• 締切済み

学歴コンプ、学歴ロンダ。

学歴コンプや学歴ロンダなどのワードが飛び交うようになった近年、学歴至上主義が少なからず拡がっています。 大企業への就職には国公立、有名私大が 名を連ねる中、何を言ってもやはり学歴がある人が就職に有利(一概には言えないが)といっても過言ではない世の中。 やはりこうなってくると学歴は何よりも絶対的な武器になると思ってしまっても致し方ない気がしてなりません よくどんな大学でも結局は自分次第などと言われる方が多くおられます。 確かにおっしゃる通りでそれも確かです。 しかし、では自分次第という観点で見たとき、本当に能力があったとしてもその方は国公立はおろか有名私大でもない場合、採用率はぐっと減り面接すらも行けない状況に陥ると思うのです。 学歴はエントリーシートまで、その後は学歴など関係ないとおっしゃる方がおられますがエントリーシートが通らなければ面接すら行けないのです。 結果、学歴がないと例えば国公立にいる方と人間的に能力が変わらないのに学校名だけで全てが決められ舞台に立つことさえ許されない。 やはり能力云々より学歴に即した企業に就くのが常識なのでしょうか。 学歴だけで能力も見られずに生きさせられる世の中はどうなんだろうと。 因みに大企業に就ければ幸せに絶対なるということは言っていません。 ただ、大企業という舞台に学歴が即してないからというだけで立たせてもらえないという現状に不信感を抱いているだけです。 これを踏まえた上で貴方にとっての『学歴』とは何なのか教えてほしいです。 ご回答よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.10

2回目。能力より学歴で判断と言うけれど。学歴を得るために必要な能力があるので。そこで能力も見ているんじゃない?お勉強ができる=仕事の能力が高いわけじゃないといっても。まだ仕事をしたことないだけに。基礎学力、論文まとめる能力等で手堅く選別かけるのも仕方ないかも。 あたしの中での学歴=ひとつのものさし。ちなみに「お礼率」も人柄とコミュニケーションレベルの目安にしている。形だけ丁寧な文章書けても。締め切り方とお礼率のほうが実情があらわれると思ってる。もうちょっと改善余地あるかも?

  • kztk
  • ベストアンサー率53% (59/110)
回答No.9

就職において、学歴とは単なるツールです。 日本という国において、少なくとも新卒の就職の場面で高学歴が効果的なツールであることは、その是非はともかく殆どの人が認めるところと思います。 仮に大企業に勤めることを希望するのならば、その可能性ができるだけ広がるように、それなりの学歴を身につける準備しておくことが効果的なはずです。 学歴のある人は、その準備をしてきた人たちです。同様に、「大企業の歯車なんかごめんだ」と思っていた人は、子供の頃からスポーツや音楽など別のことに力を注いできたかも知れません。あるいは、学校の勉強とはまったく異なる分野の知識を深めて起業を目指す人もいるかも知れません。 しかし、大企業への就職も含め、成功した人に共通するのは、その道で成功するために必要なツールが何なのかを正しく把握し、それを備えてきたということではないでしょうか。ツールは学歴かも知れません。英語力かも知れません。トーク術かも知れません。歌唱力かも知れません。しかし、何が必要かを見極め、準備をしてきたことは共通しているはずだと思います。 大企業への就職に高学歴が有利、などということは、秘密でも何でもない殆ど自明の事実だったにも関わらず、それに準備をせず学歴社会への不満を言う人には、本当の能力はあるのかもしれませんが、それ以外の「何か」が欠けているということです。もちろん、その「何か」とは学力ではありません。 (※しかし、そもそも「本当の能力」って何でしょうね?) それでも大企業に就職したいのならば、必要なのは自らの過去の準備不足を世間のせいにして嘆くことではなく、既についてしまった差を挽回する方法を考え、必要なアクションをとることです。

回答No.8

学歴というレッテルで選別するなと言いたいなら学生側も、大企業うんぬんで一括するのをやめたほうがいいんじゃないですか?一人一人のポテンシャルを見てほしいなら。自分も零細から中小企業も差別なく受験されたらいかがです? でもそれは非効率ですから、おのずと線引きをしてしまうのが現状じゃないでしょうか。

