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学歴について

みなさん、こんにちは。私は今、あることについて調べております。それは、学歴についてです。 現在の日本社会は以前と異なり、少しは学歴なんて気にしないようになりました。 しかし、大半の民間企業では学歴を気にするところが多いのが現状であります。 そこでみなさんからの意見を募集させて頂きます。 学歴は大事なのでしょうか? 例えば就職活動。現在も多くの学生が多くの企業に出向き、面接や試験、説明会に行っています。面接では学校生活についてなど様々なことが聞かれます。学歴では、様々な地方や大学生が来ます。この時、自分よりも学歴が上の人が気になったものです。履歴書もしっかりとしていました。資格も持っていました。 私は、大学に4年間も通いましたが、4年目に大きな壁にぶつかってしまい、中退しました。今は、働いているのですがあの当時は、学歴に異様に執着していたのかもしれません。正直、今でも中退した時の決断は間違っていなかったと思います。 現在の職につくまでの、様々な経験が今の私なのです。 長くなってしまいましたが、学歴社会の日本・学歴についての意見をお聞かせください。 よろしくお願いいたします。

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  • slant
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回答No.11

僕はとある有名私立大学の付属高校生です。 っていってもたいした事ないんですけど・・・参考になればと思って。 僕は学歴は重要だと思います。 採用するときに重要であると考えられているのが 大きく分けて二つ考えられると思います。 一つは、学力。学校で学んだ知識などですよね。お勉強ができるかどうか。 二つ目は、人間性といったらいいのか分かりませんが、 総合的なもの。勉強以外のものとでも言いましょうか。 成熟度ともいえますかね。 学歴を参考にする時、実際どうなのかは知りませんが、 たいていの人は一つ目を推し量るのに用いますよね。 一般的なイメージとしては。 二つ目は、がんばって面接で見抜くものなのでしょうか。 でも、僕が思うのは、二つ目を量るという面でも、 学歴はたいへん参考になると思うのです。 僕が今の学校に受験で受かって通い始めて驚いたのが、 周りの人間の成熟度です。 大抵の人が将来意識をもっていたり、 きちんとした自分の考え、価値観をもっていて、 発言に根拠がある。 何も考えずにふにゃ~って生きてきた僕は(今でもですが) 非常に驚きました。僕みたいな人間も少数いますが・・・。 そこで僕が思ったのは、高学歴の人間は、それだけ高度な 「環境」で過ごしてきたということであり、 人の発展に欠かせないのが回りの環境であり、 学力が高いところだけではありませんが、 「良い学校」というのは その「環境」がすばらしくいいのだと思います。 だから、確率的に、優れた環境の学校には学問のレベルが高い学校が多く、 学力の高い学校には成熟度のたかい人間が多い。 逆に、環境に恵まれなかった人間でも優れた人間はいる。 とすると、企業が学歴を重視しても無理はないんじゃないでしょうか? と、少数派から多数派になろうとしている僕は思うのです。

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noname#99942
noname#99942
回答No.14

私が雇う側だったら、少なからず重視します。学歴が高いからといって頭がいい、仕事ができるとは限りませんが少なくともその可能性は高いからです。私はまだ高校生だけど、それでも経験上そう思います。

studying
質問者

お礼

みなさま、回答いただき誠にありがとうございました。 今回、皆様の意見・人それぞれの考え方がとてもよくわかりました。重ねて、お礼を申し上げます。 ご協力いただきまして、誠にありがとうございました。

  • chikusuke
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回答No.13

学歴ですか。 従順で真面目な人間を、使う人(経営者)は欲しい訳でその様なサラリーマンを作るのが現在の教育なのかな。 だから学歴のあることは、扱いやすい人間の証だったりして。 まぁ別に雇われて働く必要のない人は、学歴なんて要らない・・・などと最近思えてきますね。 もちろん偏った意見ですよ。

  • tamaneri
  • ベストアンサー率40% (4/10)
回答No.12

『学歴』ね…必要な人には必要。そうじゃない人には不必要。『保険』と同じ。病気や怪我を自分で治せる人は病院に行かなくても良いので保険はいらない。僕は現在ある田舎町でケーキ屋さんをしていますが、ケーキを作って売るだけなら、小学校程度の学力があれば大丈夫です。学歴と頭の良し悪しは全然関係ありません。僕は『学歴』よりも『経験歴』のほうが必要だと思います。『どのように生きてきたか…?』が問われる時代が来ることを願っております。

