明治時代の税率について
中学時代からの疑問なのですが、明治の税率の3%はなぜ厳しかったのでしょうか?
中学の授業で江戸時代まで四公六民やら、五公五民と言う税率を聞いていて、明治に入りいきなり地租改正で3分になり「半分取られてたのが、いきなり消費税程度(当時)!?」と、本気で驚いた覚えがあります。さらに、一揆が起こって2分5厘になり「そこまで0,5%を払いたくないのかなぁ」と思っていました。
当時もそのときの社会の先生に聞いたのですが、答えは
「全体収入の3%は結構痛いよ…」
と言うものでしたが、いまだにわかりません。年貢で40%払っていた当時の民衆が、税金の3%が痛かったとは意味がわかりません。きっと何かのわけがあるのでしょうが、結局中学校時代からどうしてもわかりませんでした。
どなたか教えてください。そしてもし中学時代の私にもわかるレベルで教えていただけたら、非常に幸いです。よろしくお願いします。
お礼
ありがとうございました。 参考になりました。