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ドイツの 「上からの革命」とは何ですか?
ドイツの 「上からの革命」とは何ですか? レポートで困っています、誰か教えて頂けませんか??
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上からの革命という用語はイギリス・フランスを意識しています。イギリスは清教徒革命と名誉革命、フランスはフランス革命という市民革命によって市民階級が市民権を確立しました。その前にイギリスもフランスも絶対王政の時代があったわけです。王権が拡大するにしたがって市民階級の人権、参政権が侵害されるようになった。王権の横暴に対抗する為に市民階級が立ち上がったのがイギリス・フランスの市民革命の背景です。これらの市民革命が下からの革命とも呼ばれるのです。市民階級が誰からの命令に従ったわけでもなく、自立的・主体的に判断し、主導的に行動した結果が市民革命なのです。それらの革命は絶対王政の王権が望んだわけではないし、主導したわけではないのです。だから下からの革命です。 ではドイツはどうだったでしょうか。ドイツには絶対王政も確立されませんでしたし、市民階級も育たず市民革命が起こらなかった。ドイツは元は神聖ローマ帝国です。神聖ローマ帝国とは何か。領主貴族が農奴支配を恒久化する為の、領主貴族の互助会です。神聖ローマ皇帝は、領主貴族の頭目だったのに過ぎません。領主貴族のビジネスモデルは農奴を生かさず殺さず、領地を耕作させて搾取することだけでした。そうした中世的な封建制度が神聖ローマ帝国で温存されていました。神聖ローマ皇帝の役割は、領主貴族の領地と領民を安堵することだけです。領地争いが拡大しないように、争いの芽をつむことだけです。ドイツでは市民階級が育たなかったが、神聖ローマ帝国では市民階級が育ちました。ただし神聖ローマ帝国で育った市民階級は、神聖ローマ帝国からオランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・イタリアなどといった具合に独立していって神聖ローマ帝国には残りませんでした。 それは何故か。市民階級とは、商人・工人・技術者・科学者・芸能人・文化人・医者・音楽家・詩人・自立的農民といった階層です。彼らは領主貴族の領地を必要としないで生計が建てられます。領主貴族の世話にはならないのだから、領主貴族の支配を受ける道理もないわけです。そうした市民階級は神聖ローマ皇帝をありがたがる理由も無かった。自分たちのことは自分たちでやりますから、はいさようなら。 つまりドイツとは、神聖ローマ帝国から市民階級が離脱した後の残りカスです。残された領主貴族と農奴だけの国がドイツなのです。市民階級が居ないのだから、市民革命が起きる道理もありません。神聖ローマ帝国の滅亡は1806年ということになっていると思うのですが、1806年に何があったのか。時の神聖ローマ皇帝であるフランツ2世が神聖ローマ皇帝の称号を返上しただけです。そこに至るにはフランスでフランス革命が起きて、革命後の混乱をナポレオンが収拾し、ナポレオンが皇帝に就任したことがあります。ナポレオンが勢力を拡大したことによって、それまで名目的ながらも神聖ローマ皇帝に臣従していた領主貴族が、主君を切り替えてナポレオンに臣従することになってしまったのです。領主貴族にすれば領地を安堵してくれる主君なら誰でもいいのです。ナポレオンを押さえ込めない神聖ローマ皇帝など担いでいても何の意味もない。家臣がいなくなっては主君を名乗っても意味がない。それがフランツ2世が退位した理由です。神聖ローマ皇帝は既に国としての実態など何も無かったが、フランツ2世の退位によって名目として存在も失ってしまった。それが神聖ローマ帝国の滅亡なのです。神聖ローマ皇帝の元に集っていた領主貴族がばらばらになってしまった。そのナポレオンも失脚してドイツは分裂状態になります。プロイセン王国が台頭し、普墺戦争・普仏戦争などを勝ち抜いて、ドイツ統一を主導して1871年にドイツ帝国が成立します。 そろそろ本題に戻りますか。ドイツの 「上からの革命」とは何ですか?それは質問者さんの課題です。何を持って革命とみなすのか。そこに答えはありません。それは個人の歴史観の問題だからです。それを他人に任せてはレポートを書く意味など全くない。
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- ithi
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gakuinn さん、こんばんわ。 「上からの革命」とはフランスやイギリスのような市民革命のようなものではなく、改革派の政治家が政権を握り、今までの既得権勢力を排除、または懐柔し、社会を改革するというようなところでしょうか?ある意味では日本の明治維新に似ているt頃がありますね。