり、統治していた総督府は、当時は同じ日本国籍であるから、日本風の名前を名乗ることを許したのです。 それは全くの本人の自由意思で、朝鮮名のままで士官学校から陸軍大学に進み、朝鮮名で旧帝国陸軍の陸軍大将になった人もいて、朝鮮名であることが公的に不利になったりすることは一切ありませんでしたが、民間の商売などでは朝鮮名でない方が有利なことがあり、(仕事に対する誠実さ、信用度において日本人の方が勝る) 日本名をつけたがったのを許可したのです。 創氏を強制などはありませんし (朝鮮人同士の中ではあったらしい)、憤慨して自殺したなどとは、史実=証拠がある、公式記録があるのか、でっち上げだと思います。

kobatetu01
質問者

お礼

ご協力ありがとうございました。

  • jyuedan
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回答No.6

>家族の呼び方として、それまでの朝鮮の伝統であった「姓」と日本が押し付けようとした「氏」とは、押し付けられた朝鮮人にとって、どんな気持ちの違いがあるのでしょうか? 何故か、これまで朝鮮の「姓」と日本の「氏」の違いも説明せずに、いろいろと ぼくのいけん を語っている回答者様が多いようですね。 朝鮮の「姓」(本貫ともいう)ですが、これは血族の名称で、一族の男系男子のみが継承していくものです。 たとえば、先祖の姓が「金」なら、その男の子、男孫、ひ孫(男)も代々金氏を名乗ります。 一方で、女性にはこれは継承されません。 朝鮮は別姓であるという意見もありますが、それは正しくないと思います。 併合前の朝鮮の男尊女卑は酷いもので、女性には姓どころか名前すらありませんでした。 当時の朝鮮人の一族の系譜(族譜)にも、ただ「女」としか書かれていません。 (族譜は、身分や出自等の対面を重視していた朝鮮人にとっては、とても重要な記録です) これは、身分のある女性でも同様でした。 朝鮮王の妃である、あの閔妃(明成皇后)ですら、未だに名前が明らかになっていません。 元からなかったと言う説すらあります。 (閔妃とは閔氏から来た妃であるという意味でしかありません。) 明治以降の日本の「氏」(名字)ですが、各戸毎に決められているもので、家族単位のものです。 なので、親戚中で氏(名字)が違うのはよくあることです。 (源氏や足利の一族でも、色々な名字がありました。) 朝鮮でだけ悪名高い創氏改名の内の「創氏」の目的ですが、 併合により日本となった朝鮮地方に、日本の戸籍制度を導入し、行政を行いやすくする為です。 一村丸ごと「金」さんだったり、しかも名前のない女性がいるような有様では、個人の把握や国勢調査は不可能です。 これによって、女性にも男性と同じように名前を持てるようになったのも事実です。 >創氏のときに、旧姓をそのまま「氏」としても良い、とされていたらしいのですが、そういう風に創氏した場合、生活上の不便は無い、とも思われます。 以下の理由で、実際に不便はありませんでした。 一部の無知な人が勘違いしていますが、創氏は朝鮮人から「姓」(本貫)を奪ったのではありません。 姓とは別に、新たに氏(名字)を作り、公の場や文書では「氏」(名字)を使うようにしただけです。 結果として、朝鮮人は「姓」と「氏」と「名前」を持つことになったに過ぎません。 (期限を過ぎても、氏の届けを出さなかった者については、姓(本貫)と同じ字を使うことになっていました。) 当時の朝鮮人用の戸籍にも、姓(本貫)を記入する欄がありました。 なので、姓(本貫)を奪ったというのは間違いです。 >創氏を強制されたことに憤慨して自殺した朝鮮人の話もあるようですが、その憤慨の気持ちを誰か説明してもらえないでしょうか? 理解する知能がなかったり、勘違いから極端に走る者はいつの時代でもいるものです。 デノミが行われた国で、手持ちのお金が使えなくなったと勘違いして自殺した人もいました。 (死人は話しませんから、真相はわかりませんが。) そもそも、当時の朝鮮の識字率はかなり低かった為、文書を渡せば用が済む日本のようにはいきません。 (だいたい、当時の日本の識字率が100%近いのは、他の先進国ですらありえない数字です) なので、努力はしていましたが、完全な周知徹底は不可能で、トラブルもそれなりにあった事は仕方が無いと思います。 そもそも、当時の朝鮮人(国籍は日本ですが)は、以上の事を理解していたので創始改名に反対していません。 今の韓国人が騒いでいるのは、韓国政府が行った捏造の反日歴史教育によるものです。 その目的は、日本を悪者にして愛国心を煽ることで自分達の失政の追求を逸らす為です。 その為に、日本は豊かだった朝鮮を侵略して、全てを奪ったと教えています。 しかし、その実態は酷いものでした(動画参照)

