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中国三国志の時代の町

横山光輝の三国志が好きで何度か読みましたが疑問があるので教えてください。 当時の町はあの漫画のように全部城壁に囲まれていたのでしょうか? 町と町がすげー遠いのにどうやってたどり着いたのですか?漫画だと広野みたいだけど道は全部あったのでしょうか? 100万とかいう軍勢が出てきますがマジですか?信長とかに比べると桁が嘘くさいです。 死体で長江の流れが止まったとか戦場で血が海になったとかマジすか? 三国志を読んでいたら当時の本当の様子が知りたくなりました。三国志好きな方の考えでも結構です。よろしくお願いします。

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  • TANUHACHI
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回答No.4

 中国の都市は「都城」と呼ばれます。文字どおり「城壁に囲まれた市街」の意味です。これはヨーロッパにもみられ“~burg”等の表記に残されています。たとえば「ザルツブルグ」「ハンブルグ」です。ゲルマン語では「~ブルグ」と読みますが、フランス語では「~ブール」(ストラスブールなど)英語では「~バーグ」となります。  この城壁に囲まれた内側に住んでいた裕福な商工業者者を“Bourgeoisie(ブルジョアジー)”と呼びます。  そして「死体で長江の流れが止まったとか戦場で血が海になったとか」などは文学にみられる誇張表現の一つです。  お読みになった『三国志』は中国明時代の大衆小説『三国志演義』であり、史書としての『三国志』とは異なります。『三国志』は日本史の授業で『魏志倭人伝』の名を耳にした憶えがあるかと存じますが、中国三国時代の魏・呉・蜀の歴史を記した書物のことで、これと漫画は関係もありません。  小説としての『三国志演義』は日本の『義経記』や源平争乱で知られる判官贔屓的な色彩の強い小説として知られ、他に『水滸伝』(山賊や無頼の物語)・『西遊記』(突拍子もない奇想天外な話)・『金瓶梅』(エロ本)などとともに『四大奇書』と呼ばれています。  中国には「白髪三千丈」「万丈の山、千尋の谷」の様に数字を用いることで「物の大きさや長さ」を示す表現技法もあります。日本でも「十重二十重に城を取り囲まれた」などの表現が為されていることと同じです。  とかく「時代小説」を映像化する場合などでは「一般大衆がイメージしているものに合わせる」ことで「歴史としての現状」を矮小化するケースが見られることが殆どです。現在“不評”を買っている『平清盛』も歴史に携わる者の立場からすれば日本史学としての常識を映像にしているだけですので、こうした世評のあり方に違和感を感じざるを得ません。良識ある作品として手塚治虫氏の『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』はありますが、英雄物語はいただけませんね。

