- ベストアンサー
エドワード懺悔王がエドワードI世ではない理由
今さらですが、 アングロサクソン最後の王エドワード懺悔王(証聖王)がエドワードI世ではなく、プランタジネット朝のエドワード長脛王なのは何故? 英国王はエグバートから、あるいはアルフレッド・ザ・グレートから数えると思うのですが・・・。現にエドマンド・アイアンサイドはエドマンドII世として通用しています。 ノルマン・コンクエストの影響があるとはいえ、薔薇戦争後はアングロサクソンやケルトの血が戻ってきたはずです。 また、ウィリアム征服王の頃の戴冠式などのしきたりを今も継承してるのは何か理由があるのでしょうか? 王朝は移り変わっていると思うのですが。 どうかご教授お願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
イングランドの歴史は1066年のノルマン・コンクェストに始まる、とされています。以前は確実な史料が少ないのです。 また、現在の英国王室は先祖を辿っていくと、ウィリアム1世で止まります。英国王室の開祖はウィリアム1世である、と現在の王室、ウィンザー家も認めています。故に、戴冠式のしきたりもノルマン朝のものを継承しているのです。 余談ですが、ウィリアム1世の先祖はヴァイキングの族長ロロです。現英国王室がノルウェー王室と親密なのも、そういう理由があるのかもしれませんね。
その他の回答 (2)
- DieMeute
- ベストアンサー率70% (571/807)
サクソンの王で既にエドワード1世がいたからです。 サクソンの王であるエドワード懺悔王(1042~1066年)より100年以上前に、サクソンの王でエドワード長兄王(899~924年)がおり、この王がエドワード1世になります。書物によっては長兄王とは書かずにエドワード1世としているものもあります。 同じようにエドワード殉教王(975~978年)も書物によってはエドワード2世と書かれています。 ウィリアム征服王については、この王のノルマンの血筋が歴代の王家に継承され現在の英国王室にまで流れており、過去に王朝が交代した事はあっても途切れた事はありません。だからウィリアム征服王が英国王室の開祖と言われます。 歴代の王朝で簡単に説明すると・・・ ウィリアム征服王のノルマン王朝の次はブロワ朝で1人しか王がいませんが、このブロワ朝のスティーヴン王は、ノルマン朝第2代の王ウイリアム2世の孫(ウイリアム2世の娘の子)です。 ブロワ朝の次はプランタジネット朝ですが、その初代の王のヘンリー2世はノルマン朝最後の王ヘンリー1世の孫(ヘンリー1世の娘の子)です。 プランタジネット朝の次はランカスター朝ですが、その王朝を創始したランカスター家というのはプランタジネット朝第7代の王エドワード3世の4男が先祖です。 ランカスター朝の次のヨーク朝のヨーク家も、実はランカスター家と同じくプランタジネット朝第7代の王エドワード3世の、こちらは5男が先祖というお家柄です。 ヨーク朝の次はテューダー朝ですが、その初代のヘンリー7世は母がランカスター家の傍系でした。さらにこの人が迎えた妻はヨーク朝の王の娘で、テューダー朝は以後、ランカスター家とヨーク家の血が合わさる事になります。 テューダー朝の次はステュアート朝ですが、その初代ジェームズ1世はテューダー朝の血を引いています。テューダー朝のヘンリー7世の娘がスコットランドに嫁いでスコットランド王ジェームス5世を産みまして、そのジェームズ5世の子がイングランドの王位を継承しステュアート朝の初代の王ジェームス1世となりました。 ステュアート朝の次はハノーバー朝ですが、ステュアート朝のジェームズ1世の娘がドイツの貴族に嫁いで子を産み、その子がイギリスに来て王位を継ぎジョージ1世として即位しました。 ハノーバー朝の次はウィンザー朝ですが、これはハノーバー朝が家の名前を改称しただけです。 そして現在の英国王室となります。 このように王朝は交代しましたが、ノルマンのウイリアム征服王の血筋が王位継承の重要な要とされ現代にまで連綿と続いております。
お礼
丁寧なご回答感謝します。 >サクソンの王で既にエドワード1世がいたからです。 忘れてました!!(笑) 現在ノルマン・コンクエスト前夜のものを書いてまして…その後日譚に使いたいと…。 ありがとうございました!
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
>英国王はエグバートから、あるいはアルフレッド・ザ・グレートから数えると思うのですが・・・。 これが間違いで、ノルマン朝から続くのが現在の王室です。女系相続のたびに「~朝」の名前が変わっていますが。 今後仮に、アルフレッド王が出ても、アルフレッド2世と呼ばれることは無いでしょう。 何故と言われてもそういう物です。
お礼
お礼が遅くなりました。 ノルマン朝を始祖と見做しているということですね。 >今後仮に、アルフレッド王が出ても、アルフレッド2世と呼ばれることは無い なるほど。 ご回答ありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなりました。 現在ノルマン・コンクエスト前夜のものを書いてまして…その後日譚に使いたいと…。 ウィリアム征服王の血統が続いているから、あるいは彼以降が「英国王室」であるからという訳ですね。納得です。 ご回答ありがとうございます!