kobatetu01
質問者

お礼

いろいろと詳しい情報をありがとうございました。

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1057/1649)
回答No.5

たとえば、逆に日本が朝鮮の支配下におかれて、朝鮮風に改名するよう指導されたら、生活上不便がなくても、また、強制じゃないとしても、非常に強い反発を感じると思います。木村、杉山は朴で、金村、金田は金とか…。やはり、民族の存在そのものが否定される気がして、ものすごく嫌です。 ちなみに、中国・朝鮮や現代の日本では氏と姓は同じものをさします。朝鮮の朴や金も、日本の木村、金田と同じ「氏」であり「姓」です。日本で氏と姓が別々のものだったのは、古代史で習う「八色の姓」が使われていた江戸時代以前で、豊臣秀吉なら「氏」は豊臣、「姓」は朝臣、名は秀吉となります。徳川家康の場合は、「氏」が源、「姓」が朝臣、名は「家康」。徳川は「氏」ではなく「家」の名前で、朝廷から正式に認められたものではないので、公文書などで正式に名乗るときには使わなかったりします。

kobatetu01
質問者

お礼

ご協力ありがとうございました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.4

近代的戸籍制度を確立する為です。李氏朝鮮時代の戸籍は被差別階級の人々は登録されていませんでした。なぜなら被差別階級の人は姓を持っていなかったからです。それでは普通教育もできません。 朝鮮総督府がやったことは、明治政府が成した近代化政策と同じです。日本は明治8年に、平民苗字必称義務令を発しました。これに相当するのが創氏です。それは決して伝統的な姓を否定するものではなくて、並列的に姓も氏も持てるようにしたのです。 ところが説明不足で、創氏の主旨が理解されなかった面も否めません。当時はタウンミーティングなんてことはやりませんから。明治政府がそうだったように朝鮮総督府も拙速だった点は否めません。 日本だって、血税反対一揆、学制反対一揆、解放令反対一揆、地租改正反対一揆の嵐です。明治政府の近代化政策にことごとく反発が起きました。暴動、騒擾事件です。血税反対一揆などは「血を抜かれるらしいぞ!」 といった噂が流れて、そのデマを信じた愚民が暴れたのです。テレビも新聞もネットもない。教えて!gooに「血税って何ですか?」と聞きたくても、聞く相手がいない。 愚民は所詮、こんなもんで、それは朝鮮半島だって、それほどの事情の違いはありません。 行政が強制であり、押し付けであり、義務であるのは当たり前です。自動車は車道の右側でも左側でも好きな方を走ってよいですよというのでは行政にはなりません。それでは交通事故が頻発するだけです。 朝鮮人はやたらめったら、やみくもに焼身自殺をします。嘘だと思うなら、「韓国 焼身自殺」で検索してみてください。 朝鮮総督府が悪かったのは、そういう朝鮮人に対する配慮、理解が足りなかったことだけです。

kobatetu01
質問者

お礼

ご協力ありがとうございました。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

日本の戸籍制度に統一するためでしょう。 日本と日本に併合された朝鮮で、戸籍制度が異なると、役所の処理に混乱をきたすため、まさか日本側を変更するわけにゆかないので、朝鮮側を変更したのでしょう。 朝鮮の民族性を奪うことも目的だったとおもいますし、後々の朝鮮人の徴兵や徴発も視野にいれていたのかもしれません。

kobatetu01
質問者

お礼

>日本の戸籍制度に統一するためでしょう。 という説明はわかりやすいと思いました。 でも台湾や満州ではどうだったのか?という疑問も残ります。 ありがとうございました。

回答No.2

何か勘違いしておられませんか? 日本も江戸時代までは夫婦別姓です また、氏と姓は別物です 氏:豊臣・姓:羽柴・名:秀吉 です (世の中に豊臣秀吉という人はおりません。あの人は羽柴秀吉です。もし豊臣秀吉とするなら源家康にせねばなりません) 明治以降、日本は西洋こそが近代のしるしとして、夫婦同姓と一夫一婦制を行いました。 氏とは出自の事で、藤原・源・平などが氏です。日本でも明治の頭に、姓を廃止して氏で呼ぼうとその政策が実施されましたが、源氏さんと平氏さんばかりになってしまったため、即座に姓が復活しました。 創氏とは、出自の事です。「全羅南道の金」が氏になります。氏をそのまま姓にしても構わないし、日本名を作って改名しても構いません。改名をするにあたって元の氏がはっきりしないと朝鮮人だという誇りが維持できないから創氏が必要となります。

kobatetu01
質問者

お礼

どうもありがとうございました。 でも結局よく解らない状態です。 すみません。

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1
kobatetu01
質問者

お礼

ご協力ありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

恐縮ですが、こういう説明をいろいろ読んだのですが、よく解らないのです。 回答者さんのことばで、説明してもらえないでしょうか?