Takahito0830
質問者

お礼

わかりますい回答ありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

横山光輝三国志は吉川英治の小説「三国志」をほぼ忠実にマンガ化しています。その吉川英治の三国志は中国の大衆小説「三国志演義」をほぼ忠実に老若男女向けに分かりやすく日本語小説化しています。 で、その三国志演義は中国で明の時代に作られたといわれています。明といっても長うございまして、大体鎌倉時代末期から江戸時代初期にかけてです。日本の戦国時代(室町時代)が明の時代ですね。 それで、三国志がいつ頃の話かというと、ご存知後漢末の時代です。日本の邪馬台国がどこにあるかって話はどこかで聞いたことがあると思いますが、そこで中国の資料として必ず登場するのが「魏志倭人伝」です。この魏志倭人伝の「魏」こそが、あの曹操が建国した魏なのです。つまり、三国志は卑弥呼のちょっと前の話なんです。そう思うと驚きでしょ。 それで、邪馬台国のちょっと前の話がだいたい信長とかそういう時代に小説になっているわけですから、どこまで正確なのかなんてのはもう分かんなくなっているんですね。そりゃそうだ、1000年以上経っているんだもの。当時は今のような考古学もなかったですしね。 ところで、「百万の大軍勢」といっても、その軍勢はメシも食えばウンコもします。かのナポレオンは「軍隊は胃袋で動く」という名言を残していますが、仮に当時一日二食としても、百万の軍勢なら一日あたり二百万食の食糧が必要になるということになります。さらに、もし仮にその百万のうちの5%、5万人が騎馬兵だったとすると、馬も5万頭いることになります。馬は食料である飼葉の他に、寝るときに皮膚を傷めないためのわらと飲料水が必要です。5万頭分のわらと飼葉と水といったらもうそれも大変ですよね。実は、米やパンだけ与えておけばとりあえずどうにかなる人間より、馬の方が飼葉などの世話や用意が大変だったのです。 毎日二百万食だと、1ヶ月で六千万食にもなります。ここで考えなければならないのは、もしそれだけの食事を用意するなら煮炊きする薪もそれだけ必要になるということです。木は切り倒しても中身が乾かないと薪として燃えませんからね。生木はガソリンをかけても点火しないそうです。 というわけで、それなら実際問題、卑弥呼くらいの時代にどの程度なら補給を維持できたか、という「兵站(へいたん)」という分野から推測すると、あの赤壁の戦いのときの曹操軍が二万から三万人くらいだったのではないか、といわれています。一方の孫権軍は三千人くらいだったのではないだろうかといわれていまして、だいぶスケールは落ちますが、曹操軍と孫権軍の戦力比が10対1くらいであったのは間違いないのではないかといわれています。 その赤壁の戦い、マンガや小説ではあの連環の計で船同士が繋がれたところを火計で攻められて曹操軍が敗れた、ということになっていますが、実際は曹操軍の間で疫病が流行りそのため撤退したという説もあります。というかどうもそれが正しいんじゃないかといわれています。なんだかガッカリですね。 ガッカリついでに、もっとガッカリする話があります。先日中国で後漢末のものと見られる馬具が出土しました。後漢末というと、ほぼ三国志の時代です。その馬具には特徴があって、どうもアブミがなかったらしいのです。アブミというのは、姿勢を安定するために足を引っかけるものです。 アブミがないと、馬上で踏ん張れません。槍を振り回したら落馬してしまいます。・・・え?、三国志といったら英雄豪傑同士の華麗なる一騎打ちじゃないですか。もし馬上一騎打ちがないとしたら関羽の活躍はどうなるの?赤兎馬の活躍はどうなるの?って話です。

Takahito0830
質問者

お礼

詳しい回答有難うございます。やっぱり物語なんですね。アブミがないなんて…ガッカリしました。楽しい物語として読めばいいんだろうけど、つい本当の所もあるから期待してしまうんですね。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 【追記】 「城に囲まれた」ということは「領主の権限が及ぶ範囲」という意味です。「権限」とは法や税制や経済活動の基礎的単位となる度量衡など基準を定めることを意味します。

Takahito0830
質問者

お礼

度々回答ありがとうございます。

  • kuroneko3
  • ベストアンサー率42% (250/589)
回答No.3

> 当時の町はあの漫画のように全部城壁に囲まれていたのでしょうか?  そのとおりと言って差し支えないと思います。  日本のように,城壁に囲まれた町が小田原城くらいしかないという国はむしろ稀で,当時は洋の東西を問わず,主要な町は城壁がなければ危険でとても生活できるところではありませんでした。 > 町と町がすげー遠いのにどうやってたどり着いたのですか?漫画だと広野みたいだけど道は全部あったのでしょうか?  どのくらい整備されていたかまでは分かりませんが,道が整備されていなければ広大な漢帝国を支配することは不可能なので,主要な道はそれなりに整備されていたと考えられます。 > 100万とかいう軍勢が出てきますがマジですか?信長とかに比べると桁が嘘くさいです。  100万というのはさすがに誇張でしょうね。実際には曹操軍が多くて20~30万,孫権軍が4万くらい・・・正確には分かりませんが,せいぜいそのくらいの規模だったと聞いています。 > 死体で長江の流れが止まったとか戦場で血が海になったとかマジすか?  中国の戦争は凄まじいものですから,そのくらいのことはあったかも知れません。

Takahito0830
質問者

お礼

回答ありがとうございます。また改めて読んでみます。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

>100万とかいう軍勢が出てきますがマジですか?信長とかに比べると桁が嘘くさいです。 百万もの軍勢に見えた。 >死体で長江の流れが止まったとか戦場で血が海になったとかマジすか? あまりの死傷者の多さに長江の流れもせき止められるでのは?と思われるほどだった。 血だらけの死体がそこここに横たわり、血の海の様に思われた。 まあ、言葉のあや。

