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宇宙の始まりと終わりと、虚数時間

ホーキングが唱えた、時間への虚数の導入を行うと、宇宙の始まりと終わりはなくなるのでしょうか?

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noname#175206
noname#175206
回答No.2

 我々が普通に感じ使っている時間、これを実時間とすれば、少なくとも実時間の始まりがあり、それがこの物質と空間と実時間を持つ宇宙の誕生です。  アインシュタインの相対論は、光速度不変の原理を足掛かりに、この実時間をも距離という概念で含めた幾何学で表しました(実際に幾何学的に理論を書き直したのは、彼の数学教師のミンコフスキーですが)。  この宇宙は3次元空間、3本の軸線が互いに直交できて、それで位置が表せる空間ですけど、そこに時間も軸線として加えて、時間と空間をミックスした「時空」というもので幾何学的に空間と時間を統一して表せるようになったわけです。むしろ、空間と時間は不可分になりました。  これが、重力を扱えない特殊相対論から、重力理論をも含む一般相対論(これで物質=エネルギーと時空が不可分になった)となり、観測事実と合わせて、宇宙論が進展し、少なくともビッグバンと呼ばれる現象で宇宙が始まったということになっています。もちろん、素朴なビッグバン理論では説明できないこともあり、インフレショーン説その他が加わって行っています。  しかし、いずれにしろ実時間は空間である宇宙の誕生と不可分で、空間的に実在する宇宙の誕生前にはありません。またもし、今は膨張している宇宙が収縮に転じて、最後に一点に集まって空間的に宇宙が無くなってしまうと、それと不可分である実時間も終わります。  ホーキングのアイデアは、これに虚数の時間、これは虚時間と呼びますが、そういうものがあると仮定して考察を進めました(ファインマンの経路積分とか使ったんですが省略)。  以前は、実時間という軸線1本でしたが、これに虚時間の軸線を直交させて、時間を平面で表してみたわけです。  実数と虚数を合わせた数が複素数ですが、複素数時間とは呼ばないみたいです。しかし、虚数軸と実数軸を直交させた複素平面については、非常に面白く便利な数学的取り扱いができます。  これを利用して、時間を複素数で記述し、物理学の式の取り扱いを簡単に、あるいは発展させてきました。ほとんどの場合、出てきた虚数の項は物理的実体がないとして捨てます。  しかし、ホーキングは宇宙論について「虚時間が実体としてある」としてみたわけですね。すると、実時間では、少なくともその始まりがあり、条件次第では終わりもあることは変わらないけど、虚時間では始まりも終わりも、ついでに言えば虚時間の進む方向もないということですね。  実時間と不可分な空間は、空間と共に無から出現したし、場合によっては無に帰ることもある。けど、虚時間から見た空間は実時間と共に突如として出現したのではなく元々存在していて、そして実時間と共に消える空間も虚時間からすれば消滅もせずに存在しているということです。  まあ、我々は実時間と不可分な存在ですから、我々の運命を虚時間に託すことはできませんが、宇宙の誕生の謎について、虚時間の考え(未だ仮説です)が役に立ってくれるかもしれません。  何せ、宇宙が無から生まれたと考えたら、実体があるものしか説明できない物理学のこととて、説明できない無の前は、やはり説明できない無でしかないわけです。  そんな物理学的説明が不可能な無からどうやって宇宙が生まれたかは、やはり説明不能ですから、そこを虚なる実体があると考えればいいことになれば、また物理学は前進できます。。

回答No.1

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に よって生じています。 自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙。 (無の無限の闇に対する自我の射影) 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った) 補完なのです。 相対性理論の四次元時空の方程式において、時間項は虚数に なっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面” ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 超光速におけるエネルギーの虚数化により、相互作用=二乗に おいて負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から過去 と未来が対発生し得るのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の 感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験 (過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的 広がりは発生しているのです。 (認識体自身が、その仮説的空間に有限な大きさを占めている ことで先入性の完全否定) 全ての存在は、量子性=確率波動性に基づいており、無限に つめ込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は 光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、 自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 (不確定性無限の潜在たる認識可能性の光速での変移に対し、 無の闇は相対的に光の風となる) 即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮= 不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、 それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限 不確定的空間性が、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測) に相補分化する受け皿となり、直交基底をなす事によって、 相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化 における、有限的存在(=非光速性)を幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補 として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という 無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。 であれば、その前や外を問う事は意味がなくなります‥‥元々 無いのだから。