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芸術の永遠性について
芸術の永遠性について考えろと言われたが、芸術にあまり興味のない自分には全く分かりません。 物理的に考えれば、作者が死んだ後でも作品は残っていくし、 精神(?)的に考えれば、作者の意図したものと違えども、鑑賞した人間は何年先の人だろうが、何かしらは感じるものがあると思います。 しかし、永遠性といっても、その作品が人の目に触れられなくなったら作品自体が存在していても、無きに等しいと思います。 何か、いまいち言いたいことがまとまってませんが、皆さんは芸術の永遠性についてどう思いますか?
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
芸術は素晴らしいんだ、とするための ある種の誇張でしょう。 人間には寿命があり、有限の存在なので 何かしら永遠的なモノにあこがれるのです。 その憧れが、そういう表現になったのだと 思われます。 良いモノは永く残りますが、所詮人間の作った モノです。 永遠とは言えません。 ただ、作者よりは永く生きる場合があると いうだけでしょう。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
ANo.6です。 自分が書いた物を読んでいて思ったのですが、 存在として(人を)超越した物を感じる時、おそらくそこに「永遠」を人は観るのだろうなと。 そういう作品を創る、あるいはできてしまうことは可能だと思います。 芸術そのものには旬とか寿命はあるわけですが、それを摂取した時にそう感じると。
- muchacha323
- ベストアンサー率34% (29/83)
芸術、という言葉で考えると自分に縁のないもの、と感じるかもしれませんが、 好きな音楽、絵、本、ファッションで考えてみてはいかがでしょう。 世の中で流行っているからなんとなく自分も好きかなと思っているものもありますが、 後からなぜあんなものをカッコイイと思っていたのかな、というものもあり、 逆にいま見てもすごいな、というものもある。 もちろん人によって感じ方はいろいろですが、時がたっても多くの人の 印象に残り、感動やインパクトをもたらすものなら、、 そのアートは普遍性があると言えるのかなと思います。 永遠といわれると、これまたそんな大げさな!と思いますが。 まだ若い方だとその感じがわかりにくいかも知れませんが、 自分の身近な嗜好から、自分がどう感じるかを探ってみるといいかもしれません。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
文明には衰退期が必ずありますし、種としての人間は今は膨張期ですが必ず衰退や絶滅の時期が来るはずです。ですので記録や構成している物質にも限界がありますし、言語も変化しますから生物学的な人類の寿命よりもはるかに芸術作品の寿命は短いと考えられます。 身体表現などの場合映像や写真の記録としてしか残せません。 なので「芸術の永遠性」とは現実的な永遠は意味していない、何か象徴的な表現に違いないと思うのですがいかがでしょうか。 おそらく観念や概念の問題では。 「心の中に残る」というような論理を使った場合、非常に薄っぺらな俗論に陥りそうな予感が致します。 しかし芸術を作るという行為を考えれば、それはおそらく人間としての属性だと思うので生物としての人類と同じだけの寿命はあるのでは。 それ以上はやはり「神」のような存在を仮定しないと無理ではないでしょうか。 そう考えると神というのは人間と同じような価値観を持っていながら永遠の生命を持つ者なんでしょうかね。ちょっと都合の良すぎる話のように思います。
常識的に考えて、いいものは長く残るということはいえると思います。実用的なものは社会生活の変化に伴って使われなくなりますし、形のあるものはいずれ壊れたりして失われます。もちろん芸術作品全般が永遠だというのではに言うのではありません。がらくたは”芸術作品”にもいっぱいあります。ですから 価値が高くて実用的でない、形のあってないもの(心に入って世代を越えて語り継がれるもの)に永遠性を見いだしたのでしょう。古典的と言われる大芸術、あるいは芸術家は多くそういった性質をそなえているのではないでしょうか。この場合、必ずしも芸術作品そのものの永遠性をいっているのではなく、ある偉大な芸術、あるいは芸術家についての驚きと印象の記憶、伝説を言うのだと思います。作品はなくとも名声だけが残って存在する作家がままいますが、そういったものがこの場合理想的なかたちでしょう。 。
>永遠性といっても、その作品が人の目に触れられなくなったら作品自体が存在していても、無きに等しいと思います 「永遠」ということばを厳密に考え過ぎなのではないかと思いました。そこまで要求されてはいないのでは? それを言ったら、最新の物理学の研究によると時間には始まりがあり終わりがあるそうですから、芸術どころか「永遠」そのものがないということになります。 結婚式の時に「アナタハ永遠ニコノヒトヲ愛シマスカ?」という程度の意味じゃないですか?
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
確かに「モノとしての芸術作品」は時間を越えて残ります。これは事実です。そしてその作品を創った作者の意図も同時にその作品に込められ、こうした点では時間として無制限に残りうる、と理解出来ます。 質問文にある中で「その作品が人の眼に触れられなくなったら作品自体が存在していても無きに等しい」とされるこのコメントの意味がよくわかりません。作品は残る、けれども鑑賞者の眼に触れることが無くなる、こうした事実があるものでしょうか?。 古代の遺跡から出土する埴輪や土偶といった原始美術は誰が作ったとも記されていないケースが殆どです。それらに価値があるか否かといえば、「対象として観る価値はある」と僕は思います。高名な作家が作った作品のみが芸術であるとは限りません。ニューヨークにあるソーホーなどで生み出された作品にも当時は「ゴミ箱」などと揶揄されたアンディ・ウォーホルに代表される現代美術のような作品が多数あります。 またハイデガーの遺作『ニーチェ-美と永劫回帰』などの著作を読みますと、そこには時間軸としての歴史と人間の思索の歩みとしての価値観の系譜の中での「芸術作品の位置付け」が語られていますので、ご参考にしてください。
- bougainvillea
- ベストアンサー率21% (185/853)
わりとロマン主義ぽい設定ですね ベートーベンは永遠に残るとかそういうのですよね? 近代西欧の普遍性の追求が、文学や音楽など芸術分野にも波及して こういうことが言われるようになりました。 キリスト教を否定して市民社会になったら永遠の神がなくなったので、 そのぶん自我が肥大して「芸術が永遠」とか言い出すように なりました。 正直、血迷った西洋人のうわごとだと思います。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
芸術とは唯一無二のものだからじゃないですか。芸術と云うものは決して真似であってはならない。大衆文化では殆どが真似で彩られています。でも大衆文化でも唯一無二の物は芸術に昇格します。すべての人間が存在した証としてそれらは残り続けると云う事ではないでしょうか。