• ベストアンサー

(再び)古代朝鮮族が文化・姓名を捨てた理由???

前回の質問 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1720947 に対して、興味深い回答を頂きました。 『朝鮮族だけが、民族独自の名前を捨てて、中国風の名前に自主的に改名したのです。 中国文明が卓越していたのは事実ですが、朝鮮族を除く中国に隣接した諸民族は、民族独自の名前を維持していました。 朝鮮の自主的な改名を考えるには、同じ地続きである満洲やベトナム、モンゴル、ウィグル、チベットと比較して、どうかと考えるべきです。 ベトナム人は、19世紀までは漢字を使い、世界史に出てくるグェン朝は阮朝ですし、レ朝は黎朝と書きました。中国風に見えますが、ベトナム語は中国語と同族であり、実はベトナムのオリジナルです。 満州族は、中国に入って、清朝を建国してから、だんだん中国に同化されていきましたが、名前は民族独自の名前を使っていました。ラスト・エンペラーの本名は愛新覚羅溥儀です。 モンゴルの南半分は、内モンゴルとして、ウィグルは新疆ウィグル自治区として、チベットはチベット自治区や青海省として中国に併合されましたが、モンゴル族も、ウィグル族も、チベット族も、民族独自の名前を維持しています。 結局、朝鮮族だけが、民族独自の名前を捨てて、中国風の名前に自主的に改名したのです。 小室直樹氏は、朝鮮族の民族性には、事大主義が組みこまれていると言っていますが、それが当たっているような気がします。』 中国に隣接した諸民族の中で、独自の文化を捨てたのは朝鮮族だけです。朝鮮族だけが、強制されたワケでもないのに、簡単に伝統の姓名を捨った。これはアジア民族の中でも、例外的な行為です。 なぜ朝鮮族だけが、こんなにアッサリと独自の文化を捨て去ることができたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.6

質問に引用された回答を書いた者です。 朝鮮半島の特殊性を強調する回答がありましたが、中国に組み込まれながらも、同化に抵抗し、独自の名前を保った民族はざらにいますよ。例えば、ロロ族とか、チュワン族などの、雲南省や貴州省の少数民族です。少数民族と言っても、何千万人もいますけどね。青海省のチベット族も、同化されないように頑張っています。 ベトナムは漢代から、中国に組み込まれては、撃退するということを繰り返しています。中国の直接支配下に置かれた期間は、ベトナムの方が長いですが、12世紀には字喃という文字を作り出しています。 ベトナム人は、元は揚子江のあたりにいた越と呼ばれた民族であり、漢族と同系統なので、ベトナム語は広東語とよく似ていますが、漢族に対する対抗心は伝統的に非常に強いです。 こうして見てくると、小中華を自慢にしていた朝鮮族は、他の中国周辺の民族とは違うなと思います。

energyflow2005
質問者

お礼

毎回、重要な情報をありがとうございます。 朝鮮半島のように中国に組み込まれながらも、同化に抵抗し、独自の名前を保った民族はざらにいるのですか。 モンゴル族や女真族などもそうですよね。 「なぜ朝鮮族だけが簡単に文化を捨て去ったのか?」は、簡単に答えが出るような問題ではないのですね。 また原因がわかれば教えて下さい。 よろしくお願いします。 ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.5

元質問でも回答しましたが、歴史的な事情によるものと、地政学的な 理由の二点が考えられます。 歴史的な事情として、まずは新羅による韓半島統一が成されたということ ですね。 新羅王家は、統一前から一字姓になっていました。 一方、同時代の高句麗などは、民族独自の姓名を使っていたようです。 もし新羅でなく、高句麗か百済が韓半島統一を成していたら、別の文化 をもった歴史になったという可能性もあります。 次に地政学的理由ですが、別の方の回答にあるように、朝鮮半島の一部が 中国に直接組み込まれた時代もあったことは、大きな理由でしょう。 そしてNo.3の方の回答にあるように、いったん中国文明に組み込まれて しまうと、自らが文明人であることを証明するために、中国化が加速 されることは、やむをえない現象かと思います。 地続きで超大国と接しているという感覚(危機感)は、海という天然の 要害で守られた日本とは、相当違っていると思います。 (もっとも、後の李氏朝鮮の時代になると、安全保障を完全に中国依存  した結果、安全保障の危機感が鈍ってしまうのですが。  アメリカに安全保障を依存している今の日本と、どこか似ているような  気がしてなりません)

