- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:明治時代の地租改正について教えてください。本当にわかりません)
明治時代の地租改正とは?地主の儲けと小作人の困窮の原因について
このQ&Aのポイント
- 明治時代の地租改正は、地主と小作人の間で起こった格差を引き起こしました。地租改正により、小作人の負担が増え、地主はより大きな利益を得ることができました。
- 具体的には、地租改正前は小作人が地主に対して一定の量の米を納める形で地代を支払っていましたが、地租改正後は地代が現金で支払われるようになり、小作人の負担が増えました。
- また、地租改正によって小作人の土地所有権が弱まり、地主の権力が強化されたため、地主だけが儲かり、小作人は貧窮する結果となりました。これが地租改正反対一揆の原因となりました。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
地租改正とはいままでコメという現物で払っていた税金をお金で支払うことです。地租は所有者である地主が払います。その税金を小作農に転嫁したからです。小作農は収穫物の50パーセント以上を小作料として取られました私の家にも江戸時代からの年貢の収納記録がありますがそのときの年貢はおおよそ40パーセント私の家のある地区は天領だったためかなり年貢は安かったようですが地租改正後は10@あたり1石1斗でおおよそ55パーセントこれでは小作人は暮らせません45パーセントで肥料や農具を買い生活するのですから大変です。今の米価で計算すると当時の収量は5俵で収入は8万円小作料は4万4000円手取り3万6000円で肥料等の経費は約2万円で実収入は16000円です。1町歩作って16万円ですこれで暮らせますか争議が起きても当たり前です自作農でも地租が払えず小作農になり1000町歩地主と呼ばれる大地主が増えたにもこの時期です。