回答No.7

>学歴だけで能力も見られずに生きさせられる世の中はどうなんだろうと。 まず学歴のみで書類ではじくのは、大企業ほどそうだと思うのよ。応募者も多数だし。そんなことに何日も費やして効率落としてられてないし。 ではそうならないために。応募者側が散らばればいいとも言える。だけど >ただ、大企業という舞台に学歴が即してないからというだけで立たせてもらえないという現状に不信感を抱いているだけです。 おたく自身が「大企業」志向、よらば大樹の陰って発想をしてる。違う、自分には自分なりの理由があると言うかもしれないけど。そんなことは書いてないし。大企業だって同じかもよ?結局、お互い様だという印象だけど? おたくだって大企業でなくても。何年もかけて中小企業大研究でもしてれば。大企業にこだわる必要ないかもよ。そんなことをして効率的かどうかは疑問だが。でも高学歴の人たちは、フリーパスを手に入れるために先にがんばったのだから。 おたくの論理が正しければ。フリーパスしたいなら先に有名大入っておけばいいと誰でもわかるよね?そんなに顕著な傾向ならば。じゃ、ほしいなら入ればいいし、ほしくない人は入らなければという話だし(境遇が極端に貧しい人はさすがに不利と思うよ)。

回答No.6

高学歴だからといって仕事ができるとは限らないのは事実ですが、低学歴の人の方が仕事ができるというのは、もっと無理があると思います。 ある一定年齢までに努力できたかどうかで、就職する時に差が出るのは当然とも言えます。ただ学校を卒業して10年もすれば、職歴で勝負できるはずで、学歴でも職歴でも勝負できないような人なら、それなりの待遇の仕事しかないのも仕方がないでしょう。

回答No.5

私は、山あり谷ありの学歴&経歴でしたが、大きなグループ会社の役員ほど、学歴&経歴にひたすら拘る印象でした。はっきり言えば、模範的で綺麗な履歴書しか認めない感じです。 逆に、総務人事部長などのベテラン社員は、総合的な評価をして、多様な文化と価値観を築きあげようとしているように感じました。 ある企業の部長さんは新卒説明会の中で「似たり寄ったりの学歴経歴だけを揃えていては、会社が曲がっていくんだよね。色々な人間を取ってこそ、バランス感覚の取れた良い会社が出来上がるから、俺はただ単に学歴が素晴らしいからという理由だけでは採用しない」と、驚くような話をしていました。ただし役員は・・・・ 学歴でいうと、東大卒の高学歴から高卒までの人と付き合いがありますが、高学歴の人ほど、表面上の協調性があるとは感じます。実際は腹黒い面がチラホラしますが。高卒の人というのは、自分が評価されていないと感じているのか「俺が」「あの野朗は」「俺はすげ~」というニュアンスが強いです。自分主義で会社環境を悪くしたがる人が多いです。 育ってきた家庭環境等も影響していると思います。同じような学歴であっても、役人の子供と民間人の子供とでは、気質が違いますね。丁度、国立大学出身者と私立大学出身者の口の悪さの違いや、主張の強さの違いと同じといったところでしょうか。 >結果、学歴がないと例えば国公立にいる方と人間的に能力が変わらないのに学校名だけで全てが決められ舞台に立つことさえ許されない。 公平に与えられた試験をクリア出来たか、出来なかったかだけの違いなので、良くも悪くも跳ね返ってくるものと捉えています。 >やはり能力云々より学歴に即した企業に就くのが常識なのでしょうか。 ある程度は自分を守る意味で大事ですよ。高学歴の世界に首を突っ込むと、常に馬鹿にされますし、低学歴の世界に首を突っ込むと、常に妬みや嫌味が耐えません。常識というより、これはこれで大切です。 >学歴だけで能力も見られずに生きさせられる世の中はどうなんだろうと。 「役員 VS 総務人事部長&ベテラン」ではないですが、まともに評価を出来ない人が多いのでしょう。その結果、一番無難な学歴に依存すると。また、自分と似たタイプを認めるのでしょう。 >因みに大企業に就ければ幸せに絶対なるということは言っていません。 私の会社には、大企業の経営不振により、首になった年配者がパートとして入ってきます。大企業に勤めている友人は、会社の先輩達を見て「俺もいつかはリストラされるのかな~」と早々に言っていましたね。 大企業絶対主義になるのは、バブル経済を知っている人達と、その子供達です。「大企業は月々の給料が、机の上で立った」なんて言いますが、これを知っている世代の人ほど、この価値観が強いようです。 履歴書の学歴欄を書かせずで有名だったソニーの採用の件ですが、研究室の所在地はどこか、どんな研究室にいたのか、研究室は誰先生であったのかを、さり気なく確認していますから、最初から絞っているわけです。各大学の学生課では有名な話でしょう。何千人もと毎年面接をしている人事ならば、すぐにどこの大学かは分かりますよね。 私だって、学科名、研究室名や、最寄駅名を聞けば、どこの大学かは大体分かります。 都合の悪い所は省き、都合の良いところだけを話に挙げて肯定したがる人というのも、自称高学歴で腹黒いタイプの人達なのです。これが良いとは思えませんけどね。

