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芸術的感性の有無
芸術的感性のある人とない人とは、どういうところから違ってきてしまうのでしょうか? そう感じるのは、こういう感じです。 家族や友人と音楽映像(テレビ映画CDなんでもいいです)その他色々鑑賞する機会があると、私は「あ、これ演出すばらしい、粋だ、この音楽いい、編曲すばらしいetc.」色々感じまくっているわけです。その他、美術館のある絵の前に30分釘付けになったり、ある文学作品の一描写や、狙い、試みなどが非常に感動的にあるいは衝撃的にあるいは限りない叫びのようなものを感じることがあるが、周りの人にそういう感性がある人がいない。 もちろん、その人なりの関心事や感じる感性の方向性は違うわけですが、「芸術」という点に絞るとすると、私はアーティスティックであるようです。 そういう人とそうでない人の差はどういうことなのでしょうか?
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はじめまして、かなり個人的な感想を。 「芸術的感性のある人とない人の感性の違い」はどこにあるのか? なかなか奥深い質問ですね。 garcon2000さんの質問が不親切なのは「芸術」という漠然な括りをしているので、なかなかお答えしがたいこともあります。 私はまず第一に「芸術」に対して敏感に反応することが生きていく上で必要なの?という疑問がわいてきます。むしろ「芸術的」感受性は程度を越えると、生活できませんよね。そんな人がゴロゴロいれば社会が成り立たなくなるので大変ですよね。むしろアーティストなんてサラリーマンには頭が上がらないくらいで丁度良いと思うのは私だけでしょうか。 話を元に戻しますが、例えばマニアでない人は、マニアが熱狂的に感じてしまうコトに対して何も感じなくても、「興味がないから」って思うのと同じようなことでないでしょうか? それが「ヤオイマンガでなく、ウォーホールだし高尚だ!」って思ってしまうことこそが、一面的にしか見れていないのでは?と思います。 例えば、garcon2000さんの感動した作品名などを出していただくと質問の意味が分かるかも知れませんが… とにかく感受性がありすぎというのは、 生きる上ではギリギリのラインですからね。 むしろ感受性がある人=ダメ人間 感受性が一般的だと思われ人=まともな人 くらいに考えてはいかがでしょうか? 一般人の意見でした。
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- hama-tama
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一本の映画でそんなに感じ取れることがあったら、人生はさぞかし豊かな事でしょう。それを共有する相手がいなくて物足りないのであれば、コミュなどを探せば、同じように語り合える人もでき、もっと深くからその芸術を理解することもできるでしょう。でも何だか今の状態だと同じように「感じている」人にめぐり合うのは大変そうですね。 「絶対音感」に関して、脳科学者の人が、生まれた時にはみんな持っているが、生きていく上で邪魔な場合も多く、徐々に失っていく。って言ってました。 芸術的感性、持っていると思うなら、鑑賞するだけに留めておくのはもったいないですね。ご自身でも表現なさったらいかがでしょう?
お礼
私もかつて映画のホームページやら掲示板やら主催していたのですが、同じ映画を対象にしても(それさえまれなことですが)一人ひとりの関心の方向がまるでといっていいくらい違っていることがほとんどで、ほとんど一致点など得られないという結論に達しました。芸術鑑賞って言うのは、本来孤独なものかもしれませんね。 おっしゃるおとり、表現できたらいいと思います。実はインプットだけって言うのは苦しいですね。
>芸術的感性のある人とない人とは、どういうところから違ってきてしまうのでしょうか? >そういう人とそうでない人の差はどういうことなのでしょうか? ↑ 私に言わせれば、「持って生まれたモノ」ではないかと考えます。 「スポーツ」では、よく「素質がある」とか言いますけど、芸術面でも同じような事が言えると思います。 この場合は、「素質」に加え「関心」の方が相応しいかもしれません。 例えば、 >美術館の、とある一枚の絵 に立ち止まって30分釘付けになる人、一瞥を投げて素通りしてしまう人、これは「関心の差」に他なりません。 「絵って素晴らしい、私も描いてみよう」 と思うようになれば、「素質」がモノを言うようにもなる。 >芸術的感性の有無 は、人間がファジーな生き物ゆえに、単純に白や黒、「有無」でも決め付けられないような気がします。 「五十の手習い」 と言う言葉も有りますからね。
お礼
「関心の差」でいいと思います。その対象が人によって違うわけですから。必ずしも、総合的な心の力の差というわけではなく、性質性向です。感性の有無というものもあいまいですから、よっぽど精緻な判断材料を形成しないと無理でしょうかね。
私は養老孟司さんの言い方が一番ぴったりくるのですが、彼が現実感の強弱と言っていることに関連すると思います。関心が持てるということは現実感が強いということです。数学の専門家の話など私は聞いてもわからないというより関心が持てません。つまり私には数学に対する感性がないのだと思います。理解力と言い換えてもよいのでしょうが・・・
お礼
それに対しての感応力というか、洞察力というか、えて不得手というかですかね。
- brain_dead
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私も科学的に説明出来る訳でなく、感覚での回答ですが・・・。 同じ映画を観ても面白く感じる人とツマラナイと思う人がいます。 視覚的、聴覚的には差は無いと思うので、感じ方が違う事が分かります また絵を上手に描く能力は、訓練を積めばある程度身につきますが 訓練しなくても上手に描ける人と下手な人がいます。 以上の事から芸術を感じれる人は、先天的に芸術を感じる能力が 備わっている人で、これは野球やサッカーが上手なのも同じだと 思います。そこでサッカーが上手い人の場合だと、動体視力が良い、 脚が速い、空間認識力が高いなど分解して具体的な能力名を あげられるのですが、芸術の場合は具体的な能力名が何と いって良いのか分かりません。こうなると芸術って何?という 流れになってしまいます。辞書には相手に伝える為の平易な表現が 書いてあると思いますが、あなたの言う芸術とは文面の衝撃であり 叫びであると思うので、言葉で説明するのは難しいと思います。
お礼
こういう問題は科学が扱えない代表です。心理学の不毛な分野だです。おっしゃるように「先天的」という要素ですね。芸術の場合は「心」が感応能力があるというか、外界の出来事に対して心象を形成しやすいとかですかね。
お礼
おっしゃるとおり、芸術的感性は社会的融合力親和力を犠牲にするものです。なぜなら、社会性というものは大体政治的であり、多数派の意見に従うものですが、芸術派それには背を向けたり超越的であるべきですから。平凡であっては芸術とは呼べないでしょう。 名前は出てきませんが、漫画の若い女性をそのまま拡大したポップアートなどはしびれますね。その狙いや反逆性などの強いメッセージがあります。