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.4

「姓を名乗った」という一点にしぼれば、倭国時代の日本も少なくとも王族は、対中国では1字の姓を名乗った形跡があります。つまり倭というのが姓で、倭讚とか倭武とかなのったという話です。一説には壹与というのも壹は倭とおなじで、つまり姓ではないのか、という考えもあるようです。ただこれは王族だけですが。同様の例は高句麗の高、百済の余(扶余という別の国名から)などの王族の姓があります。 さて、朝鮮の場合。そもそも帯方郡などの存在からも何度か中国の直接統治下におかれています。また、事実ではないでしょうが箕氏朝鮮のように、中国の民族による建国伝説もあります。これは辰韓が同様に秦の遺民による建国、という説があるのと同様です。つまり、もともと中国から移ってきた人々がかなりの割合で存在するのが事実だということ。 次に冊封関係。何度も中国王朝に屈従を強いられていますので、そのなかで「独自性を保つ」という勢力と、むしろ「中国の傘下の国として積極的に生き延びる」の国内意見が揺れるのは避けられないわけです。 ベトナムやモンゴル、ウイグルとの比較は多分不適当でしょう。漢の時代にこれらのうち中国の支配下にあったた地域はありません。(ベトナムとは戦争していますが(馬援)、結局完全な支配はできなかったようです。)しかし朝鮮は少なくともその一部が帯方郡や楽浪郡など中国の支配下の郡であるわけです。これは属国ではなく本国の一部扱いですから。 事大主義は別に朝鮮民族の独自性ではありません。大国の支配下にある属国は、文化伝統を捨てていくのは、今の日本がまさにそうでしょう。姓名はともかく、日本語の発音やイントネーションも含め、かなり英語的になっています。姓と名前だけに注目して事大主義というのは不当でしょう。音楽も言語の構造も、室町期からずっと続いてきた庶民の生活スタイルもすべて捨て去っている(網野善彦さんの研究などを参照)日本もまた、姓と名を変えていないだけのアメリカ文化づけ、自国文化の死滅をまさに経験中なのですから。 つまり事大主義のスタイルの違いだけだと思います。

energyflow2005
質問者

補足

> 姓と名前だけに注目するのは不当 説明が不十分なので補足します。 新羅統一後の朝鮮族はほとんどの伝統文化を捨てました。 まず公用語を中国語に指定し、宮中では中国語を話していました。 そして、官発行の書物はすべて漢文体で書かれています。 そして古代朝鮮語で書かれた書物を焼き捨てました。 従って、朝鮮族には民族の古典がありません。 そして、政治体制に中国の科挙をそのままコピーしました。 つまり「小中華(小さい中国)」になろうとしたのです。 今の日本に例えるならば、 1、日本国民全員が「Bush(ブッシュ)」や「Clinton(クリントン)」などに改名。 2、公用語を英語に指定。 3、政府の発行物はすべて英語で書く。 4、以前に日本語で書かれた書物を焼き捨てる。 5、政治体制を大統領制に変更。 6、日本を否定し、アメリカになろうとする。 ということを行ったのです。 従って、朝鮮族には民族古典がありません。 日本にはカナで書かれた民族の古典「万葉集」「古事記(フルコトノフミ)」「古今和歌集」「源氏物語」「土佐日記」などの次々に生み出していったのに対して、 韓国人は民族のオリジナルの古典を焼き捨てることを選んだのです。 韓国が認める最古の古典は「三国史記」であり、まとめられたのは、古事記に比べてはるかに遅い12世紀です。 もちろん三国史記は漢文体で書かれています。 訓民正音(ハングル)が官製されたのは15世紀です。 また朝鮮族は中国の科挙という政治体制をそのままコピーしたのに対して 日本は幕府と諸藩による幕藩体制という地方分権制の独特の政治体制を生み出しています。 > 日本語の発音やイントネーションも含め、かなり英語的になっています。 「発音が英語的になる」ことと、「日本語を捨てて公用語を英語に指定する」ことは大きく違います。 「朝鮮族は朝鮮語を捨てて、中国語を公用語に指定する」ことを選んだのです。 > 倭国時代の王族は対中国では1字の姓を名乗った 対中国用に一時的に一字姓を名乗ることと 朝鮮族の支配層(その後は韓国人全員)が中国風の一字姓を名乗ることは、意味合いが全く違うことは、 詳しい説明をしなくても、理解できますよね? これは現在の日本人が伝統の「田中」や「佐藤」の姓を名乗っていることが証明しています。 > ベトナムやモンゴル、ウイグルとの比較は多分不適当 すでにNo.6の方が指摘していますが、 ベトナム人は、元々はは揚子江のあたりにいた越と呼ばれた民族です。ベトナムは漢代から、中国に組み込まれては、撃退するということを繰り返しています。歴史的に見て、ベトナムの方が中国の直接支配下に置かれた期間は長いですが、12世紀には字喃という文字を作り出しています。 > 大国の支配下にある属国は文化伝統を捨てていくのは今の日本がまさにそう > 姓と名を変えていないだけのアメリカ文化づけ、自国文化の死滅をまさに経験中 あなたは本当にそう思っているのですか? 私には信じられません。 その根拠を示してほしいものです。