回答No.10

悲しいかな,今でも「学歴社会」の側面があると思います。それは給与体系などだけではないと思います。そして表立っては言いませんが,やはり「大学による格付け」もしっかり存在しているのは明らかです。 私の勤務先では,来年の新卒採用内定者に大卒はいません。全員,大学院修士修了または博士修了なのです。 来年度新卒内定者については,勤務地のトップがそういう人を(ただ肩書きだけが欲しいのでは?という気もするけど)入れたがるので,人事担当者も少々頭を抱えている傾向があるようです。 でも,学歴=仕事ができる,ではありません。 はっきり言って「てめーら下っ端からやり直せ!」って言いたくなるような「高学歴の無能者」多いです。しかも学歴が高い分,プライドも滅茶苦茶高いです。「そんな雑用,私の仕事じゃないわよ」と(言葉にはしなくても)態度で表し実際しない人,結構います。 そういうのを相手に,色々指導するのが今の私のうんざりするような仕事の一つになってしまっています。あの学習能力のなさは何とかして欲しい。 どんなに学歴が高くても,実務能力がなければそれは「単なる飾り」に過ぎない,と思います。 研究者や技術系専門職などはともかく,高学歴=優秀,という考え方を捨てて欲しいと思っています。 技術系専門職でも,その分野の仕事をしている研究所(企業研究所も公的機関の)以外では使えない,として嫌がられる傾向があります。 以前新聞か雑誌か忘れましたがどこかで見たのですが,ある地方のメーカーでは,有名大学卒業生よりも地元の大学卒業生の方が使えるのだそうです。前者はプライドが高くて地道な仕事を嫌がる傾向があり,後者は労苦を厭わずむしろ積極的に開発などの業務に携わるから,だそうです。 ちなみに私も現在の勤務先には技術系として採用されましたが,筆記試験はともかく面接では専門性に関する質問は全くありませんでした。そして最初の配属先で,上司に大学時代の専攻を聞かれ,正直に答えたら・・・絶句されてしまいました。(私の専攻は技術系ではないし実務上殆ど使い物にならない)どうにも,成績とか人物とかそんなことではなく,ただ卒業した学部学科だけで採用されたのではないかとかなり悩んだ時期もありました。今はもう開き直っていますけど。(笑) 同じ大学卒業でも,同じ学部学科でも,専攻が違えば他のことはわからない,というのもあるのに肩書きのみを重要視する・・・正直,嫌です。

  • UTwTU
  • ベストアンサー率24% (218/879)
回答No.9

最近とある企業の人と話していて、学歴の話が出ました。その人の話では、 「とりあえずそこそこの大学を出ている人は、そこそこ基礎学力がある人がほとんどだ。だから大学卒を募集する。」 「そこそこの大学に入るまでに、努力をしてきた人が多い」 ということでした。 私はそれまで「学歴なんて関係ないよ!」とずっと思ってきました。でも、大学の名前だけでなく、そこに入り、卒業するに至った努力なども考えると、やはり、それなりの価値があるのかもしれないと思うようになりました。 大学を出なくても基礎学力の高い人もいるでしょうし、努力をしてきた人もいるでしょう。でも、企業には毎年多くの応募者が訪れ、その選考には苦労があるのでしょう。基礎学力なら試験をすればいいというかもしれませんが、それにもお金がかかります。手っ取り早く、安上がりに判断できるのが、学歴ということなのでしょう。 それによって飛びぬけて能力のある人を取りこぼすこともあるかもしれませんが、逆に全然基礎学力の無い人を採ってしまうことはなく、そこそこ基礎学力のある人間を確保しやすいということでしょう。 しかし、大卒でなくても、本当に能力のある人は、活躍の場所を自分で切り開いていけるのではと思います。学歴社会であろうと、なんであろうと。学歴にこだわる会社にこだわらなくても、他にいくらでもチャンスはあるわけですから。

noname#12410
noname#12410
回答No.8

こんにちは。 高校を中退した者です。 まず学歴は大事なのか、ということについてですが、大学に入るのには、たくさん勉強しなくてはいけませんよね。 しかし、偏差値の低い(表現が失礼ですみません)大学に入るために必要な勉強の量と、偏差値の高い大学に入るために必要な勉強の量は、かなりの差があります。 レベルの高い大学に入ろうと思ったら、歯をくいしばってたくさん努力をしなくてはいけません。 ですから、やはりレベルの高い大学に入った人のほうが、がんばった人のように思えますよね。 そして、大学を中退した場合なら、大学を入ったときには周りの同じ大学の人たちとなんら変わらなかったわけですが、「中退」してしまったら、「最後までがんばらなかった」という解釈になります。 どうしようもない理由があってやめた人だってもちろんいるわけですが、なんでやめたのかはパッと見ではわかるわけもなく・・・「忍耐がない」と思われるのは、仕方がないと思っています。 所詮、イメージだと思うのです。 四大出たんだからちゃんと勉強しただろう、とか。 高校やめたんだから「諦めたんだ」とか。 ほんとはそれだけで全てを計ることはできないのに、なにかで計ろうと思ったときに目に見える「学歴」を使うしかない。 そんな学歴社会で生きていくために、私は大検を取得して、現在大学受験勉強中です。 じゃないと、高校をやめたのは「諦めなんかじゃない」って、証明できないから・・・ ちょっと質問の趣旨とずれてますかね^^;長文失礼致しました。

