中国大陸の倭の場所
古い歴史書には倭に関する記述がいくつか出てきます。
倭をあたり前に日本列島と結びつける考え方とは反対に、倭は現在の日本とは異なった、現在の日本からかなり遠い地域の人々や集団をも指すと考える歴史研究家もいるようです。
その立場にたった場合、
『山海経』
「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。
にでてくる倭は、現在の日本(および日本人)とは限らず、遼東半島から朝鮮半島のどこかにも見えます。
ここに出てくる倭は、現在の日本とはまた別の倭と考える人たちによると、どのあたりという説があるのでしょうか?
(のちの加羅(伽耶)地域まで下がることはないと思うんですが)
それから
『論衡』
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
これも周というかなり内陸地域の(現在の中国と比して)小さかった国との関係をみると、倭国から海を渡って周に朝貢していたとは必ずしも言えないと思いますが、ここに出てくる倭はどのあたりと考える説があるでしょうか。
人によっては、長江南部の越人と文化的に近いという説もあると思います。
説は1つではなくて複数あるとおもいますが、どんな説があるかやどんな地域を指しているかなどご存じの方いましたら、よろしくお願いします。