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女冥利判決の意味について
- 女冥利判決(東京地判昭30・5・6下民集6巻5号890頁)とは、夫婦間の問題を扱った判例であり、妻にとって再び夫との生活を送ることが幸福だと判断された判決です。
- 女冥利判決は、50歳を超える妻に対し、再び夫との夫婦生活を送ることが幸せであると認めた判例です。
- 「女冥利に尽きる」という表現は、現代では「女性としてこれ以上の幸せはない」という意味で使われますが、この原文の文脈では合わないと考えられます。
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1. 「女冥利に尽きる」の「に」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AB&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=114785000000&pagenum=11 の、 [9] 変化する結果を表す。 学者―なる 星―なりたい に該当するのだと思います。 「尽きる」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%B0%BD%E3%81%8D%E3%82%8B&stype=1&dtype=0 の、 [3] (「…に尽きる」の形で)限度にまで達し、他には何も残らない。きわまる。 という解釈が適切で、 「女冥利に尽きる=女冥利という状態が限度にまで達しきわまる」という意味。 2. 「女冥利の尽きる(仕儀)」の「の」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AE&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=115246000000&pagenum=1 の、 1-[2] 従属句の主格・対象語格を表す。 ぼく―読んだ本 に該当すると思います。 この場合の「尽きる」は、 [1] 次第に減っていって、全くなくなる 体力が―・きる 食糧が―・きる で、 「女冥利の尽きる=女冥利が全く無くなる」という意味。 格助詞「に」と「の」の用法の違いになると思います。 3. 以上は、 「俗に云ふ」を「女妙利」のみに掛けている、と好意的に判断した場合の解釈です。 ただ、「女冥利の尽きる」に掛けていた可能性もありますね。 その場合、「女冥利に尽きる」の本来の用法を知らなかった上に、「に」を「の」に変えることによって新たな意味を勝手に作り上げたことになります。 (勝手に作り上げた新たな意味が)文法的に間違いと言うことはできないと思いますが、文の作成者が本来の意味を知っていたかどうかは、極めて難しい判断になるでしょう。 違和感はそのあたりから生じてくるのだと思われます。
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- cxe28284
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こんにちは 難しいけどご一緒に考えさせてください。 尽きるという言葉には、1、使い果たして、しまいになる。食料が尽きる。 2、極限に達する。極まる 冥加に尽きる。 という二つの意味があります。 女冥利の尽きるは女冥利を終わらせてしまう。という意味で使ったのでしょう。 今どきの言葉でいえば女であることのメリットを捨ててしまう。 という意味でしょう。ただ1の意味と2の意味を混同しているので、 違和感があるのだと思います。 女冥利の尽きるとしても、女冥利の極限に達するという意味にとれば、 女冥利に尽きると意味が変わりません。 それは俗にいう「女冥利」を失う仕儀である。 とかわかりやすく書くべきだと思います。
お礼
違和感の原因をすっきりと説明していただきありがとうございます。 確かに日常会話の目線のまま見ていると少しわかりにくい文ですよね(>_<)
- bakansky
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専門的なことは分からないので、あくまでも言葉の上の推測に過ぎませんが、お示しになられているように 「冥利」 とは単純にいえば 「幸せ」 「恵まれた環境」 あるいはもっと言えば 「得になること」 と解せば、「冥利が尽きる」 という表現ならば、「せっかく食べるには困らないでいられる生活を失う」 という意味で用いられているとも考えられます。ただし、「女冥利に尽きる」 というふうに 「の」 が用いられている点が引っかかりますが、現代の用法でないということもありますがf、「冥利に尽きる」 という言い回しを別な意味にすり替えて用いているという自覚は持った上で、「冥利を失う」 という意味を含めてそのような表現をしたのではあるまいかと想像しました。だから、現代の国語感覚では誤った用法にされかねない表現だと思います。ただし、これは素人の想像ですので、誤っているかもしれません。
お礼
「冥利に尽きる」の言い回しをすり替えている、というのは興味深いですね。貴重なご意見ありがとうございました。
お礼
引用などしていただき、とてもわかりやすいご回答をありがとうございます。 「女冥利に尽きる」と慣用的に使われているので、語句の一つ一つの要素はあまり気にしていませんでした。 分解して考えるとすっきりしました。 余談になりますが、作成者(裁判官)の日本語能力が高いことを考慮すると、「俗に云ふ」を「女妙利の尽きる」に掛けているという可能性は低いように思います。