民族・国家・宗教etc,,,は、非常に恣意的で不合理なモノです。
その時代、地域によって複雑に入り組んだ人と人との感情が入り乱れた結果生まれた「差別」。
よって、その時々に民族なんてのは変わります。
例えば、ヒトラーは「アーリア人のみが優れた血統だ」という「アーリア主義」なんてのを掲げました。
しかし、「アーリア人=今のドイツ人」なんて根拠はどこにもない。
むしろ、考古学や人類学などでは否定される証拠のが多い。
でも、ヒトラーのアーリア主義は多くのドイツ人を魅了しました。
それは何故かといえば、ヒトラーがそう国民を教育したからです。(あるいは、そう信じないもには不利益をもたらす。つまり脅しで反対意見を抑えつける)
※アーリア人(=白人)という意味で、現ヨーロッパ人の共通の祖先だと設定されたもの。
そして、ドイツ人のみが最も純血なアーリア人だと主張したのがヒトラーです
そもそも、民族という言葉の定義も曖昧なものです。
ざっくり大きく分けても次のように定義つけることができます。
・文化・風習などを共有する団体(ethnic group)
同種の文化・風習・伝統などを共有する集団。
必ずしも統一された政治的公的共同体を形成する必要はない。
また、多くの場合はあまり意識されることはない。
ただ、別の文化・風習・伝統などを共有する集団を目の当たりにした時に、意識上に現れてくる。
世界の地域を区別する時に、よく指標として用いられる(アジア(東南アジア・東アジアなど下層分類もできる)・ヨーロッパ・北米etc,,,)
・政治的血縁的共同体意識(nation)
こちらは、上記とは逆に自らが属する国家・宗教・血縁関係などが強く意識され共有された集団。
そこには、自分たちの属する集団以外を排斥したり蔑視したりしようという意識がある。
古代ギリシアなんかでは、自分たち以外をバルバロイと呼び区別したし、中国でも「夷狄」という考えはあった。
また、宗教の違いから民族の違いを意識する場合も多々ある。
ヨーロッパでのユダヤ・キリスト・イスラム教の関係や、インドのヒンドゥー教と仏教の関係、日本の仏教と神道の関係なども、民族問題といえる。
さらに、近代以降に国民国家という意識が芽生えてくると、「国民=同一民族」でなければならないといったような極端で偏狭な思想なども現れる。
得てして、歴史が物語れる時は後者の意味合いが強いことが多い用に思います。
つまり、誰かが都合よく「ethnic group」的なものを印象操作し「nation」をつくる。
もちろん、「誰か」というのは独裁者であることもあれば、特定の人物ではなく、社会全体の意思だったりします。
つまり、「民族(とくにnation)」は、恣意的なモノなので、その裏側に隠された意図を読み解くことが必要になります。
満州族で言えば、昔の史料に出てくる女真族の末裔ではないかと言われています。
しかし、それを証明することは非常に困難です。
というのも、歴史というのは散逸的に残る歴史史料(多くは文字史料、たまに物)を分析して作られる物語です。
物語である以上、誰かがなんらかの意図を持って語っているわけです。
つまり、本当に当時3億人の人口がいて、為政者はその1%にしか満たない満州族が牛耳っていたのか、(遺伝子的には同じでも)一部のエリート層が他人を差別するために「満州族」をでっち上げたのかは分からないでしょうね。
※遺伝子分析でも使えば解析できるかもしれませんが、現段階では「民族差別につながる」という理由でタブー視されていますし。
でわでわ、参考になれば幸いです。
お礼
わかりやすい長文のご回答、大変ありがとうございまいた。