回答No.3

「創氏改名」は新羅に始まると思われます。 高句麗・百済に圧迫されていた新羅が唐の援助を受け、高句麗・百済を滅ぼして韓半島を統一したわけですが、その時の王の名が金春秋(太宗武烈王)、すでに一字姓です。 四世紀に新羅から日本に招かれた医師の名は金波鎮漢記武、まだ一字姓ではないようです。 また唐・新羅連合に敗れて日本に亡命してきた百済人が鬼室集斯、憶礼福留など、一字姓ではありません。 新羅による統一により半島全体に一字姓を強要した、というのがいい線だと思います。  新羅が唐の歓心を買うため?あるいは大文明国の一員であることを半島統一の名分にしたかったため?に唐風の名をつけたのではないでしょうか。もともとは止むに止まれぬ事情だったのかもしれません。  但し、新羅も完全に唐に隷属してしまったということではなく、侵略されることは巧みにかわしていたようです。  中華思想では中華文明以外の独自の文化を有するものはすべて野蛮人扱いですから、一旦中華思想(儒教)にかぶれればどんどん尖鋭化していくのも想像に難くないことです。わが国にもその例を窺うことができます。 彼ら(韓国人)は「野蛮人」には決してなりたくなかったのです。彼らにしてみれば、中華文明唯一の「文字」である漢字以外の「文字」は認められなかったのでしょう。のちにハングルを創ったものの、知識階級は「女文字・こども文字」などと蔑み決して使用しなかったのもそのためです。  以後、韓半島は儒教思想の海にどっぷりと浸かってゆきます。そのことが現在の民族性に多大な影響を及ぼしているような気がします。    事大主義というのは李氏朝鮮の代名詞でもありますが、現在の「韓国の国民性」とまで言い切るのはどうか、と思います。  ハングル(訓民正音)は官製なので「成立」というよりも「制定」であり、仮名とはその点で異なるものです。

energyflow2005
質問者

お礼

ありがとうございます。 ハングル(訓民正音)は仮名のように国民の中から自然発生的に生まれた文字とは違い、 官製ですので、上から「制定」された文字なんですね。 中華思想(儒教)にかぶれればどんどん尖鋭化していくのは理解できますが、なぜ朝鮮族だけが自国の文化を捨て去れまでに、中国化したのでしょうか?

  • Sombart
  • ベストアンサー率16% (45/267)
回答No.2

 No.1 の回答が何か勘違いしているようなので、是正しましょう。  独自文化としてハングルを持ち出す時点で、もう勘違い以外の何者でもありません。訓民生音という別名を知っているとは思えない発言です。結論として、この人の思い込んでいる「前提」の方が間違っているということです。  本論に戻ると、事大主義という国民性が、直接的な回答だと、私も考えています。  ただ、なぜ韓半島の人間だけが事大主義をそれほど強固に持ったのかという点については、説得力のある解を私は持っていません。  たまたまなのかもしれません。

energyflow2005
質問者

お礼

是正をありがとうございます。 私が是正したかったことを代わりに述べて頂きました。 やはり朝鮮族の事大主義という国民性が、直接的な回答ですか。 今の韓国の態度 1、アメリカから離れて中国に寄っている 2、東アジアのバランサーをノムヒョンが公言した などからも、朝鮮族の事大主義は受け継がれているように感じます。 ありがとうございました。

回答No.1

そもそも、 >中国に隣接した諸民族の中で、 >独自の文化を捨てたのは朝鮮族だけです。 というのが、あやしい話ですね。 たとえば、ハングルってなにか知ってますか? 「五郎」とかいう名前って中国風って知ってる? 前提が間違った質問してたって意味ないですよ。 それとも本当は質問じゃないのかな?

energyflow2005
質問者

補足

説明が不十分なので補足させて頂きます。 古代においての朝鮮半島からの渡来人の名前は「画部因斬羅我」や「医博士奈率王有僚陀」など長い姓名を名乗る文化がありました。 しかし、6~7世紀にかけて中国風の「李」「金」「朴」などの一字姓に変わっています。 韓国の伝統ある姓を捨てて、中国化したのです。 姓名を変えるということは、古くからあるオリジナルの文化を捨てることです。 今でいうならば、日本人が「田中」や「佐藤」を捨てて、「Bush(ブッシュ)」や「Clinton(クリントン)」に変えるということです。 当時の朝鮮族はなぜ独自の文化を捨ててまで、中国化したのでしょうか? ハングルの成立は15世紀です。 「かな」の成立は8世紀です。 日本人が「かな」を成立させてから、700年後に韓国人はハングルを作りました。 しかも、日韓併合まで韓国ではハングルを読めない人がほとんどでした。 更に、当時はハングルとう名称で読んでいませんでした。 ハングルを何とう名将で読んでいたか書くのは控えさせていただきます。 > 「五郎」とかいう名前って中国風って知ってる? 「五郎」とかいう名前が中国風というのと、伝統文化の姓名を捨てて、中国化するのは決定的に違います。 繰り返しますが、「田中」や「佐藤」を伝統姓名を捨てて、「Bush(ブッシュ)」や「Clinton(クリントン)」に変えるということです。 例えば、森鴎外の娘が「杏奴(あんぬ)」「茉莉(まり)」などのフランス風の名前を名乗っても、 それは日本の伝統姓名を名乗る文化を捨てたことではありません。 私は真剣に質問しています。 なぜ6~7世紀の古代朝鮮族だけが古くからあるオリジナルの文化を捨てて、中国化した姓名を名乗ったのか知りたいのです。

関連するQ&A