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自然を見て感動するのと絵画を見て感動するのとどう違いますか?

わたしの友人で非常に絵画が好きな人がいます。 ひまさえあれば、東京中の美術館を見てまわっています。 理由を聞くと、写真ではなく本物の絵を目の前にするととても感動するのだそうです。 一方わたしは、絵画よりも自然の美しい風景が好きです。 絵画を見て感動しますが、自然を目の前にするような癒された気持にはなりません。 好きな絵に対する鑑賞時間もせいぜい5分程度です。 絵画好きの知人は、絵画を見て癒されるのだそうです。 そして長い間絵画の前で過ごすことができるそうです。 つまり癒されているのです。 絵画は人工的なものですが、自然にまさるとも劣らない感動を与えてくれるようです。 それは何なのでしょうか? またその感動は、自然から受けるものと違うもの(異質なもの)なのでしょうか? 絵画の魅力について教えてください。

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回答No.3

絵画を観るのは自然の風景を観るというより 本を読んだり、音楽を聴いたりするのと近いでしょう。 自分が成長すれば違うように見えるし、 画家さんと、ものの見方が近いと何を表現したのか 言葉で説明できるような絵もありますから。 友人は文章の方が得意なので 私のように絵から汲むのは無理だと言いますが、 表面的には静物画でしかなくても、 心の内面を表現したものもありますよね。 「絵画は視覚が大部分」という見方しかできないのなら 癒されるのは無理かもしれません。 本を読むときに「視覚が大部分」なんて思いませんよね。 画集だと感じられませんが、 生で見ると「空気」がありませんか。 泉のように透明なエネルギーが湧き出しているのとか、 逆に虚無の淵へ吸い込まれるようなのとか。 こんな事を言うとなんだか怪しい人みたいですが、 お手軽にいろんな世界が覗けて楽しいですよ。 自然も良いですけど、人間臭いのもいいんじゃないですか。 あまり参考にならないかもしれませんが、 絵を見るのは好きなので、お邪魔しました。

yoshinobu_09
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >絵画を観るのは自然の風景を観るというより本を読んだり、音楽を聴いたりするのと近いでしょう。  深遠な鑑賞方法ですね。  いままでそんな思ったことはなかったです。  どうも鑑賞力や感応力が欠けているようです。  美術館へ行っても他のみなさんもわたしと同様さっさと次の絵に進みますので、そんなに深い鑑賞をしているとは思っていませんでした。  でも「文章を読むように」鑑賞することはできると思います。  これは新しい発見です。  自然の模倣と思ってしまうと底が浅い鑑賞しかできませんが、小説を読む風にと思えば別の風景がみえてくるはずですね。  こんど試してみます。とても参考になりました。  自分に絵の才能がないので、絵にコンプレックスをもっていたのかもしれません。生で向き合うことが大切ですね。 >画集だと感じられませんが、生で見ると「空気」がありませんか。  これは感じます。画布や絵の具のでこぼこもありますし、匂ってくる感覚はします。  水墨画の場合は空気が澄んだように思えるときがあります。

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その他の回答 (3)

  • shocker
  • ベストアンサー率39% (22/56)
回答No.4

皆さんが回答されている様に、絵画も写真も音楽も文学も他のものもすべてアーティストの表現方法の一つだと思います。 自然を捉えているはずの写真もアングルや動きの捉え方でまるでちがって写りますし、絵も同じです。 単純に作品に触れたときに伝わってくるものを感じればいいと思います。 もちろん何も感じないものや、逆に嫌悪感を持つものさえもありますが。 極端に言えば自分の着る服や自分の部屋もその人の表現であったりする訳です。 これだって見る人によって好き嫌いはありますし汚い方がすきだって言う人もいたりしますしね。 たくさんの作品に触れると見方も変わりますし自分の気分でも変わります。 しばらくたって同じ作品を見ると全然感じ方が変わっていたりするので面白いですよね。 なんにしても全て個人的な感じ方ですから、無理に感じようとしなくてもいいのかと思いますが、とにかく数多くのものに触れると良いかとは思います。 つまらない回答ですいません。 少しでも参考になればと思います。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 詩なんかは、最初はさほど感動しなかったのに、鑑賞文や解説を読むことにより、そんな深い意味があったのかと気づかされ、以後愛誦したりするようになったりします。 絵画でもある程度の知識があったほうが深い鑑賞ができるのかと思いました。

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  • kurokawa
  • ベストアンサー率25% (38/147)
回答No.2

 絵や写真などは自然そのものを見て画家や写真家が感じた感動を表現したものです。  逆に言ってしまえば、(それが自然に対してでも、日常的な物の中にでも)作者自身の感動が無ければ本物の絵や写真ではないと思います。  では絵画は自然に劣るのでしょうか?  非常に哲学的な命題だと思います。結構偉い先生の中にも「自然に勝る美は無い」見たいな事をよく言っている人がいます。  あるいは曾遊謙虚な気持ちで素直に感動できるからこそ名画が描けるのかもしれません。  私は絵画にしろ写真にしろ、製作者からのメッセージであると考えて見ています。  彼が何を考え、何を思い、何を伝えるために作品を残したのか?  それは美しい自然や人の生き様に対する感動や喜び、畏敬の念、あるいは怒りや悲しみであったりします。  つまり絵画や写真は風景や被写体を作品にしている様でいて、作者の心を作品にしているのだと私は考えています。  だから、ありのままの自然に対しての感動と絵画への感動はやはり別のもので、どちらが優れているとゆうものではありません。  まあ、偉そうな事を画きましたが、私も全ての絵を見てそんな事を感じられる訳ではなく、自分の感性や人生と作者のそれとが共感できた場合…何でしょうかねぇ?あと、同じ作者でも別の絵だと全然なにも感じない場合もありますし…  絵の良し悪しも分からない未熟者の意見ですが、参考になりましたでしょうか?

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 自然は移ろいゆくものですが、人は感動した一瞬を留めたいと思ったときに絵を描くのかもしれません。 自然はデフォルメされ、それが作者のメッセージとして伝わるものが感動を呼ぶのでしょうか。 自然に対する感動は五感によりますが、絵画の場合は視覚が大部分です。 このへんも大きな違いになっているのだと思います。

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  • borneo
  • ベストアンサー率32% (85/259)
回答No.1

 オスカー・ワイルドは「自然は芸術を模倣する。」と言っています。これは一見逆説的な言い方のように見えます。芸術の方が自然を模倣してるのじゃないのって。ワイルドがいいたいのは、こういうことです。我々人間はたしかに自然を見て感動するが、それを美だと認識させたのはまさしく芸術なのだと。  たとえば、類人猿は自然の美しさに感動するでしょうか?おそらくはしないでしょう。人間だけが、自然を美しいと感じることが出来るのです。すなわち、自然への感動もまた人間の文化なのです。ですから、どのような自然を美しいとするかもまた文化によって変わってきます。  つまり、われわれに「美とはなにか」を問いかけ、語りかけるものが芸術だといえるのではないでしょうか。

yoshinobu_09
質問者

お礼

「自然は芸術を模倣する。」とは含蓄のある言葉ですね。 古代の人は洞窟に絵を残したりしています。 感動したものが湧き上がってきたときに絵画となって表現されたのでしょう。 そしてその絵を見て、自然の美を再認識ということでしょうか。 絵が自然の模倣から始まったのは間違いないでしょう。 感動のエッセンスを絵に込めた作品のみが人を感動させるのかもしれません。

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