Takahito0830
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#161175
noname#161175
回答No.1

今日は。 私は、普段は【恋愛人生相談カテ】にて、お悩み相談への回答に明け暮れております [zephyrs] と言う者です。 どうぞよろしく。 ・・それでは早速回答の方へと参らせて頂きます・・ ではまずは一つ目の疑問について。 これは、結論から言わせて頂ければ・・ 『その通りです。』 と言いますのも、これは何だかんだ言っても歴史上、《一島国》の枠なかで過ごし、敵と言っても同じ【日本人同士】でしかあり得なかった 我々の感覚からは把握しにくいのですが、 実は広く世界史に目を向けて頂ければ、《町全体が城壁で囲まれている》のは【常識】なのですね・・。 勿論それは、《地域時代に関わらず》です。 西洋でも東洋でも、中東でもね(笑)。 ではなぜそこまでに・・ 【町を建設する際には城壁に拘る】 のが世界標準なのかと言いますと・・ これは歴史上、日本列島には出現せず、しかしながら世界標準では当たり前のように存在した脅威・・ つまりは、 【遊牧民族の襲来】 に備えてのこと・・なのです。 遊牧民族と言いますと、古くは始皇帝の時代より中国の北の国境を脅かし、 ・・あの【万里の長城】の原型ともなった長大なる城壁を漢民族たちが築き上げねばならぬ原因ともなりました・・ 【匈奴】 ですとか・・。 また、それと同時代ごろより、あの【古代ローマ帝国】の安全保障を脅かす野蛮的脅威として幾多の猛威を振るいました・・ 【ゲルマン人】 も有名ですし・・・。 もちろん日本人として大変馴染みの深い、鎌倉時代に日本海の荒波を越えて襲来をしました・・ 【モンゴル民族】 ・・も、言わずと知れた強力遊牧民族であります。 このような《遊牧民族の襲来》と言うものは、相手方の《機動力》が普通の農耕民族同士の敵対国家とは比べ物にならぬ位に優れているため、 何の城壁も設けられて無いところに奇襲をかけられてしまうと人も物もあっという間に奪い去られてしまいかねない訳です。 よってそれは、 《農耕による計画経済を生活の基盤とする》文明国家にとっては、それはそれは恐ろしいことだったのですね。 しかも加えて、遊牧民族とはご存知の通り、《一ヶ所に定住》をしませんから、 奪われてしまった人や物を取り返しにいくのも《至難のわざ》だったのですね。 ですので、世界史標準では、たとえ小規模の町であったとしても、どれも例外なく何らかの形の・・ 【城壁によって囲まれている】 ・・のが、《普通》で御座います。 では、二つ目と三つ目の疑問につきましては一纏めにお答えをさせて頂きますが、 そもそも現行で、 『三国志』 として、世界中で発刊されております歴史絵巻物語は、 その正式名称を・・ 『三国志演義』 と言いまして、これは実際に、中国の三国時代の歴史について同時代に記録された・・ 『三国志』 と言う歴史書を元にして千年ほど後の《明王朝》の時代に・・ 【羅貫中】(漢字に自信がありませんが・・) と言う名の、官僚試験に落第してしまったとある知識人の手によって、それまでは記録文体であった歴史書・・ 『三国志』 を、フィクションを交えて物語風に波瀾万丈のストーリーに仕立てあげられたものなのですね・・。 なので、作中に所々登場します《あり得ない表現》につきましては、まあ6~7割位に割引いてお読みになられると、 実体に近づいて来るのではないでしょうかね(笑)。 特に中国人は・・ 『万里の長城は宇宙からでも肉眼で見える』 ・・等と、たとえ嘘でも言うことの《スケールがデカイ》ですからね(笑)。 その様なことも考慮にいれて読まれて頂ければ・・ 『三国志』も、また違った楽しみ方が出来るのではないでしょうか(笑)。 ・・以上でした。

Takahito0830
質問者

お礼

回答有難うございます。物語はすごく面白いので本当かなーと色々知りたかったです。町が城壁に囲まれてたってすごいですね!

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