若い頃、多分あなたと同じような感覚で。
時代背景、戦後の教育方針、から、仕方のないこと。
とも言えるでしょうが。西洋思想に知恵、哲学、を求め読書をした時期がありました。
後に悔やんだ事は。
ヤスパースだったかの、「哲学入門」という本に、哲学書の紹介、があり。
最後に、東洋には質、量、共に注目するような書はない。と書いてあり。
私はむそれを真にうけていたのです。
後に、東洋思想、釈迦や老子、に接したとき。
話しが、まるで逆だ。西洋思想は、2500年前の、インドや中国のレベルにも、全く到達していない。
と思ったものです。
西洋の思想書を網羅するような書はあるかも知れませんが。東洋、となると。焚書坑儒、で
始皇帝が、燃やさせた、(中国人の話しは大げさ?としても。山と積まれた書籍が一ヶ月間燃え続けたと言われる)書の数だけでも、全西洋の書の数より多かったのではないでしょうか。
また、敦厚の洞窟から発見された、書籍でも、敦厚学、が成立する。と言われていたようです。
インドや中国は、文字を手に入れてからの、期間、携わった人口、が西洋とは比較にならないのです。
思想や心の機微などは、古代中国だけで出尽くしている。とも言われます。
今後、西洋人が、新しい思想、考え方などを唱えても。東洋には、とっくにあるもの、となるはずです。
数学と数学を知恵の代役とする物理科学には別の意味もありまかすが。
思想そのものが。思惑、偏見、であり。偏見の入らない解説書、などはないのでは?
参考にはならないかもの、私の偏見です。、
お礼
回答ありがとうございます。 哲学書って堅苦しいものばかりだと思っていました。小説仕立てのものがあるんですね… 読んでみようと思います! ありがとうございました。