  • 40871
  • ベストアンサー率63% (472/746)
回答No.4

人事経験者です。 学歴コンプや学歴ロンダは、却って後ろめたい理由があるのかなと感じています。 近年、学歴至上主義が少なからず拡がっているのは、高校・大学など、 就職実績をあげないことには、新入生が集まらず、学校の経営が成り立たなくなるので。 少しでも就職実績・進学実績を上げておきたいことが要因と思います。 大企業への就職には国公立、有名私大が名を連ねるというのは、 大企業の人事部、取締役などは子どもの頃から難関学校を得て大学を卒業しているので、 学歴がない人は、たわけ者といった偏見が大きいことは確かに事実です。 もっとも、本当は学力があっても学歴が低いため、エントリーシートが通らず、 面接さえ受けられない方々はたくさんいらっしゃいます。 私たち企業の採用担当者からみれば、 特に挫折の経験なく~大学をエスカレーターのように出た。と昔の栄光を語っている人よりも、 家庭の事情や金銭的に問題があったが、自分の力で大学に行こうと決心して、 そのために自分自身で目標を立て、お金も貯めて大学に入学し、勉強もして卒業を達成した。 という、目的意識の高く、なんとなく高学歴をすごしてきた人よりも欲しいわけです。 また、大企業に入るということは、学生の時に見る資料などでは 世界中を股にかけるような大きな事業をしているように載っていますが、 企業規模が大きくなればなるほど、一般論ですが、業務が細分化されていて、 与えられる仕事の範囲は小さくなります。(いわゆる歯車感が強くなる) ですからかならずしも大企業にはいることが、安定していたり、大きな仕事を 任されることにはならないという点はご理解いただきたいと思います。 最後に締めですが、私なりの「学歴」とは ・高校生までの決まった学習範囲の中で、どれだけ挫けずに忍耐して勉強し続ける力があるか。 ・高校生までの答えがわかっている勉強を、難しい等と投げ出さずに考え抜く力があるか。 だとおもっています。 これらの力が、企業に入社したときに、難しい問題に直面しても、諦めずに 考え抜いて解決させていく力となって、差が出てくるものだと感じています。

  • poizom19
  • ベストアンサー率8% (15/167)
回答No.3

私にとっての学歴とは私自身の学力的ポテンシャル表すものと考えています。 自分の能力を相手に説明するのはとても手間や時間が掛かります。そんなときに○○大学○学部卒業とか□□大学院○○研究科博士前期課程修了と履歴書にかいたり一言相手に言えば相手は「この人はこの分野に詳しそうだ」「使えそうだ」と思ってくれます。 学歴には能力も一部含まれていると思います。難関大学に入学している時点でそれなりの能力があると見なされます。また4年間で多数のレポートを提出し定期試験を受け続け卒業論文、卒業研究を作成し卒業すればかなりの能力を身に付けたと見なされます。 もちろん同じ大学を卒業しても人によってその能力は大きく違うでしょう。そのため企業によっては大学名を見ずに選考するところも出てきたようです。ただ結局は今までと同じか今まで以上に有名、難関大学の出身者が増えてしまい大学名で選ぶ正当性が再確認させてしまったそうです(確かソニーだったと思います)。

  • itaitatk
  • ベストアンサー率38% (751/1976)
回答No.2

結局は学歴とは与えられるチャンスの数だと思います。大学名があればあるほどチャンスは増えますしなければチャンスは減ると思います

回答No.1

非常に考えさせられるお話ですね。このご意見を否定すべき物ははっきり言って無いと思います。 現実的に学歴は書類審査でまず振るいに掛ける部分ですからね。書類で人柄や能力は分かりませんし、 それなら高学歴者を採用するのが無難ということもあると思います。 教員志望というならそれほど影響は無いと思いますが、大企業の場合は学閥がありますからね。 A社はこの大学、B社はあの大学・・・そこを出ていないと、願書の受付さえしてもらえないという 暗黙の了解もあるようです。 私は学歴とは高卒か大卒か院卒・・・という物と同じ大学でも東大、京大、早稲田慶應・・・ その他の私学・・・そういう偏差値レベルの話があると思います。 東大卒と私大院卒はどちらが高学歴か・・・東大でボーダーすれすれで卒業と 私大首席卒業ではどちらが優位か・・・そのようなことも考える必要があります。

関連するQ&A