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無情と非人情

漱石の、確か草枕に出てくると存じますが。 非人情をどのように理解したらいいでしょうか? 無情とか無人情とはどのようにちがうのでしょうか?

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  • ukoygwonim
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回答No.1

【非人情】 1 他人に対する思いやりに欠けること。冷淡で人情がないこと。  また、そのさま。「―な(の)人」 2 義理人情の世界から超越して、それにわずらわされないこと。  また、そのさま。夏目漱石が「草枕」で説いた境地。  「―の天地に逍遥したいからの願(ねがい)」〈漱石・草枕〉 【無情】 1 いつくしむ心がないこと。思いやりのないこと。  また、そのさま。「―な(の)雨」「―に突き放す」 2 仏語。精神や感情などの心の働きのないこと。  また、そのもの。草木・瓦石・国土など。非情。  「―の木石」「―成仏」→有情(うじょう) 【非情】 1 人間らしい感情をもたないこと。感情に左右されないこと。  また、そのさま。「―な仕打ち」 2 仏語。草木土石など、感情のないもの。→有情(うじょう) 微妙な違いですが、無情や非情は仏語で「人間以外」の意味があるようです。 【非人情】2の「感情を交えない客観性」「些事に振り回されない距離感」 というような事ではないかと思います。…違ってたらごめんなさい!

noname#187717
質問者

お礼

有り難う御座いました。 非、無、不という語の使い方も含めて今後も勉強しなければと、60年来の疑問でしたが、ファイルの整理をしていてまた整理が付かなくて質問させていただきました。

noname#187717
質問者

補足

有り難う御座います。 たいへん難しいご説明です。 一読二読、三読、数度読。 やはり直接謦咳に接してお教えを受けないとストンとこの凡俗の脳みそは受け取り血肉とし難い(がたい)、辞書的なご論文です。 ますます辛くなります。 不人情、非人情、無人情、有情、無情、非情、タットヴァなど形は似ていますね。

その他の回答 (1)

回答No.2

No1の回答者で十分だと思いますけれども、草枕を読めば、非人情を●△◇に置き換えても、なにを言いたいのかはわかりませんか。 『世間的の人情を鼓舞するようなもの』はイヤだといってます。 無情とか無人情は、鼓舞しない・強調しないというのではなくて、逆方向に強い態度や姿勢を意味する用語として聞こえるので、『俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ち』とは遠いと思って、{非人情}(人情や情念をことさらに強調するものには非ず)という言葉を使っているのではないですか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「草枕の抜粋」http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。  うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。  二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも●△◇(非人情)の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。  もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、●△◇(非人情)はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。

noname#187717
質問者

お礼

有り難う御座いました。 非、無、不という語の使い方も含めて今後も勉強しなければと、60年来の疑問でしたが、ファイルの整理をしていてまた整理が付かなくて質問させていただきました。

noname#187717
質問者

補足

有り難う御座います。 たいへん難しいご説明です。 一読二読、三読、数度読。 やはり直接謦咳に接してお教えを受けないとストンとこの凡俗の脳みそは受け取り血肉とし難い(がたい)。ますます辛くなります。 不人情、非人情、無人情、有情、無情、非情、タットヴァなど形は似ていますね。 草枕。読み方はさまざまでしょう。 草枕という作品の表明する観念はそういう事なのでしょう。 質問で“草”を出したのは、実はことば足らずではありますが、単に漱石も言っている、・・・ということでした。 本当にご親切に有り難う御座いました

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