noname#11654
noname#11654
回答No.7

あえて正面から言いません。ごめんね。硬くなりそうだから。 ●あなたへ 大学中退ですか。それはそれで強みですよ。今の日本社会では、ですが。もっと低学歴ではきつい。学歴社会は良いか悪いかといえば、悪いでしょう。だってさ、少なくても日本の中高は、受験の為の勉強ですから。 ●それ、打破しなくても? 日本は、なんでまたこういう“レール敷設型”がお好みなんでしょうねえ。低学歴=とんでもないやつ じゃないのにね。“レール”を外れるやつは、人生が曲がっているとでも言いたいのでしょうかね。 「人間的にとても立派=高級官僚」 ↑これにはみんな疑問ですよね (何件不祥事、事件があったことか。) そのうち行き詰まるかな、これは楽観視すぎるかな(笑)。 学校辞めたほうが、“社会勉強”できるというのも大変ユニークな社会かも?

  • coverfly
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回答No.6

どんなレベルが低い大学を出ても高卒より上です。 以前、いろいろな企業の経営者と話す機会があった時に「何故、企業は大卒を優遇すのか」という事を聞く事がありました。 その時に多くの経営者がレベル云々は抜きにしても受験勉強で勝ち残って学校でそれなりに成績を残して卒業したのだから大卒を優遇するとの回答を得ました。 結局、実力主義ではなく学歴社会なんでしょう。 幾ら実力があってもサラリー面で初めから差があるので困ったものです。 参考までに。

noname#17334
noname#17334
回答No.5

御質問は大変深遠なのですが、残念ながらお答えは 極めて凡庸な事実の列記になってしまいます。 すなわち、人間社会は平等ではない・・これを認識しないと始まりません。 富の合理的配分 および 富とはすべて労働から生産しうる この二つの仮説から、共産主義は大きな蹉跌に至ったわけですが 事ほど左様に、富は合理的には配分不可能であり、人間は意識の 自在性においてのみ、自由なのであって、他人の認識や区別の観点 からは自由ではないということです。 不当な差別は全くもって許すべきではないです。ただし、企業が 収益を配分するにあたって、業績評価を正確無比にやったところで 給与と業績を正当にあてはめるなどという芸当はできません。 むしろ、学歴、職階、職位、主観のバイアスのなかで傾斜的に 配分していかないと、明らかな有能な人材と無能な人材の待遇の 差異が生じないわけです。 もっと有体に言ってしまえば、インドや中世ヨーロッパやカソリックの 司教におかずとも、すべての人間社会は身分階級だということです。 社会の多くが、世襲制という明解な不平等を容認してきたのに対して 戦後の日本だけが、相続税という世界でもまれにみる財産没収、平等化 の仕組みのなかで、セレブリティとパブリックの垣根を取り払い もっともフラットな身分社会を実現しようとしてきたのです。 とはいいながらも、未だに、東大・慶應限定お見合いパーティとか 医師・弁護士限定お見合いパーティなるものがあります。 別におつむの弱い尻軽女に「区別」されずともよいと思いながらも、 わが国の階級の区分のモノサシに「学歴」が使われてきている 厳然たる事実は、企業の昇格制度や、採用試験ひとつとっても あきらかであります。 ことに、大企業の社長専任となれば、出身大学以外に周囲が 納得する要素などどこにも見出せない。 新聞の会社人事欄にも(年齢・出身大学・前職)以外に記載されない。 というかなぜに出身大学が記載されるのか誰も不思議に思わない。 これこそ、わが国における階級制度のシンボルなわけです。 身分差別は、戦後最も大きなタブーであったわけで、迷信による 被差別民に対する不当な処遇は改善された一方で、いまや公然と 学歴差別が階級社会の区分けとして歪んだ囲いのように存在しています。 一方で、ここにきてバブル経済のツケを払わされたのが、下落しつつある さなかに首都圏のマイホームをローンで購入してしまった団塊世代 およびポスト団塊の45歳超の人々です。 かつて、持つもの持たざるものと比較された土地建物は、いまや残債割れ 不動産を持つものと持たざるものに別れてしまったわけです。 勝ち組、負け組み。 単純に学歴のみならず、本格的投機社会が幕をあけたことで、小児的 学歴階級社会はやっと終焉に向かい、本当の意味での金融セレブリティが 自ら日本の上流階級を築く時代が来たのだと喧伝されていますが、 農耕民族体質の日本にどこまで根付くかはわかりません。 大学進学率がいまや45%を超え、少子化のなかで、大学募集人員が定員を割る時代になっても、いやなったからこそ、大学のブランド価値が偶像として一人歩きする時代が来たのかもしれません。 個人のレベルでの評価と、学歴社会の存在とは全く無関係であっても傾向として学歴による識別は行われているのが現状です。

noname#251407
noname#251407
回答No.4

残念ながら学歴社会ですねー  単に大学の門を出ただけの人も多いのに・・・  社会で仕事をするには「知識」より「智恵」が大事・重要なのに    現状は日本の多くの会社が実力主義と云いながら学歴を重視している事は事実です  その意味では大事でしょうね

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